緩んだ環境では より精進しなければならない
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年3月26日】私は4歳の子ども弟子がいる、若い大法弟子です。私は精進しているとは言えず、修煉を怠け、いつも気ままに過ごし、子どもに腹を立て、その影響で子どもも短気で怒りっぽくなりました。時には、本当に言葉にならないくらい息苦しく感じます。その一方で「自分は大法を実証しており、あまり修めていない他の若い同修と比べると、まだましなほうだ」と自分を慰めたりもしました。

 お正月休みに、私は法輪功真相の資料を貼りに行こうと思いました。子どもはまだ幼く、夜は暗くて寒いので、結局、昼食後に出かけることにしました。新年には、親戚を訪ねる人が多く、私は人出の少ない路地を選び、すべての資料を貼り終えました。帰宅後、私はすっかり満足し、午前中に法を半講学び、午後、また資料を貼りに出かけました。家に帰ると、再び常人の生活を始めました。

 夜、夢を見ました。私は、自転車に乗っているお爺さんと一緒に大きなくぼみの傍にいました。私は下へ滑り降りながら、とても楽しくなりました。しかし、自分から少し離れているお爺さんが転倒するのではないかと心配していました。お爺さんは自転車に乗ってくぼみの底へ降り、また底から上がって来て、反対側の先ほどの場所より高い位置に止まっていました。目が覚めて、「自分は下へ降りるのがあまりにも速すぎる。なのに、それにまったく気付いていない。今の生活に満足して居心地が良いと思っている」ということがやっと分かりました。

 私が子どもの頃、ちょうど法輪功への迫害が始まり、いつも母について迫害の真相を伝える資料を貼りに出かけていました。当時の資料はまだ全て手書きでした。その後、家族が迫害され、私は二度と資料を貼りに行きませんでした。

 近年、実家に帰った時、村には真相を伝えるポスターがあまり貼られていないことに気付き、数人の同修と交流しました。ある同修は「村はお金を払って、それを剥がす専門の人を雇っている。貼っても、結局、剥がされ、その上、その人達に業をつくらせてしまい、いろいろ相談した結果、もう貼らないことにした」と言いました。またある同修は「村の幹部からの嫌がらせを恐れている同修も、貼らないようにと言ったから」と言いました。

 数年来、村では、同修が何人も亡くなりました。中には、連行され、拘禁された人もいましたが、ほとんどの人は直接迫害を受けたこともなく、病気になって亡くなりました。同修の死は常人達に良くない影響を与えました。私は、「ポスターはやはり貼るべきで、人を救うことが最も大事だ」と思いました。

 少し前、義母(同修)から、「叔母(同修)は、今、誰にも監視されていないのに、逆にあまり修めなくなったと言う人がいる」と、義母が見た夢を話してくれました。叔母はかつて迫害されたことがあり、家族も叔母の修煉にとても反対していました。

 同時に、私は自分自身のことも思い付きました。環境が緩やかになると、もっと時間を大切にし、もっと法を学び、もっと精進しようと考えるより、逆に、もっと快適な生活をしようと考えるようになりました。師父は「常人は、常人社会において常人にほかならず、いかに発展しようとか、いかに良い暮らしをしようとかばかり考えます。贅沢な生活をするほど、私心が強くなり、ますます多く占有しようとし、ますます宇宙の特性に背き、滅亡に向かうのです」[1] と説かれています。

 実は、人間は苦労を嘗めてはじめて業を消去することができ、業力を消去して、はじめて大法に救われるのです。古代の裕福で徳の高い人々は必ずしも贅沢な生活をしたわけではなく、むしろもっと倹約していたかもしれません。もっと自分に厳しく要求しています。

 古人は「憂患に生き、安楽に死す」と言いました。私達は修煉者であり、くれぐれも自分の修煉を安逸心に壊されないようにしなければなりません。

 師父は「環境が緩和されればされるほど、緩んではいけません。環境が緩和されると安逸の心が生じやすく、緩みやすくなるので、これではいけません。必ず明慧ネットをしっかり運営すべきです」[2] と説かれています。

 師父のこの法に基づき、お互いに励まし合いながら、必ず自らの修煉の道をしっかり歩んで行きます。

 個人的な見解です。同修の皆さんの慈悲なるご指摘をよろしくお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「明慧ネット十周年法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/1/28/400372.html)
 
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