香港法会|正念を保持し 三つのことにしっかり取り組む
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文/香港の大法弟子

 【明慧日本2020年4月7日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 師父は「大法弟子として、三つのことにしっかり取り組むことは最も重要なことです」[1] と説かれました。

 自分が修煉を始めてから今までの6年間を振り返り、三つのことはほぼ行ないましたが、やり足りず、しかしその中でも、またさまざまな体得があり、三つのことは互いに補完し合うものだ、ということがわかりました。そしてまた、三つのことはみな合わせて、しっかりと行なわなければならないのだ、ということがわかりました。

 一、学法煉功

 私はフルタイムの仕事をしており、仕事の時間が比較的長く、これまでの数年間は学術の研究にも気を配らなければならず、毎日の空いた時間は多くありませんでした。修煉を始めた後の1年目を振り返り、私はまだ、法を実証するプロジェクトに参加していなかったので、休みの日になると、戸口から一歩も出ずに『轉法輪』や大法の経書を学び、時には1日中連続で8時間、10時間と絶え間なく学びました。出勤する日は法を学ぶための多くの時間がなく、その他の時間は、さらに博士論文を完成させなければならないので、わずかな時間をさらに大切にしなければなりませんでした。平日は帰宅途中で、携帯電話でも法を学ぶことができ、さらに遠出をする時は、飛行機の中でも、電車の中でも『轉法輪』を手に取って絶え間なく学ぶことができました。『轉法輪』を何回も学びましたが、通読の段階でずっと停滞していました。修煉を始めてからしばらくして、すでにある同修が『轉法輪』をすべて暗唱できると聞き、その時はそれを聞いて不思議に思いました。ですがその時、私は『轉法輪』を覚えようとは思いませんでした。小同修が『洪吟』を暗唱できると聞き、これはまるで比較的楽に掌握できるかのように思い、「それなら、私も『洪吟』を覚えよう!」と思いました。

 その後、私の論文がついに完成し、また時間がそんなにきつくないと感じ、その時に頭の中に突然「暗唱!」という念が持ち上がりました。始めたばかりの時は私も迷いました。しかし、暗唱というこの念はずっと浮かんでいます。ある日の帰宅途中の電車の中でついに決心し、暗唱を始めました。幼い時から成長するまで、本を読んで暗唱に慣れていたのかもしれません。1、2段目を覚えた時のことを覚えているのですが、最初は順調でしたが数段多く覚えた後、困難に感じました。その時ちょうど、明慧ネットで暗唱に関する多くの交流文章が掲載され、他の同修の体験交流を読み、私も1段落ずつ覚えることを試してみました。すべての段落で一字の間違いもなく数編覚えることができた後、続けて次の段落を覚えました。始めから暗唱することはそれほど困難ではありませんでしたが、簡単ではありませんでした。自分の暗唱が遅いことがわかりましたが、あきらめようとは思いませんでした。

 最後にほぼ2年の時間を費やし、私はついに一通り暗記し終わりました。法を覚える時もまた、心を修める過程でもあると感じました。こんなに長くて、こんなに困難で、この先続けていけるのでしょうか? 法を覚えることによって、また法の内涵をさらに深く認識し、さらに何事かに遭い、トラブルに遭った時もすぐに法に則って自分を照らすことができます。自分が法を覚えることに勤勉であると感じる時、法を実証することを行なうのも比較的順調であり、真相拠点へ行って観光客に真相を伝え、観光客の反応も比較的肯定的で、真相資料を配る時も多く配ることができます。今私はすでに2回目の法の暗唱を始め、1回目と比べて速度が速く、そんなに困難ではないと感じています。

 修煉してから、煉功は私がずっとうまく行なえない部分です。修煉を始めたばかりの時、煉功したくありませんでした。修煉を始めるとすぐに両足で座禅を組むことができ、さらに始めてしばらくして、1時間座禅を組むことが出来ましたが、毎回抱輪(訳注:法輪を抱える動作)は力が入らないと感じました。ですから、毎日の煉功は言うまでもなく、数日に1回の煉功さえも保証できません。このようなことがよくないとわかっていますが、いつもいろいろな言い訳をして煉功できませんでした。しかし心の中ではずっと、朝の煉功を堅持している他の同修を敬服していました。

 ある時期になって、明慧ネットで煉功に関する多くの交流文章が掲載され、そこで決心をし、毎朝4時過ぎに起きて煉功し、まず静功を行ない、それから発正念をし、それから動功を行ない、それから出勤します。始めた時は、こんなに早く起き続けなければならないことは、本当に容易ではありませんでした。しかし、早く起きることによって、眠くなったり仕事に影響することはなく、かえって、煉功を続けない日は、疲れやすいと感じ、精神状態も悪く、発正念の時もすぐに居眠りしてしまいます。時間通りに煉功した日は、師父が要求なさっていることを自分が行なったと感じ、非常に調子がいいと感じます。しかし、このような状況はいつも繰り返され、自分が規律通りにずっと煉功し続けられることをいつも望んでいました。

 二、真相を伝える

 修煉を始めてから2年目に入り、私は法を実証するプロジェクトに参加し、観光客の来る真相拠点で真相資料を配ったり、パレードと集会の裏方の仕事などをしました。当初は真相拠点に行った時、自分の中国語が下手だったため、私は主に法輪功の真相パネルを掲げて観光客に見せ、観光客が質問した時にだけ、できるだけ答えるようにしました。その後「このようなことに恐れているわけにはいかず、純粋な気持ちで、平和で善良な態度で彼らに真相を伝えさえすれば、私の話し方が上手でなくても、彼らは心を動かすだろう」と思いました。

 ある時、観光客の団体がまさに観光バスを待っており、その間私の真相パネルを取り囲んで見ており、観光客たちは「天安門焼身自殺事件」の資料をまさに見ており、私は積極的に「この事件について聞いたことがありますか?」と観光客たちに尋ねました。観光客の中の1人がキレた口調で「もちろんあるよ、テレビで報道しているし、あんた達の修煉者が焼身自殺したんだろう」と答えました。周りにいた他の観光客も論じていました。

 この時、私は正念を発しながら、言い争ってはいけない、いきり立ってはいけない、と自分に注意し、そして微笑みながら、気持ちを落ち着かせて天安門焼身自殺事件のそれぞれの疑問点について、観光客たちに説明しました。観光客たちは私の説明を聞き終わった後、表情と口調が変わり始め、もともとキレた口調のあの観光客は、懇々とした口調に変わりました。そして、「あなたの説明で私はよくわかりましたが、ここであなたが観光客一人一人に説明しても、何の意味もなく、あなたはメディアを探して大規模に説明すべきです!」と私に言いました。私は微笑みながら「今日あなた達が理解し、私がここに来たのも無駄になりませんでした。観光客一人一人に話すだけでも、だんだん多くの人が真相を知るだろうし、さらに、あなたも私に替わって家族や友人に伝えることができます。それならさらに多くの人が理解するでしょう」と応じました。

 それから、観光客たちに大紀元や新唐人などのいくつかのメディアを紹介しましたが、観光客たちは聞いたことがなく、私はネット封鎖突破ソフトで見るように観光客たちに提案しました。別れの時、観光客達はさらに微笑みながら私に手を振り、別れのあいさつを交わしました。話している間、私の中国語は流ちょうではなく、説明する時も十分でなく、いい説明ではありませんでしたが、そういったことは最も重要なことではなく、最も重要なことはその正念であり、大法の真相を伝えて人を救おうとするその心である、ということが私にはわかりました!

 真相拠点に行って中国の観光客に大法の真相を伝える以外に、そばにいる家族や友人に真相を伝える重要性に気づきました。それで、思い出したように真相資料を家族に見せることがあり、家族や友人に真相が書かれた小さな蓮の花などを送り、また、神韻を鑑賞しに家族や友人を地方に連れて行きました。しかし印象が最も深かったのは、私の論文の指導教官に大法の真相を伝えたことです。教官は学識が豊富で、善良で温和な人です。私が学んでいた期間にとても手助けしてくれ、教官と縁があると私はずっと感じており、教官に大法の真相を伝えたいと思っていました。しかし、中国共産党のデマと誹謗中傷に妨げられ、さらに教官は大学では副校長でした。当時、私は修煉を始めたばかりで正念も強くなく、教官のような高学歴で高い地位の人は、私の話を聞いてくれるのだろうかと思いました。私の話を聞き終わった後、また私に対してどのように思うだろうか、と感じていましたので、ずっと黙っていました。

 私は卒業まで時間がかかってしまい、私は「ここで言わなければ、機会を失う」と思いました。そこである時、勇気を奮い、教官と会う約束をして大法の真相を伝えました。「私は大法を修煉しています」と教官に話しました。そして大法のパンフレットを教官に渡し、それから大法弟子が中国共産党に酷く迫害されている状況を伝え、また、私たちがどのように真相を伝え迫害に反対しているかを伝えました。そして、大法が世界に広く伝わっている状況を伝えました。私が話している間、教官は辛抱強く聞いてくれました。それから教官は私に「なるほど、実際あなたの説明はよくわかりました。以前、私がアメリカで教師をしていた頃、ある友人が私に同じことを伝えたことがあります」と言いました。それから教官は再び私に大法に関することを尋ねられ、教官はわからない部分があると感じたようでした。その瞬間に私は感動で泣き出しそうになりました。私はずっと話を切り出しにくいと感じていましたが、実際はすべてを師父が代わってしっかり按排してくださり、口を開いて話し、手を動かすのを待っていらっしゃったのです。その後、私も引き続き教官と連絡を取り、毎年神韻公演の情報を私は教官に送りました。そして、教官にその機会があり、縁があって神韻公演を鑑賞しに行くことを希望していました。

 三、発正念

 発正念は三つのことの一つで、師父は何度も発正念の重要性を説かれました。

 師父は「大法弟子よ、皆さんの正念は作用があるのです。一人ひとりが働いた作用が合わさると、巨大無比なものになります。それほど大きな作用が現れなかったのはあなたの信念が足らず、正念が足りないからです。これほど多くの大法弟子は同じ時間に全世界で正念を発し、一億以上の大法弟子が全世界で同じ時間に正念を発していますが、邪悪と旧勢力にとって恐ろしいことではありませんか? 神にとっても非常に壮観な光景です。なんと強い力でしょう! 一人の大法弟子は正念が非常に強ければ、山を切り分けることができ、一念でやり遂げてしまいます」[2]と説かれました。

 しかし仕事の関係で、私はいつも正午と夕方の2回の正時での発正念ができませんでした。どうすればいいでしょうか? 私はそこで他の時間に補いました。多くの場合、バスに乗っている中で、いつも発正念することがあります。その他にも、心の中で「法輪大法は素晴らしい 真・善・忍は素晴らしい」と念じながら、この正念の場がその他の衆生に対して、作用を発揮するであろうことを望みました。

 地元での大法の真相を伝える環境は、切り開くのが容易ではなく、多くの真相拠点はみな邪悪の徒が妨害していました。私たちが観光客に真相を伝えていると、邪悪の徒たちはあらゆる手段を使って嫌がらせをし、攻撃してきました。ですから、毎回真相拠点に着く前に、私は暗唱した『論語』を唱え、発正念をすることにしています。真相資料を配る時にも私は発正念することがあり、衆生が真相を理解することを妨害するすべての良くない要素を打破することを望んでいます。

 また、法輪功迫害の制止を訴え、真相を伝えるパレードと集会の活動に出会えば、さらに発正念を強めました。法を実証する他のプロジェクトを行なう時も同じです。幾人かの同修たちと異なり、自分の発正念の威力を見ることができますが、最近ある出来事があり、発正念の力を体験会得しました。

 毎年中国の旧正月は、地元の同修はみな年越し市場に大法の真相ブースを設置し、真相資料や小さな蓮の花などを配り、またブースで大法の真相に関するビデオの一部を流します。今年(訳注:2019年)私と同修である夫がビデオの編集の準備をしていた時、パソコンが壊れ、ビデオが動かせなくなりました。どうすればいいでしょうか? あと2日で年越しのブース内での活動が始まるというのに、パソコンの真っ黒の画面を見ながら、どうすればよいかわからず、発正念をしました! しばらくすると、ビデオを動かすことができ、最後にやっと編集の仕事を順調に完成させました。しかし後になってパソコンを検査した時、なんと基盤全体が焼け焦げていることがわかりました。一方では幸いにも何も起こらず、一方では当時、そのパソコンがどうして依然として起動し動いたのかが不思議で、心の中で絶えず師父に感謝を申し上げるだけでした!

 気が付けば、大法を修煉してすでに6年が経ちましたが、自分にはまだしっかり行なえていない多くのところがあると感じました。いつも「すでに新しい修煉者ではない」と自分を諭し、自分に対して要求を高くし、大法弟子として三つのことをしっかりと行ない、しかもまじめに、心を込めて行なわなければなりません。最近、私はいつも師父の新経文の中のお言葉を思い出します。ここで師父の新経文の中の「初心貫徹」の熱い言葉自分を励まし、また、同修の皆さんと一緒に励まし合いたいと思います!

 「初心貫徹して修煉すれば、道(どう)は必ず成し遂げられます! 最後になればなるほど精進しましょう!」[3]

 以上、私の思いを述べましたが、もし不足の所があれば、同修のご指摘をお願いします。

 師父に感謝申し上げます!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」
 [3] 李洪志師父の経文:『台湾交流会へ』

 (2019年香港法会発表文章)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/6/1/388057.html)
 
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