私と同修の身近で起きたすばらしい話
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年7月26日】

 一、宝の書轉法輪を得て、目が良くなった

 同修Aさんは、2005年に法輪大法の修煉を始めました。彼女は次のような身をもって経験した事を話しました。

 数年前、彼女の長男は結婚の準備で婚約者にアクセサリーを買いに行く途中に、事故に遭って亡くなりました。Aさんは悲痛極まりなく、両目がほぼ失明するほど泣き暮らし、息子のことをよく思い出していました。ある時、夢の中で息子がAさんにおよそ次のように伝えたようです。お母さん「後日、叔母が宝の書を送って来たら、しっかり受け取ってね!」と。そこで、Aさんが「お前は受け取れないの?」と聞いたら息子は「あまりにも重いよ! オレは受け取れない」と言ったそうです。

 数日後、Aさんは本当に『轉法輪』の本をもらいました。当時は視力が悪かったので、夫が読んでくれました。Aさんは元教師だったので、本を読むのは比較的に流暢でしたので、夫がすらすらと読めないのを嫌がり「あなたは読むのがあまりにも遅いので、私は自分で読みます!」と言って、自分で読み始めました。すると、Aさんは「あ! この本は凄いわ、字が見えて読めるわ! これ本は不思議ね? 目が良くなったわ。本当に宝の本だわ!」と喜びました。

 二、夢から覚め『轉法輪』を得て、字が読めるようになった

 同修Bさんは、1995年に法輪大法の修煉を始めました。以前は読み書きができなかったBさんは、気功で身体を鍛えたがっていました。当時は2種類の気功がありましたが、彼女は法輪功を選択しました。大法の書籍を入手した時、Bさんはとても満足していました。しかし、皆は読めるのに、彼女は字が読めずに焦りました! ある時、彼女は「私はいつ字が読めるようになるのかしら?」と考えました。

 このようにして、しばらくすると彼女は寝てしまいました。夢の中で大きな鍋で水を沸かし、手に持っていた書籍が鍋の中に落ちました。あっ、本当に心が痛みました。両手を鍋に入れて書籍をすくい取ろうとしたその途端に、目が覚めました。Bさんは懐に抱いていた『轉法輪』をすぐに取り出し、大丈夫かどうかを確認しました。本を開いてみると『轉法輪』の中の字が全部分かるようになっていたのです! 本当に嬉しいわ! Bさんは飢えていたかのように本を読み始めました。

 夫が帰宅すると、嬉しくてたまらないBさんはすぐに家から跳び出して行って、夫を迎えました。その姿を見た夫は「どうしたのか、お前だいじょうぶか」と聞くと、Bさんは「早く来てちょうだい、ほら、字が読めるようになったわ」と言いました。夫は全く信じられず、妻が本当に頭がおかしくなったと、その時に思ったそうです。Bさんは『轉法輪』を開いて、夫の前で読み始めました。夫はガタガタと震えがきました。妻が本当に字を読んでいる! その後、Bさんの家族4人は全員、大法修煉の道に入りました。

 三、私と幼い甥の話

 1993年、私はまだ小学生でした。夏休みに親戚の家に遊びに行きました。親戚の隣人は気功を学んでおり、書籍を持ち出して私に自分が学んでいる気功を紹介しました。そして彼らの先生はハイテクの生命体と対話することができ、高級生命体の手が見え、その高級生命体はその先生にいくつかの事を教えたようです。その中に、1999年あるいは2000年前後にある功法が「文化大革命式」の迫害を受ける、という話がありました。その意味は文化大革命のような、大規模な弾圧であると言っているようでした。当時、私はとても幼かったので、真剣に聞いていませんでした。大法を修煉してから長年を経て来て、やっと、「正に法輪功の事を言ってたんだなぁ~」と思いました。

 私の幼い甥は師父の説法の録音をよく聞いていました。甥が1歳半の時、まつ毛の毛嚢の中に小さなデキモノができ、段々と大きくなって眼球をこすり、目が痛くなりました。地元の医者に見せると、医者は「これは手術が必要で、以前したことがありますが、3歳の子でした。このように幼い1歳半の子を私は手術したことがなく、勇気もありません」と言いました。妹がこの事を母親に伝えると、母親は「子供を連れて家に帰って来て、師父に頼るしか方法がない」と言いました。

 とても幼い甥は、いつも師父のことを神おじいさまと呼びました。ある夜、私は母親が甥と話しているのを聞きました。朝起きて母親に聞くと、母親は「甥が夜中に突然自分で起き上がって、ずっと『神おじいさま、神おじいさま…』と叫んだので、甥をあやすとまた寝たのよ」と言いました。数日経たずに、甥のまつ毛の根もとのデキモノは水と化して、自然と出てきました。私たちが「誰がお前の目を治してくれたの?」と聞くと、甥はいつも「神おじいさま」と答えました。

 父親は酒を飲んで転んでしまい、手が饅頭のように腫れ上がって、とても痛い様子でした。甥は師父の法身像の前にひざまずき、小さな指で自分の爺さんを指しながら、師父を仰ぎ「神おじいさま、爺ちゃんの手が良くなるように守ってください」とお願いする姿を見て、私と父親は2人とも笑いました。

 ある時、私は心性を守れずに母親とケンカをし、同僚ともケンカをしてしまいました。仕事が終わった後に、小さな甥は小さいハンチング帽をかぶって、電動自動車の前に座り「おばさん、おばさんはいつもすぐに怒り出し、話をするときにもケンカをしているようだよ」と言いました。私は「どこでそうだったの?」と聞くと、甥は「おばさんは家でも外でもそうだよ」と答えました。私の家での様子は分かるかもしれませんが、外での様子を甥は全く見たことがありません。甥に続けて「人を打ってはいけないし、罵っても、怒ってもいけないよ、カッとなってもいけないよ」と言われました。

 私は未だにこの事を覚えています。当時、甥は小さな頭をかしげて、大真面目に諭すように私に話してくれました。当時の甥は5歳に過ぎず、どうして大人のように言えたのでしょうか? これはみな、師父がのあの小さな口を通して、私に教示されたに違いありません。私はこのことに非常に感動しました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/6/30/389337.html)
 
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