9年の冤罪を経た四川の徐天福さん死亡
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 【明慧日本2019年12月2日】(四川=明慧記者)四川省米易県撒蓮郷の法輪功学習者・徐天福さんは、法輪功を学んでいるという理由で懲役9年の実刑判決を下され、2012年10月に徳陽刑務所から帰宅した後、身体がずっと回復せず、2018年の旧暦11月30日に亡くなった。

 徐さんは1996年に法輪功を学び始め、「真・善・忍」の基準で自分に要求し、何かをする時まず他人を優先し、利益の面においていつも他人に譲っていた。周りの人達はみんな「徐さんはいい人ですね」と称賛した。

 1999年7.20、江沢民が法輪功への迫害を発動した後、徐さんは何度も連行され、家財を押収され、さらに懲役9年の実刑判決を言い渡され、2003年に徳陽刑務所に拘禁された。刑務所で9年間苦しめられた徐さんは、虫の息になり骨と皮ばかりに痩せこけて、体に大きな損傷を受け、腹は太鼓のように腫れ上がり、足も腫れて破裂しそうになった。2012年10月12日、徐さんは出所した時、警官でさえ「徐天福は家に帰ったとしても長く生きられないだろう」と断言したという。連行される前の徐さんは、健康で体重は75キロ以上もあった。

 家に帰ってから3日目、徐さんは病院に運ばれ、腹水を抜いたり、注射したりして治療を受けたが大きく改善しなかった。2017年から、徐さんの病状が悪化し、2018年旧暦の11月30日の明け方に亡くなった。

 以下は、徐さんが生前自ら書いた刑務所で受けた迫害の経歴の一部である。

 私は法輪功学習者の徐天福で、江沢民の迫害政策の下で2002年に警官により連行され、懲役9年の重刑を言い渡されて、2003年に四川徳陽刑務所に拘禁された。

 徳陽刑務所では立ったままの姿勢を長時間強要され、走らされ、面壁するように強制された。また、重労働、汚い仕事、太陽の真下で照りつけられる中、厳しい寒さの中で凍えるなどの迫害にも耐えてきた。2008年、刑務所は私に対して強行に「転向」を実施した。警官・鐘勝が受刑者らに指示して拷問を行なった。

酷刑演示:溺水
拷問の実演:樽の中に押さえつけられる

 私は7日間、昼夜連続して立ち続けることを強要され、引き続き1日中しゃがんだままの姿勢を強要された。8日目の夜、2人の受刑者は私の頭を掴んで、水が溜まっている樽に押さえつけ、樽の水を吸い込んだ後、また頭を掴み出して一息吸うと再び樽の中に頭を押さえつけ、何度も繰り返した。また、彼らが私を便所のそばに押さえつけ、タライで頭の上から冷たい水をかけたり、私の顔に向けてかけたりした。当日の夜は寒くて私は耐えられなくなり、「三書」を書いてしまった。書いたあと、すぐ後悔して一晩中眠られず泣いた。しかし、「三書」の中には師父を罵る言葉は一切なく、自分はどのように法輪功を学んだかの経緯を書いた。

中共酷刑示意图:浇凉水
拷問のイメージ図:冷たい水を注がれる

 その後、私の頭はずっと朦朧として、元気がなくなった。このまま続けてはいけないと思い、3カ月後、「『三書』を書いたことは間違ったことであり、法輪功によくないところは一つもなく、法輪功は人々を善へ導き、良い人になるように教える功法です。私はその時、拷問を受けて耐えられなくなり、自分の本心に背いて書いたものです」と刑務所の警官に厳正に表明した。

 このように、毎回の談話の時、私は同じ言葉で答えた。彼らは最後に方法を尽くして、「お前の心はすでに鉄のように変わらないことがよく分かった」と言い、談話をしに来なくなった。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/24/396181.html)
 
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