文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年1月16日】以前、私は多くの病気を患っていました。心臓病、みぞおちの痛み、また足が熱く乾燥するため、畑仕事をする時はいつも靴を濡らしてから履いていました。1997年に大法を修煉してからは、これらの病気がいつの間にか消えました。特に、200度も超える老眼鏡をかけなくても、大法の本をハッキリと読めるようになりました。
外出してバスに乗る時に、運転手に年寄りの証明カードを提示するようによく言われます。「私はもう70歳を過ぎていて、あなたを騙すわけがないでしょう」と言うと、運転手はびっくりして、車内の乗客に「皆さん聞いて下さい。彼女はもう70歳を過ぎているのに、全然そんなふうに見えません」と言うのです。私は「自分が法輪功を学んだおかげで、健康で病気がありません」とみんなに話しました。普段、外出する際によく年を聞かれますが、年齢を教えた後にいつも、「自分は法輪大法の修煉者ですから、実際の年齢より若く見えます」と説明します。大法のことをあまり信じていない夫でさえも、親戚や友人の前で「女房は法輪功を学んでから、本当に病気が無くなりました」とよく紹介することがあります。実はこれは皆、師父が私の身体を浄化して下さったからです。
私は天目が見えなくても、「師父がいつもそばにおいでになる」と信じています。大法を学び始めたばかりの頃、毎晩学法拠点に行って学びました。ある晩、いつものように出かけようとする時、テレビを見ていた夫が「今晩は行くのをやめて、結構面白いからテレビを見れば」と言いました。その日、夫の機嫌がよくありませんでした。私は「テレビがあまり好きじゃないし、あなたが好きなように見れば」と言って、すぐに出かけました。
学法から帰って来ると、家に入った途端に夫がいきなり私を殴って張り倒しました。当時、夫は布製の靴を履いており、靴の底が分厚くて、一蹴りで私の肋骨が折れてしまいました。あまりの痛みで息ができなくなり、息ができるようにすぐに師父にお願いしました。すると、本当に息ができるようになりました。
その時、私の様子を見た夫は怖くなり、私に病院へ行くことを勧めましたが、「肋骨が折れたので、治療するのにきっとお金がかかる」と私は断りました。夫に支えられ、オンドルに横たわりましたが、痛みで大きく息継ぎが出来ません。翌日、痛みがもっと激しくなってオンドルにあがるのも困難になり、少しずつゆっくりとベッドに上がって、仰向けに横になりました。この時、私は夫のことを恨んでおらず、業力を返しているのだと分かっていました。夫に師父の済南での説法の録音を私に聞かせてくれるように頼み、録音を聞きながら眠りに落ちました。いつ何時か分かりませんが、「カチャッ」と音がして、折れた2本の肋骨が繋がり、驚いて目が覚めました。師父は私の肋骨を繋げて下さったことが分かりました。そして、試しに深呼吸をしてみると、肋骨が全然痛くありません。すぐに起き上がって座りました。心の中で何度も何度も「師父、ありがとうございます! この難を乗り越えられるように助けて下さり、ありがとうございます」と言って、感激の涙を流しました。
その時にちょうど夫が畑仕事から帰って来て、「大分治ったか?」と心配そうに尋ねました。「畑仕事をしている時に胸がとても辛くて、どうしてそこまで殴ったのか、凄く後悔した」と夫はわびました。自分は「もう治ったわ」と言って、師父が私の身体を浄化して下さったことを話しました。夫がいくら大法を信じられなくても、この事実を前にして信じるようになりました。本当に不思議でした。午後になると、第一、第二、第三、第四式の動功をクリアしました。3日目、煉功点に行き煉功や学法をして、その後、自分の身に起きたことを同修達にも話しました。大法の不思議な力を皆と一緒に分かち合いました。
数日前から、右腕が痛くて伸ばすのも上に上げるのも困難で、物を持つのもつらくて四十肩も痛くなりました。朝、第二式の動功をやる時も腕を上げられず、仕方がなく、左手で右腕を持ち上げ、法輪を抱える姿勢にするしかありませんでした。ただ、「衝灌」(チョングワン・腕を上下に動かす動作)をする時はどうしようかと思った時、気にせずにすればいい、きっとこれは旧勢力の仕業だ、師父がおられるから誰も邪魔できないと思いました。「弟子正念足りれば、師は回天の力有り」[1] 。そう思った途端に腕がビックと動き、すると思わず腕を上に少し動かせ、もう痛くありませんでした。続けて、四式の煉功をやり遂げました。本当に不思議でした。師父がまた病根を取り除いてくださったと分かりました。
煉功を終えてテレビを見ている夫に、師父が身体を浄化して下さったことを話しました。「これまで腕がずっと痛くて家事をする時にも辛く感じていたが、今朝、煉功する時に、師父が私の腕を浄化して下さったのよ。ほら見て、どんなに伸ばしても上に上げても、全然痛くないの。本当に不思議だったわ」と夫に話しました。
私は「自分のそばに常に師父の法身がおいでになる」のをずっと信じています。私達にはただ見えないだけです。私は必ずしっかり学法して、何事も内に向けて探し、自分を修め、できる限り「三つのこと」をやり遂げ、多くの人を救い、師父に安心していただきたいのです。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」