明慧法会|公安局と警察署の警官が私に会い 内装を頼んだ
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年2月24日】

 尊敬する師父、こんにちは。

 同修の皆さん、こんにちは。

 1996年3月、私は法輪大法を修煉し始め、宇宙の大法を得ることが出来てこの上なく嬉しくなり、長年の苦難と辛さは今日(訳注:1996年3月)修煉を始めることが出来るためであったかのようで、それから人生の方向性を得ました。もともと人と人との関係は前世の因縁であり、すべての不幸は業力の致すところです。『轉法輪』は本当に天の書物であり、絶えず読みさえすれば、すべての問題にみな解答を得ることが出来ます。

 一、心を広く持つと、窮しても道は開ける

 1997年夏のある日、私の夫が自転車に乗っていて、前方で女性の乗った自転車が倒れましたが、夫はその女性にはぶつかりませんでした。その女性も起き上がりどこもケガをしておらず、体に少し土がついていました。私の夫が遠くに走り去ったのを見てから、その女性は私の家にやって来て、夫がその女性にぶつかったと言い、200元(およそ3200円)を払って、事を済ませることが出来る、と言いました。

 我が家はその当時、生活が非常に困難で200元でさえ出せませんでした。最終的に、私は親戚から200元を借りました。私の夫はその女性にお金を払うことに同意せず、「彼女にはぶつかっていない」と言い、その女性の方も「私がゆすっていると言うのならもういいです」と言いました。この時は周りに多くのやじ馬がおり、私は夫に「あげましょうよ」と説得し、その女性はお金を受け取って去って行きました。

 私はその時「これは私が法輪功を修煉した後だからこそ起きたことで、今回のことはとても突然にやってきたことだ」とどのようにみんなに言えばいいのかわからず、みんな理解してくれませんでした。私は「これは絶対に常人のことではなく、私の心性を高めようときっと師父が按排してくださった良いことであり、私は心性を高めて態度を幾分向上させなければならず、人と同じであってはならない」と心の中でわかっていました。師父も「自分のものなら、無くなることはない」[1] と説かれていました。

 それほど経たないうちに、何年も会っていなかった友人が続けてやって来て、友人達はみな親方でした。当時、私たちの家に電話はなく、友人は我が家がどこにあるのか街中の至る所を探さなければなりませんでした。「あの家がどうしたのか」を隣人も皆わからず、金持ちがあの家の家族に会って仕事を頼んでいた、ことしか隣人にはわかりませんでした。私の夫は仕事をしに行き、村の人も一緒に行きましたが、村の人には仕事もなく、村の人たちは再び戻って来ました。このようなお金を稼ぐ機会はみな師父が按排してくださったものだと私にはわかっています。師父は「失わなければ得られず」[1] と説かれました。私は200元のお金を失い、得たのは200元よりも多く、大法を修煉し幸せな星の下にありました。法輪功を修煉してから、私の家の経済はとてもよくなりました。

 2006年に再びある出来事が起き、前回とほとんど同じで、異なるのは前回と比べて私の常人の心は、さらに徹底して放下していたことでした。私の娘が十数歳の時に、私は新しい自転車を娘のために買い求め、娘は自転車に乗る練習に行った先で、老婦人にぶつかり、その時は何もなく、老婦人がただいくらか子供をののしり、「自転車をゆっくり走らせれば、それですむでしょう」と子供に注意しました。

 1カ月以上が過ぎ、老婦人の夫婦がやって来て「あなたの家の子供が自転車に乗って私にぶつかり、その時は何でもなく、その後に肋骨が痛くて息が詰まり、病院に行ってレントゲン写真を撮ると、肋骨が1本骨折しており、このレントゲン写真とこの薬の用紙を見てください。これを認めますか?」と言いました。私は「あなた方はかなりの年輩で、この薬の用紙はわざわざ持って来なくてもよかったのに。私が法輪功を修煉していることは知っておられるので、手助けが必要な人に出会えさえすれば、私は認めます。私は今日ポケットに100元があるので、このお金を持って行き、帰ってからきちんと診てもらい、いくらお金がかかろうと私はすべて承認します。何らかの請求書を持って来る必要はなく、いくらかかったかを言ってもらえば、払います。数日したら私は支払いを済ませ、支払ったらあなたに見せに行きます」と言いました。

 この老婦人の夫婦は満足して帰って行きました。数日たって、私は支払いを済ませ、老婦人の夫婦に見せに行くと、老婦人は完全に別人のようでした。老婦人の娘は「私の母は全身いたるところ病気で、ここ数年ずっと弱っており、私たち子どもがいますので、あなたのこのお金はいらないわ。大法を修煉している人だからこのことを承認していますが、もし私なら、絶対に承認しませんよ」と言いました。話しながら老婦人の娘は母親を見ました。老婦人と娘は「お金は要らない」と言いはり、私は何も負担しなくてもいい、と言い張りました。

 そこで私は小売店へ行って4種類の贈り物を買い、老婦人とその娘に会いに戻りました。娘は「あなたが我々のことを怒らないとは本当に思わず、また会いに来るなんて」と驚きました。お年寄りは何度も「ありがとうよ、こんなにしてもらって、ありがとう」と言いました。私は「大法の師父がこのようにするように教えてくださり、お礼を言うのなら、師父にお礼を言ってください」と伝えました。

 再び老婦人とその娘の家に行った時、私はすでに老婦人の家の尊敬すべき客人になっていました。そこですぐに、老婦人の娘は共青団と少年先鋒隊を脱退し、老婦人の夫婦はいつも「法輪大法は素晴らしい」と念じていることを聞きました。

 20年間の修煉の道で、ゆすられた出来事は何度か起こりましたが、私はそれらを「承認」して、心を寛大にしました。するとその後は、いつも窮していても、道が開ける出来事が待ち受けていました。

 二、縁のある衆生に積極的に真相を聞かせる

 (1)公安局(中国共産党)書記が私に会って 内装を頼む

 私と夫は家の内装の仕事をしています。家を訪ねて来て私たちに内装を頼んでくる人はとても多く、当然、これらはすべて師父が按排してくださったことです。中国共産党の書記と、警察署の警官も来て、お金を稼ぐ機会を私に与えているとは、かつては思いもしませんでした。

 ある日、村から黒い乗用車が1台来て、運転していた警官が私の名前を言いながら、どこに住んでいるのか、探していました。幾筋かの道を走り探していましたが、人々は誰も知らず、誰も警官に伝えず、真相を知っている同郷の人達はみな大法弟子を保護しているという自覚がありました。1人の同修が走って来て手紙を届け、1人の警官がパトカーを運転して私を探しに来ており、早く身を隠すように、と言いました。私は「出て行って見て来ます、捕まえに来たのではないようですから」と言いました。

 そこで私は出て行き、車の中の人に「私はあなたが探している者ですが、何か用ですか?」と言うと、警官は「初めてここに来ました。ここはどこですか。人に聞いても誰も教えてくれず、あなたは人との縁がよくないのですか?」と言いました。私は「ちょうど反対で、同郷の人は私を守ってくれているのです」と言いました。私は「ご存じですか、私が法輪功を修煉していることを」と尋ねました。警官は「知っています。書記が家を買い新しい家は内装が必要で、他の人は信用できないので、私が派遣されて頼みに来ました。ここに来て少し探せばすぐにあなたに会えると言われましたが、誰も教えないとは思いもしませんでした」と言いました。私は「以前、パトカーを運転して来た警官はみな私を捕まえ、私を迫害しに来て、同郷の人はみな私を守ってくれるので、あなた達には教えません」と言いました。私は警官に大法の素晴らしさを伝え、現在受けている迫害を伝え、「天安門焼身自殺」はウソであり、ワナであると伝えました。警官は「あなた法輪功を修煉する人は皆よい人であると書記は言い、これからは私も同郷の人のようにあなたを保護します」と言いました。そして、書記の新しい家の内装を私は請け負いました。

 書記の家に着き、書記は妻に「彼を親切にもてなし、家の中にあるごちそうはみな持って来て、正午には食事を作ってあげなければなりません。彼らは一般の労働者ではなく、法輪功を修煉している人です」と言いました。私は書記と書記の妻に真相を伝えました。

 私は「共産党は当初武力で天下を取った時、共産主義を実現することを承諾しませんでしたか? いつ実現しますか?」と言うと、書記は「当初言っていたことは聞こえがよく、人を騙していた」と言いました。私は「あなた達は入党時『苦労する時は人の先に立ち、楽しむ時は後に回る』と宣誓しませんでしたか? 汚職腐敗の中でどうやってこのように行なうのですか?」と言うと、書記は「それはスローガンを叫んだのであり、庶民をごまかすものだ」と言いました。私は「あなたの邪党に対する理解は私より多く、私は『共産党についての九つの論評』を読んで、はじめて庶民が中国共産党にきわめてひどい害をもたらされているのを知りました。あなたは『共産党についての九つの論評』を読んだことがありますか?」と聞くと、書記は「ありません、何という本ですか?」と言いました。私は「共産党を論評している本で、非常に詳細で透徹しており、明日1冊持ってきて差し上げます」と言うと、書記は「わかりました」と言いました。

 私はまた「2001年の『天安門焼身自殺事件』ですが、あなたは知らないかもしれませんね?」と言うと、書記は「知っています、内部で伝わっており、公安システムの人員の何人かが、旧正月の大みそかの前日に突然に北京に派遣されました。そして何事か知らずに戻って来て語ったのは、大みそかの午後天安広場に着いて火を見て、戻らされたことです」と言いました。私は「それは完全に中国共産党が前もって戦略をめぐらせていたことで、法輪功に濡れ衣を着せ、罪に陥れるためのでっち上げです」と言うと、書記は「あなた達は何でも知っているのですね」と言いました。

 私は「今は文化大革命の時期ではなく、あの時は情報が封鎖され、庶民に事実の真相を理解する方法がなく、今はインターネットの時代で、私はネット封鎖突破ソフトを持っており、あなたに送ることができ、あなたは自分でインターネットで見てみてください。私はさらに神についてのことを知っています」と言いました。書記は「ほら吹きは、法を犯さない」と言いました。私は「私は少しもほらなど吹いておらず、あなた達のあの党のように、いかさまをし、無神論を宣伝し、庶民に神を信じさせないようにしたりしません。しかし私は役人の家に来て仕事し、あなたの家はすべてさまざまな福の神を祭ってあり、あなたの家でも少なからず祭っていますね?」と言うと、書記は「あなたのおっしゃる通りです」と言いました。

 私は書記に伝え「あなたが入党した時、こぶしを挙げて宣誓した時、命をささげる、と言わなければなりませんでしたが、確かに、こういうことがありましたね? このことが今ではとんだ大問題です。中国共産党がどれだけ悪事を働いたかをあなたは私よりはっきり知っており、あなたが脱退しなければすべての悪事はあなたの一部であり、責任を逃れられませんよ」と言うと、書記は「誰でも知っており、何の良い結果もなく、どんな方法があるでしょうか? 幸いにも私はもうすぐ定年になり、すぐに退職します」と言いました。私は「もちろん方法はあります。だからこそ神と呼ぶのではないですか? 国外で脱党ウェブサイトが成立しており、私はあなたの脱退を手伝うことが出来ます。あなたもネット封鎖を突破して自分で脱退することが出来ます。幼名でも、仮名でも大丈夫で、方法はとても簡単です」と伝えました。

 仕事が終わり帰る日に、書記は不在で、書記の脱党のことを私は書記の妻に尋ねました。書記の妻は「ネット封鎖を突破して外の世界を見て、本当に驚きました」と言い、書記は実名で脱退しました。というのは、書記の名前は一般的な名前で、インターネットで調べると同じ名前の人が多くいたからです。書記の妻は「これから私の親戚が来て、私も彼らにこのように『三退』させます」と言いました。私は「あなた達が党を離れ、神の側に立たれたことにお祝いを申し上げます」と言いました。

 これはまさに師父の按排であり、そうでなければ公安部門の書記に、こんなに多くの真相を伝える機会などあるでしょうか。

 (2)警察署の警官達が真相を理解する

 地元のある警察署が内装が必要になり、大法を迫害することに最も積極的だった前任の署長が転勤したあと、新任の署長は元の副署長がなり、どちらかというと真相を理解していました。新任の署長が私に会い内装を依頼したのは、大法を修煉する人が信用できるからです。さらにもう一つの理由は、ここ数年の迫害に対して、すまない気持ちを持っていたからです。当初、新任の署長は副署長だったので決められず、今では良くなり、警察署は新しい署長の天下になりました。果たして新任の署長が在任の数年間に、地元の修煉環境はとても余裕が生まれ、何度も不当につかまった大法弟子を、新任の署長は無条件で大法弟子たちを家に帰しました。

 警察署に内装に行き、心の中で思ったことは「まず行なわなければならないことは、署長たちが大法書籍を読むことを手伝わなければならない」ことでした。ここの警察は同修たちの家から多くの大法書籍を不当に押収し、警官達の手にありました。ある日、ある警官が本を2冊持って来て、2人の警官は読むことが出来ず、何の意味かもわからない、と言いました。私は警官と一緒に師父の『二〇〇二年ワシントンDC法会での説法』と『二〇〇三年ワシントンDC法会での説法』を読みました。警官はまた「ここ数年は上からの命令はいつも法輪功学習者を捕まえに行くことですが、煉功がどんな様子なのかさえ見たことがなく、ただ1冊の本に写真があっただけです」と言いました。そこで私は警官に五式の功法を演じて見せました。

 仕事中、警官とたくさんの話しをして、私は警官に「あなた達には『銃口を上に向ける』権利があることを知っていますか?」と聞きました。私は「命令を執行することはあなた達の職責であり、『銃口を上に向けて』正しく打たないこともでき、これもあなた個人のことです」と言いました。警官は賛同を表し、「この方面のことを考慮したことが全くなく、ただ中国共産党が警察署のこの部門を犬のように動かしていることだけを知っており、誰かにかみつくのであればかみつきに行かせられていた。しかしこれからは、頭を働かせればいい。なんと自分には多くの選択肢があったことか」と言いました。

 私は、古人が「資産を多く残しても、子や孫達がこれを上手に使うことは無理なことで、名著をたくさん残しても、これを読んで知恵をつけることも無理かもしれない。私が陰徳を積むことや、これが永遠の伝家の宝であり、末代の子供に恩恵もたらすものが徳である」と言っていたことを伝えました。警官は笑いながら「あなたの師父は本当に大したものです。あなた達に教えたものは教養があるかないかにかかわらず、言うことが皆そのまま優れた文章になり、さらに文語の口調になっています」と言いました。私は「それは当然です。それは何でもないことで、私はさらに最も重大なことを知っています。法輪大法はすでに100以上の国家と地域に伝わり、脱党した人数は日増しに増えています」と伝えました。

 警官は「あなたはネット封鎖を突破したのか?」と言いました。私は「あなたは『三退』しましたか? このことは時間を無駄にしてはいけないことで、もしかしたら、大淘汰は明日、明後日のことかもしれず、仮名やペンネームで脱退しても同様に有効です」と伝えました。警官は「仮名はどうやってつけるのか?」と聞きました。私は「思い付きで名前を付けても大丈夫です」と言うと、警官は「考慮してもいい」という態度を示しました。

 (3)隣人「それなら私は脱退し、中国共産党から離れます」

 いつも積極的に私と話をして真相を聞く人に出会います。この間、ちょうど私が階上から下りていくと、ある人が話しかけ「あなたが何をしに行くのか私は知っており、あなたは皆よい人です」と言いました。私は「それなら誰かがあなたに『三退』のことを話したのですか?」と聞きました。その人は「そうですが、私もよくわからず、どういうことなのかわかりません」と言いました。

 そこで「三退」とは何か、なぜ「三退」しなければならないのか、をその人に伝えました。私は「あなたは幼い時に共青団に入り、赤いスカーフを巻きませんでしたか? そこから脱退しなければなりません。そうでなければあなたは中国共産党と同じになり、中国共産党が行なう悪事はあなたの一部になります」と言いました。隣人は「それなら私は脱退し、中国共産党から離れ、あなたと一緒にいます」と言いました。私は隣人に「いつも『法輪大法は素晴らしい』というこの言葉をたくさん念じれば、神の保護があります」と伝えました。隣人は、わかりました、と言いました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/9/395503.html)
 
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