【明慧日本2020年4月1日】雲南省昆明市の法輪功学習者・羅白秀さん(52歳女性)は法輪功を修煉して、法輪功の真相を伝えたため、2007年に連行されて懲役3年の実刑判決を受けた。2015年に再度連行され、懲役3年6カ月の実刑判決を受けた。羅さんは雲南第二女子刑務所で服役していた時に、ご飯に不明な薬物を入れられる等の迫害を受け、その他にも、手足を縛りつけられたり、殴打されたり、酷く灌食されたり、独房に閉じ込められるなどの残忍な拷問を受けた。
法輪功を修煉して病気が治り、家庭生活も平和になる
羅さんは法輪功を煉る前には、深刻な肩関節周囲炎を患い、多くの病院に通ったが治らなかった。そのため当時、服を着ることや髪をとかすことなどの簡単なことも出来ず、自己管理ができなくなった。
友達の紹介で、羅さんは法輪功の五式の功法を学び、1週間後、肩関節周囲炎が治り、全身が軽く感じるようになった。さらに、『轉法輪』を読んだ後、羅さんは人生の意義が分かり、それから毎日煉功して学法していた。
修煉する前は、羅さんの性格は強気でかつ短気であり、家のことはすべて羅さんの一存で決め、姑関係がうまくいかなかった。しかし修煉後、羅さんは性格が変わり、優しくなって家庭生活も争いごとがなくなり、平和になった。
通海県留置場で受けた迫害
2004年6月のある日、610弁公室の人員らがいきなり羅さんの家に押し入り、家宅捜索を行ない、多くの家具を押収し、後羅さんを連行して留置場に入れ28日間拘禁した後に、解放した。羅さんが解放されたのは、家族が羅さんが煉功をしないように監視する、と約束をしたからだという。そこで、羅さんは3年の間は解放の期間となり、家で裁判待ちの状態になった。
しかし、中国共産党からのひどい迫害を恐れた夫は、羅さんと離婚した。そのため、羅さんは帰る家がなくなり、仕方なく放浪生活を余儀なくされた。
懲役3年の実刑判決を受け、雲南第二女子刑務所で酷く迫害される
2007年7月7日、中国共産党の人員らが再び羅さんのアパートにいきなり押し入り、羅さんを連行し、その後、懲役3年の実刑判決を下し、雲南省第二女子刑務所に収容した。そこで、羅さんは毎日18時間もの間、細い小さな椅子に座ることを強要され、シャワーも禁止され、法輪功創始者を誹謗中傷するビデオを毎日見ることを強要された。羅さんの健康に関心を示すという口実で、常に羅さんから採血して化学検査をした。健康状態が良いのに、7、8人に押えつけられて不明な薬物を注射された。
羅さんは自分の出されたご飯やおかずが、いつも苦いと感じていたが原因が分からなかった。ある日、羅さんはドアの隙間を通して、ある受刑者が羅さんのご飯に粉末状の粉を入れているのを目撃した。羅さんはそれを見て断食を始めた。そのため複数の受刑者らは、羅さんに手錠をはめて押えつけ、灌食を無理やり行ない、羅さんを呼吸困難な状態にして痛めつけた。
昆明市留置場で受けた残酷な迫害
2015年9月3日、羅さんは人々に法輪功の真相資料を配布していた際、現地の公安局の警官らにより連行され、昆明市留置場に収容された。そこでは衛生用品を提供してくれず、ズボンが汚れても着替えることが出来なかった。厳寒のある日、警官の黄がある受刑者に指示し、冷たい水を羅さんの頭の上から1杯また1杯と繰り返しかけさせた。
警官の盛が羅さんの両手を鉄の大門に縛りつけ、足かせをはめ、汚い靴の中敷きを羅さんの口の中に入れ、それからガムテープで口を閉じた。さらに、羅さんを15日の間、独房に閉じ込めた。羅さんは断食してこれらの迫害に抗議したが、悲惨にも灌食された。
警官の黄は4カ月ぐらい留置場にいなかった。それはなぜかと言うと、警官の黄が悪事を働きすぎて報いに遭い、娘が死んだからだという。警官の黄は留置場に戻った後、羅さんに対する態度が一変し、改善したという。
雲南省第二女子刑務所で受けた残忍な迫害
2016年8月23日、羅さんは連行され、雲南第二女子刑務所に収監された。そこで人との会話や法輪功の真相を話すことを禁止された。羅さんは受刑者によく虐待を受け、地面に転がされていた。日用品の購買も禁止された。
手足を縛りつけられて独房に7日間閉じ込められ、睡眠を剥奪されて横にもなれず、座ったまま夜を過ごし、布団もなかった。目を閉じるとすぐに、唐辛子の汁を顔にかけられた。迫害に抗議するため、羅さんは7日間断食した。
羅さんは独房に閉じ込められ、手錠をかけられ、口をガムテープで閉じるなどの肉体的な酷い拷問を受けただけではなく、精神的にも侮辱や虐待を受けた。