1カ月の内に 6人の法輪功学習者が迫害死
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 【明慧日本2020年3月11日】(中国=明慧記者)明慧ネットの統計資料によると、2020年1月20日から2月16日まで、ごく短い27日の間、少なくとも6人の法輪功学習者が迫害により死亡した。黒龍江省チチハル市の李恵豊さん、遼寧省瀋陽市の校長を退職した李桂栄さん、瀋陽航空エンジニアの胡林さん、錦州市黒山県の張振才さん、阜新市の呉秀芳さん、湖南省岳陽市の範文秀さんの6人である。この6人の学習者たちは生前すべて不当に判決を言い渡され、刑務所で残虐な迫害を受け続けて死亡した人達である。

 ◇航空エンジニアの胡林さん 康家山刑務所で迫害死

 47歳の瀋陽市航空エンジニアの胡さんは2019年5月23日、法輪功迫害の真相資料を配布しているときに連行され、懲役2年の実刑判決を宣告された。そして、2020年2月16日午後1時、瀋陽市康家山刑務所で残忍な迫害によりこの世を去った。

 胡さんは2019年5月23日に連行された後、2019年6月20日に法庫県裁判所により懲役2年の実刑判決を宣告され、刑務所に収容された。法庫県留置場に拘禁されている間、胡さんは板の上で両手両足に手錠と足かせをはめられ、「大の字」にされて手足を引っ張られたまま、灌食された。さらに灌食後に、胃にチューブを挿入したまま放置された。また、胡さんは留置場で警官の指示を受けた受刑者らに猛打された。留置場での最後の1カ月間、胡さんは部屋の隅に動けないように固定されていた。苦しめられて痩せこけてしまった胡さんは、足の感覚を失い、臓器不全で数回も病院に運ばれ、救急措置を受けた。


'中共酷刑示意图:绑在床上灌食'
拷問のイメージ絵:縛られて灌食される

 留置場と公安局は命に危険がある胡さんを刑務所に送ろうとし、数か所の刑務所に連絡したが、すべて拒否されて受け入れられなかった。しかし、留置場は胡さんを解放せず、瀋陽市康家山刑務所に賄賂を渡し、2019年10月30日に胡さんを瀋陽市康家山刑務所に入れ込んだ。

 2019年11月7日、家族は胡さんと面会したとき、胡さんは極度に痩せこけ、自分で寝返りを打つこともできず、両足の感覚がない状態になっていた。家族はすぐに、胡さんの身体検査を行なうように要求したが、刑務所側に拒否された。「胡林は刑務所に着くと、法輪大法は素晴らしいと叫び、政治犯だ。死んでも釈放させない」と刑務所側は言った。

 胡さんは死ぬ前の最後の3カ月、刑務所側が数回にわたり、家族に「胡林は『転向』しないし、反省もしない。『法輪大法は素晴らしい』と叫び、食事もしない。自業自得なので、俺らはその責任を負わないぞ」と話した。家族は怒りの気持ちでいっぱいだったが、涙を呑むしかなく何もできなかった。

 そして、胡さんの友人や家族は関係部門を訪ね、胡さんの事情を話し、胡さんの解放を求め続けた。しかし、関係者らはさまざまな口実で互いに責任を逃れようとして、家族に嘘をついた。刑務所側はお正月と新型肺炎の防止を理由に、家族と胡さんの面会を拒否し、電話で話すことも許さなかった。

 2020年2月14日夜、康家山刑務所が胡さんの兄に電話し、「胡が病院に運ばれた」と告げた。そして、家族はすぐに瀋陽病院に駆けつけたが、重症の胡さんを病室の窓から見るだけで、病室に入ることは許されなかった。そして、兄はサインを強要された。16日午後1時に、家族は胡さんの死を告げられた。

 ◇元校長の李桂栄さん 遼寧女子刑務所により迫害死

 遼寧省瀋陽市元校長の法輪功学習者・李桂栄さん(78)は、2020年1月中旬に遼寧省女子刑務所内で、残酷に迫害されて死亡した。

 李さんは元大東区合作街小学校の校長で、以前5%の賃上げのチャンスを同僚に譲ったことがある。合作小学校をよく管理して周りに好評を博した他に、「区の優秀校長TOP10」にも選ばれたことがある。

 2006年10月17日、当時64歳の李さんが人に法輪功の無実を伝えた時、瀋陽市和平区610弁公室の関係者に身柄を拘束された。李さんは2007年の初めに、市和平区裁判所に懲役7年の不当な判決を宣告され、遼寧省女子刑務所で残忍な迫害を受け続けた。

 刑務所の警官は李さんを転向させるため、命令を受けた受刑者らに李さんを殴打させ、靴の底で李さんの手を踏んだ。李さんの手はすぐに青紫色になってコブができ、全身がアザだらけになった。ある日、李さんは髪の毛を引っ張られたまま走らされた結果、大量の髪の毛が抜け落ちた。また1日半から2日半をかけて、しゃがむ姿勢を強いられた上に、その途中での食事を摂ることやトイレに行くこと、睡眠をとることなどを禁じられた。 

 2013年10月17日、李さんは懲役7年の刑期を満了した。その時の李さんは酷い迫害で身体が衰弱し、髪の毛はごま塩状態のしらが頭になり、老け込んで全ての歯が抜け落ちていた。解放された李さんは法輪功を学ぶことで徐々に健康を取り戻した。

 2015年2月7日、73歳の李さんは市場で法輪功の資料を配っていた時に、中国共産党による法輪功への誹謗中傷を信じる人に通報され、瀋陽市渾南区公安局五三派出所に身柄を拘束され、家財を押収された。同年6月24日午前、渾南区裁判所は李さんに対して開廷し、懲役5年の実刑判決を宣告した。

 2020年1月中旬に、李さんは遼寧省女子刑務所で亡くなった。享年78歳だった。

 ◇12年間刑務所で残酷な迫害を受けた李恵豊さん 死亡

 黒竜江省チチハル市の法輪功学習者・李恵豊さん(男性)はかつて、懲役12年の重刑を受けたことがあり、吊し上げられ、生殖器に電気ショックを与えられ、独房に拘禁されるなどの残酷な迫害を受け続けた。そのため、李さんは一度瀕の死状態に陥ったことがある。長期的な残忍な迫害を受けてきた李さんは突然、2020年1月20日に脳出血を発病し、1月28日に世を去った。享年48歳の若さだった。

 李さんはチチハル市鉄鋒区景新小区に在住していた。李さんは法輪功を学んでいるという理由だけで、2001年1月22日、同市建華区の警官らに連行され、十万ボルトのスタンガンで生殖器に電気ショックを加えられた。

'酷刑演示:电棍电击'
拷問の再現:スタンガンで電気ショックを与える

 李さんは生前、「私は2001年1月22日、学習者・文傑さんの家を訪ねました。午後5時頃に突然、刑事警察第3中隊の警官ら5人がいきなり文さんの家に不当に侵入し、文さんと文さんの家を訪ねていた学習者全員を連行しました。私たち学習者5人は頭に布をかぶせられ、刑事警察第3中隊に送られ、取り調べられて、自白を強要されました。

 その後、私は両腕を背中に回され、かけられた手錠を2メートルの高さの鉄のフックにかけられました。これは拷問の一つで「上大掛」という刑です。それと同時に私の両足を縄で縛り上げ、縄を引っ張られると体がまっすぐになってしまい、とても苦しかったです。その上、警官がそばで私の体を蹴ったりして、体が揺れると一層苦痛を感じました。私の苦しんでいる姿を見て、警官はオレの楽しみはお前の苦しむ姿を見ることだ、と大声で叫びました。その後さらに、警官は十万ボルトのスタンガンで私の生殖器に電気ショックを与えたため、生殖器が焦げてただれました。また、この酷い拷問で私の腕は上げることが出来ず、拷問を受けた6カ月後に、やっと腕を上げることが出来るようになりました」と受けた拷問の残忍さを話した。

酷刑演示:吊铐
拷問の実演:吊るし上げられる

 2001年7月、李さんはチチハル市建華区裁判所に冤罪を被せられ、懲役12年の実刑判決を宣告された。大慶刑務所の所長が6人の警官らを引き連れて、李さんに対して殴ったり蹴ったりして、さらに、ベルトで殴った。それから、警官らは李さんに囚人服を着せて独房に連れて行き、鉄の椅子に座らせ、スタンガンや拳で猛打した後、7時間に渡り吊し上げた。

酷刑演示:毒打
拷問の実演:滅多打ちにされる

 2013年1月、刑期を終えた李さんはやっと家に帰れたが、帰宅した後も、常に地元の公安局の人員に始終、嫌がらせを受けて騒がされた。そのため、李さんはやむを得ず家から離れた。

 しかし、2020年1月20日に、長い間残忍な迫害を受け続けてきた李さんは脳出血を発症し、2020年1月28日に死亡した。

 ◇湖南岳陽市の善良な女性の範文秀さん 迫害死

 湖南省岳陽市君山区の法輪功学習者・範文秀さんは、懲役3年6カ月の実刑判決を宣告され、長沙女子刑務所で残酷な洗脳による迫害を受けた。その後、「10日しか生きられない」と医者に告げられた範さんは仮釈放されたが、現地の警官らによる嫌がらせ、恐喝を受け続け、2020年1月21日に岳陽市巴陵病院で死亡した。享年53歳だった。

'范文秀在病床上'
病床の範文秀さん

 範さんが29歳の時に夫が誰かによって殺され、今なお犯人は見つかっていないという。そのため、範さんはアルバイトをしながら、幼い娘を育て上げて大学まで進学させ、就職させた。 

 2017年9月1日、範さんは君山区許市鎮金盆村で法輪功の資料を配布した時、政府の嘘の宣伝を信じる人に通報され、許市鎮派出所の警官らにより連行された。

 2018年2月2日、君山区裁判所は範さんに対して開廷し、懲役3年6カ月の実刑判決を宣告し、さらに罰金5000元(およそ7万9000円)を科した。範さんの兄と姉たちは病院の診断書を持って、各部門を駆け回って解放を求めたが、「癌を患っていても刑務所に送らなければならない」と言われた。

 2018年3月13日、範さんは長沙女子刑務所に移送された。刑務所で、残酷な洗脳による迫害を受けた範さんは、身体の状態がますます悪化し、持病が再発して突然に卒倒した。2018年7月27日、長沙刑務所病院で手術をした時、大腸がすでに破れ、卵巣にも腫瘍ができていたことが分かり、「末期がんで、すでに治療できず、あと10日しか生きられない」と医者に告げられた。そこで、刑務所側から家族に仮釈放の手続きを勧められ、衰弱した範さんは帰宅できた。

 家族は範さんを岳陽のある病院にしばらく入院させた。退院後、範さんは法輪功の書籍を多く学び、煉功発正念を行ない、元気を取り戻した。外出したり、買い物に行ったり、料理も作れるまでに回復した。

 しかし、2019年3月から君山区の警官らは範さんの借家に侵入し、強行に監視器を取り付け、恐喝をした。精神的なプレッシャーの中で範さんは体調を崩して便血もあり、身体全体がむくみ、頻尿の症状も現れた。それにも関わらず、警官らによる嫌がらせは絶えなかった。

 このような環境の中で、範さんは娘に対する心配や無念の思いを胸に抱いて、2020年1月21日に、この世を去った。

 ◇遼寧錦州市の張振才さん 大連刑務所で迫害死

 遼寧省錦州市の法輪功学習者・張振才さんと妻・張連栄さんは2019年7月14日、人々に法輪功が迫害されている真相と法輪功の素晴らしさを伝えていた際に、警官らに連行された。その後、夫婦ともに実刑判決を言い渡され、張さんは大連の刑務所に収容され、妻は馬三家刑務所に入れられた。

 2019年7月14日夜10時過ぎに、黒山県東関村に在住の張さん夫婦は家を出て、当局のでたらめな宣伝に騙されないように、人々に法輪功の真実の話をしていたが、舒心園付近で警官らに連行された。

 その翌日の午後、警官らと村の共産党の書記が張さん夫婦の家に行き、家に侵入しようとし、張さんの息子の嫁を呼んで来て、ドアを開けるように要求した。しかし、息子の嫁は鍵を持っていないと言って断った。すると、警官らは張さん夫婦から押収した家の鍵を出し、勝手に家に入った。警官らは張さんの家を家宅捜索し、作りかけの『共産主義の最終目的』の本が入った箱を1箱、ペーパーカッター、粘着のりなどを押収した。

 2019年7月29日、黒山県公安局の警官らに陥れられた張さん夫婦は、検察庁から逮捕状を発布された。

 その後、当局の裁判所は張さんに懲役1年11カ月の実刑判決、妻に懲役2年2カ月の実刑判決を宣告した。その後、張さんは大連市にある刑務所に、妻は馬三家刑務所に移送され、拘禁された。

 2020年1月23日、大連の刑務所側が張さんの家族に電話をかけ、「張振才に膵臓がんが見つかった」と通知したが、2週間後の2月7日、張さんはこの世を去ったという。

 ◇迫害により植物人間にされた呉秀芳さん 死亡

 遼寧省阜新市の法輪功学習者・呉秀芳さんは懲役3年の実刑判決を受け、2018年8月19日、満期出所した時にはすでに痩せこけて、植物人間の状態になっていた。そして、2020年2月8日、呉さんは冤罪の晴れないままこの世を去った。享年64歳であった。

 呉さんは2015年8月18日、法輪功への迫害が書かれた内容の紙を街に出て貼ったため、阜新市海州区公安局の警官らに連行され、新地留置場に送り込まれた。その後、呉さんは起訴され、裁判所に懲役3年の実刑判決を宣告された。そして、2016年末、遼寧省女子刑務所に収容された。

 刑務所で残忍な迫害を受けた呉さんは脳出血を発症した。情報筋によると、刑務所で残酷に迫害された呉さんはそのため言葉もしゃべれず、目も動かなくなり、極度に痩せ、胃にチューブを挿入されて流動食を与えられ、自立生活が全く出来なくなり、昼も夜も介護が必要な状態になったという。

 2018年8月19日、家族は呉さんが出所する日に、痩せこけて植物人間になった呉さんを刑務所まで迎えに行き、呉さんをすぐに市鉱総合病院に入院させた。その後、友人が病院を訪ねると「呉さんは8月30日に退院した」と告げられ、呉さんの主治医は「呉さんは意識がないものの痛みは感じている。鼻から挿入したチューブで食事を与えている状態だ」と話した。

 呉さんには一人娘がいるが、娘夫婦は仕事をしながら呉さんの介護をした。呉さんは拘禁されてから年金の支給を停止され、亡くなるまで年金は支給されなかったという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/2/28/401790.html)
 
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