心の中に師と法があれば、すべてが順調になる
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 【明慧日本2020年2月3日】私は1999年7.20の迫害前から法輪大法を修煉していました。二十数年の修煉の道で、師父が何度も守ってくださたおかげで、私は今日まで無事に歩んで来ることが出来ました。もし、大法の導きと師父の守りがなければ、今の私はいなかったと思います。ここで、自分の体験と修煉の中で起きた奇跡を書き出して、師父にご報告し、同修の皆さんと交流させていただきます。

 一、2行の文字が目に飛び込んできてから、『轉法輪』が読めるようになる

 私は小さい頃から学校に通うことが出来ず、字が読めませんでした。ある日、友人は私にとても素晴らしい功法だと言って、法輪功を紹介してくれ、1冊の『轉法輪』の本をくれました。『轉法輪』をもらった私は家に持ち帰り、夫に「この本を読みたいから字を教えてほしい」と頼みました。夫は「こんなに分厚い本を、どうやって教えればいいのだ」とちょっと怪訝(けげん)そうな表情をしました。そう言われた私は「教えてくれないと、跪いたまま起きないわよ」と強引に頼みました。そこで夫は仕方なく、「分かった、分かった。教えるよ」と応じてくれました。

 それから、夫は一語一語教えてくれました。だいたい1カ月後のある日、私の目に突然、2行の文字が飛び込んできました。「おかしいなあ」と思いながらも、その時は何だかよく分かりませんでした。家に帰って『轉法輪』をめくってみると、なんと本に書かれた文字がほとんど読めるようになりました!

 その後、私は普段通りに集団学法に参加しました。学法する時にはいつも、1段落ずつ順番に読みました。私の順番になった時、同修から「あなたの番だよ」と言われました。「よし、読んでみよう」と思い、私はゆっくりと1段落を読み上げました。私が間違いなく読み終わると、同修たちは皆驚きました。今まで字が読めなかった私が短期間で、きちんと『轉法輪』の本を読めるようになったのは、大法の奇跡だと言うしかありません。大法は私の知恵を開いてくださったのだと分かりました。

 二、パトカーも、私のこぐ自転車に追いつくことが出来なかった

 2000年の秋の事でした。ある日、私と数人の同修たちは翌朝の3時に、市役所の前に迫害反対の横断幕をかけて、迫害を実施する悪人を震え上がらせ、衆生を救い済度しようと決めました。その日ちょうど、師父の『北米五大湖地区法会での説法』が届いたので、私は決行する前夜に拝読しました。「師父の新しい経文を読むことが出来てよかった。明日はしっかり大法を実証しよう」と思い、勇気と自信が湧いてきて、ぐっすり眠りました。目が覚めるとちょうど早朝の3時でした。私はさっそく用意した横断幕を持って、自転車に乗って市役所方面に向けて走り出しました。

 市役所前に着き、周りを見ると人影もなかったので、何も考えずにさっそく横断幕を取り出して、重りをつけた側を木の上に投げて掛けようとしました。しかし2回も失敗したので、少し焦りました。「師父、どうして掛けられないのでしょうか?」と心の中で言いながら、もう一度掛けようとしました。とちょうどその時、突然、ある男性の声が聞こえてきました。「さ、行こうか」。私はやっと自分の前方に1台のパトカーが止まっているのに気づきました。後ろを見ると、いつの間にか、そこにも1台のパトカーが止まっていました。私は落ち着いて地面に落ちていた横断幕を拾い、きちんと巻いてコートのポケットに納めてから、自転車のサドルを軽くたたき、「師がおられ、法があるから、何を怖がるのか? さあ、行くわよ」と自分に言い聞かせながら、自転車に乗って走り出しました。

 自転車のスピードはますます速くなり、ますます軽く感じました。振り返ると、あら、パトカーがあんなに小さくなって、まるでマッチ箱のように見えました。警官らは一生懸命に私を追いかけ、私を探していました。その時、はじめて自分の自転車が地面から高く離れていることに気づき、まさに飛んでいるかのようでした。私は別の道で1人の同修と合流しました。彼は「一緒に来た数人の同修が連行された。速く家に帰ろう」と言いました。しかし、横断幕をまだ掛け終わっていなかったので、このまま続けようと決意しました。周りを確認したところ、大きなデパートの前でした。「昼になるとここは人が大勢行き来し、にぎやかな場所だ。よし、ここに掛けよう。師父がおられ、法があるから、何も怖いものはない!」と思いました。私は師父の加持の下で、残りの横断幕を全部掛け終えました。

 翌日、ある同修に会い、彼女は「ね、知っている? あの大手デパートの前に、われわれの同修がたくさんの横断幕を掛けたのよ! 大勢の人が見ていたわ」と嬉しそうに言いました。

 三、「本当に修煉する人なら、車に乗って」

 ある時、私は数人の同修とバスに乗って、ある田舎の市場に行きました。そこで人々に法輪大法真相を伝えている最中に、ある人に電話で警察に密告されました。

 しばらくすると、1台のパトカーがやって来て、私たちの前に止まりました。1人の警官が私たちにパトカーに乗れと言いましたが、私たちは誰一人動かず、ひたすら心の中で発正念をしました。そのまま十数分の間対峙したままの状態になり、警官から「パトカーに乗らないのなら、バスに乗れ!」と命じられました。このバスは現地の公安局を通ると後で分かりました。私たちはバス停でしばらく待っていると、バスが来ました。バスが完全に止まっていないその時に、1台の白い乗用車がゆっくり現れました。私が運転手に手を振ると、乗用車は目の前に止まり、私は急いで運転手に「私たちを助けて、乗せてください!」と助けを求めました。運転手は私に「あなたたちは何をする人ですか?」と聞きました。私は「法輪功を修煉する者です。警官らは道の向こう側にいて、私たちを連行しようとしています」と説明しました。「法輪功、本当に煉っていますか?」と運転手は確かめると、私は「そうです。本当に煉っています」と答えました。すると、運転手は「本当に修煉する人なら、車に乗って」と応じてくれました。路線バスがちょうど警官らの視線を遮った瞬間に、私たちは素早く乗用車に乗り、無事に現場から脱出できました。

 家に帰る途中で、私たちは師父がいつでも弟子たちを守ってくださっていると分かり、感激して涙が流れました。当時の気持ちは言葉で表すことはできず、私たちはただただ、師父に深く感謝しました。

 「修は己にありて、功は師にあり」[1]  、まさにその通りです。この体験で、私は大法弟子が何を行なっていても、実はすべて師父がしてくださり、弟子たちはただこの形式を利用して自分を修め、自分を高め、師父との約束を実現する中で、使命を果たすだけなのだと分かってきました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/1/18/399115.html)
 
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