河北省の学習者・張衛央さんが受けた迫害
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 【明慧日本2020年2月18日】河北省張家口市の張衛央さんは、法輪功を学んだ後、心身ともに受益した。1999年7.20から、中国共産党が法輪功を弾圧して以来、張さんと妻は何度も不当に連行され、派出所、留置場、労働労働教養所で、残忍悲道な迫害を受けて虫の息となった。また、家族は金銭をゆすり取られたという。

 以下は、張さん自らが受けた迫害経歴の一部である。

 私は張衛央で、1995年に技術学校を卒業して河北省燕興機械工場に就職した。1997年に法輪功を学び、心身ともに大きく改善した。法輪功は「真・善・忍」の教えに従って修煉するようにと人々に教え、人々の心を修め善へ導く功法であり、私にどうのようにすれば良い人になることができるか、もっと良い人になることができるかを分からせた。私は喫煙もせず酒も飲まない、賭博も一切しないし、とても健康だ。これは師父が大法を教えて下さったおかげで、今日の私があるのだ。

 法輪功は社会に対して百利があって一害なしであるが、江沢民は嫉妬心に駆られて法輪功への迫害を発動した。その「名誉をおとしめ、経済を切断させ、肉体を消滅させる」命令のもとで、幾千万の法輪功学習者がそれぞれの迫害に遭い、嫌がらせ、脅迫、連行、洗脳、労働教養、判決などの迫害を受け、障害をもたらされ、死亡した学習者は数えきれないほどいる。この迫害は中国で今なお継続しており、法輪功学習者が嫌がらせをされ、脅かされ、連行され、洗脳による迫害を受け、判決を下され、甚だしい場合、生きたまま臓器を摘出するという犯罪行為が、毎日起きている。

 以下は自分が受けた迫害の一部である。

 一、派出所で受けた残忍な迫害

 1999年7.20以降、勤務先の党書記・王丙新は、私に「法輪功を放棄する保証書」を書くこと、大法の書籍を彼らに渡すこと、みんなの前で態度を表明することを強要した。私は圧力に負け本心と違った保証書を書き、煉功する音楽テープと数冊の大法の本を渡した。

 その後も、私は依然として法輪功を固く信じ、機会を見つけて自分の言った嘘を訂正した。2001年12月8日午前、多くの人々に迫害の真相を伝えるため、私は張家口市橋東区寧遠堡村で法輪大法の真相を伝える掲示物を貼っていた時、法輪功を中傷する宣伝を信じた住民らにひどく殴られ、体が動かなくなって鼻血が止まらなくなった。彼らは賞金をもらうために私を老鴉庄派出所に送り、その後、拘禁した。

 派出所に行って私の解放を求めた妻は、罵られ、暴力を振るわれ、スタンガンで電気ショックを加えられ、トラの椅子などの拷問により苦しめられて気絶した。

 老鴉庄派出所で、警官らは私を一切眠らせずに高圧の電気棒で電気ショックを加え、唐辛子の粉を鼻に向けてかけ、押収してきた『轉法輪』の中の師父の写真を破って、燃やした。2001年12月17日、妻と一緒に張家口市留置場に拘禁された。

 二、留置場で受けた残忍な迫害

 張家口市留置場で、受刑者らは私を板のベッドに寝させないため、コンクリートの地面に寝るしかなかった。彼らはしょっちゅう私を殴ったり蹴ったりし、また数を数えながら私の両目を指で弾いた。私の両目は炸裂したかのような激痛だった。私は苦しめられて虫の息となった。

 留置場で妻は断食して迫害に抗議した。警官は受刑者に指示し、妻の鼻を摘んで口を押さえ、髪の毛を掴んで強引に濃い塩水を注ぎ込んだ。また、妻はほかの学習者と一緒に学法したため、警官に外に引っ張り出され、頭を踏みつけられた。

 家族は、私たち2人が苦しんでいるのを見かねて、老鴉庄派出所の警官らを食事に招待した。2002年1月6日、老鴉庄派出所の警官は家族に1万元(およそ157000円)を要求した。2002年1月7日昼ごろ、私と妻の出所を許可されたが、留置場側は食費として300元(およそ4700)を支払わせた上、家族が手続きを行う際に、さらに2000元(およそ32000)の支払いを要求した。

 三、北京で受けた残忍な迫害

 2002年の新年のあと、私たち夫婦は天安門へ行き、天安門城に登って「法輪大法は素晴らしい」と人々に伝えた時、警官に逆さにして引きずり降ろされ、服は擦り破れた。その後、パトカーに押し込まれて、付近の派出所に拘束された。そこで、ある警官は椅子を持って絶え間なく私の全身を強打しながら「〇〇学習者が、俺の手元でこのように障害を負った。俺に殴られた者は大勢いるが、お前のようなごく小さい存在は何にもならん、打ち殺しても大丈夫だ、自殺とみなすのだ」と言った。妻は北京の某留置所で、髪の毛を掴まれて壁にぶつけられた。

 その後、私たち2人は、労働教養3年を強いられ、河北高陽労働教養所に移送された。

 四、労働教養所で受けた残忍な迫害

 2002年3月の初め頃、河北高陽労働教養所では法輪功学習者に対する迫害キャンペーン企画が、新たに始まった。警官らは受刑者に地面に1メートルおきに鉄の棒を埋め込まさせ、鉄棒には鉄の輪があり、警官・王国友(元刑務所の医者)と王志台は、転向しない学習者の両手を別々に輪にはめて、罵りながら高圧の電気棒で電気ショックを加えた。毎回、警官は私が気を失う寸前で一休みし、また引き続き電気ショックを加えた。

 王国友は得意な表情で「洗脳というのはまさに料理を提供するように、一品ずつ出すのだ。また『痛いか?』、まだ『生きているか?』と聞き、急ぐことはない、毎日二三品の料理を提供する」と言った。私はたとえ死んでも絶対に彼らには従わないと決心した。すると、彼らは私に対して灌食を行なった。最初、一日1回から一日2回にまで灌食の回数が増え、灌食したあとに、彼らは膨らんだ私のお腹の上に何度も上がり踏みつけた。

 五、続く迫害

 2008年のオリンピックの時に、勤務先や住んでいる地域の街道事務所の関係者は「北京には行かない保証書」を書くようにと強制し、2015年8月25日~9月16日の間、各部門の関係者により嫌がらせを受けた。以上は私と家族が受けた迫害の事実である。

  (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/1/30/400468.html)
 
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