四川広漢市の李大瓊さん 酷い迫害により死亡
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 【明慧日本2019年12月4日】(四川省=明慧記者)四川省広漢市西高鎮の李大瓊さんは、以前、多くの疾病が身体に現れて寝たきりになったが、法輪功を学び、生まれ変わったように病気が消え、軽い身となった。1999年7月に法輪功への迫害が始まると、李さんは洗脳班に送られ、留置場に拘束され、監視されるなどの迫害に遭ったため、やむを得ず放浪生活をした。その後、2018年11月29日、李さんは無念の思いを晴らせないまま死亡した。

李大琼生前照
李大瓊さんの生前の写真

 法輪功を学び、新しい人生を得る

 李さんは1995年に深刻なメニエール病を患い、1997年2月に半身不随で寝たきりになった。李さんの夫の友人が見舞いに来た時に、「長くても1カ月もつかどうか」と言ったという。李さん自身も人生の行き先がないと感じた。

 1998年8月28日、夫は李さんを三輪車に乗せて病院に向かう途中で、金雁湖公園で煉功する人達を見かけて尋ねてみると、法輪功を学んでいるという。その中の1人が「法輪功は性命双修の功法であり、病気を取り除き、健康保持の効果がありますよ」と熱心に教えてくれた。それを聞いて、李さんはすぐに学び始めた。

 法輪功を学んだ後の李さんは、法輪功の先生の教えである「真・善・忍」に従って、絶えず自分の道徳レベルを高めていき、3カ月後に病気が回復した。

 人生の道理が分かり、姑との因縁を解決する

 李さんは1975年に夫と結婚し、1977年に娘が生まれた。しかし、女の子の孫が生まれたことで、李さんの姑は自分の息子家族に対して敵視する感情を持ち始めた。1977年の師走の20日に、姑は蓋なしの鍋一つと茶碗三つだけを与え、李さんの家族3人を家から追い出した。

 その時、李さんの娘はまだ数カ月で、とりあえず冷たい風を遮断するためアワのわらを借りて、臨時にテントを作った。長い歳月が流れても、李さんの姑に対するあの時の恨みは少しも減っていないという。

 だが、法輪功を学んでから、李さんは人間の因縁関係が分かるようになり、寛容な心で姑に対しても優しく出来るようになった。姑は臨終の前に李さんの手を握って「以前のすべての事は、私が悪かった。許してくれてありがとう」と言ったという。

 何度も迫害される

 2000年12月、李さんは手作り野菜売りで貯めた450元(およそ7000円)を身に付けて、自身の経験で法輪功の潔白を実証するため上京した。河北燕郊で連行され、200元の所持金を奪われた李さんは、そこを脱走して天安門広場に行った。そこで、天安門の警官に電気棒で殴られ、歯が2本打ち落とされた。

 そして、李さんは地元に戻された。西高郷政府の書記、副書記と派出所の警官らおよそ7、8人が、竹と木棒を持って李さんを取り囲んで乱暴を働いた。李さんは気絶してしまい、目が覚めて見た光景は、折れた竹と木の棒が地面にいっぱい散らかっていた。

 2001年の初め、西高郷政府と派出所の警官ら十数人が、3回も李さんの家に行き、法輪功の書籍と資料を押収した。その後、数日おきに嫌がらせをされ、絶えなかった。

 2003年旧暦の7月15日、李さんが畑で収穫している最中に、西高郷の幹部と派出所の警官らは、李さんの鎌を奪い取って、李さんを持ち上げて車内に投げ込んだ。そばにいる李さんの夫は大声で怒鳴ったため、捕まえに来た警官らがビックリして手を止めた。その隙間に李さんは脱走したが、2キロ先まで追いかけられたが、道がなくなったので川に飛び込んだ。その後、李さんは放浪生活をして、半年後に家に帰った。

 2007年、中国共産党の十七大会の時、郷幹部らは李さんの家の扉に封印の紙を貼り、15日間李さんを監視した。李さんが外出すると、彼らはいつも後ろに付いて来た。

 2008年7月12日、李さんは野菜市場で法輪功迫害の真相を人々に伝えたため、警官らにより連行され、15日間拘束された。尋問をされた時、警官はスリッパで李さんの頭を打った。

 2008年の北京オリンピックの前に、李さんは再び連行された。その後、2017年8月9日、西高鎮派出所の警官らは、また李さんの家にやって来て嫌がらせを働いた。

 2018年11月29日、李さんは無念の思いを晴らせないまま、死亡した。

(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/24/396162.html)
 
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