文/ 中国の大法弟子
【明慧日本2020年4月24日】人の怒りは生まれつきのものではなく、成長していくうちに不愉快な事や傷ついたことが、日々の積み重ねで心に溜まると、徐々に恨みや怒りに変わり、かんしゃくを起こすなどの悪い習慣になってしまいます。
例えば、私は親との関係がとても気まずく、小さい頃にもよその親が子供に優しく接しているような愛情を、自分の親から感じたことがありませんでした。私は父の怒鳴り声を聞きながら成長しました。大人になっても良い印象を抱くことはなく、実家に戻ると機嫌が悪くなり、いつも多くのお土産を用意して帰っても、両親の笑顔を見ることはありませんでした。時々母はごまかしたような言い方をしますが、私たちの事を考えてくれているわけではなく、面子のみに気を使っていて、自分のことしか考えていないのです。父は気立てが悪く、すぐ喧嘩をして大騒ぎをし、人の気持ちを全く考えていません。私はもう実家には行かないと何度も心の中で決めましたが、、その後またお土産を買って見舞いに行き、戻ってくる時はやはりとても怒りを覚えるのです。時々親たちと話が合わなくて、話しているうちに喧嘩になってしまいます。そのため、私は非常に苦しみ、私の気性と気質を想像できると思います。怒りっぽくなったのも不思議ではありません。私は気性が悪く、すぐにイライラしたり、怒りっぽくなるのもそのような家庭環境で育てられたことに直接的な関係があります。他の親は子供に暖かく、優しく接しており、自分の親のやり方を見ると利己的で、自分の事しか考えていないので、親にずっと不満がありました。親が子供たちに優しくするのは当たり前のことだと思うので、彼らのことを思うと怒りが収まらず、恨みすら感じていました。
大法を修煉して20年が経ち、他人にされたことにこだわらなくなり、師父の言われた通り他人に優しくしています。もちろん親も含めています。それでも私はずっとこの怨恨の心に悩まされ、苦しんでいます。私は親に対する感情が強いのか。褒め言葉を聞きたいのか。もしくはお金を惜しんでいるのか。または私の善が足りず、親を感動させることができないのか。自分に問い続けていますが、本当の原因を見つけることができず、とても苦しんでいます。
師父の経文『佛性』を学んだ時、私の心は大いに揺さぶられました。師父は「ある種の観念が形成されると、人の一生を支配し、その人の考え、ないしその人の喜怒哀楽を左右します。これは後天的に形成されたものです。時間が経つにつれ、この観念は人の思想に溶け込み、本当の自分の脳に溶け込み、人間の性格を形成してしまいます」[1] と説かれました。
もともと私は、怒りっぽく、すぐに愚痴をこぼしたり、人を責めることが自分だと思い込んでしまい、親たちは子供に優しくすることが当たり前だと思っていました。しかしこれらはすべて後天的に形成された利己的な観念であり、本来の自分ではないのです。気を悪くすることに遭遇した時には、心の中で恨み、怒りを覚えることは本当の自分ではなく、後天的に形成された偽りの自分ですが、私は後天的に形成された偽りの悪いものに左右され、人を恨んだり、愚痴を言ったり、怒ったり、親たちと争ったりすることは、すべきではないのです。
師父は「人体を構成した物質は極めてミクロ的な状態で、極めてミクロ的な状態にある微粒子の中ですでに人間の本性を構成しています。このものは不変です。思想の枠を取り外せば、人間の善良な性格、人柄、特性、特徴などが現れやすくなり、それこそ本当の自分です」[1] と説かれました。
本当の自分なのか、後天的に形成された悪いものなのか分かった時は、心の重荷を下ろしたように楽になりました。同時に、私が気が付いたのは親のやり方を不満に思うことは、彼らが後天的に形成された変異した観念や利己心、偽り、かんしゃくを起こすことをを彼らの本性にしてしまったからです。実はそれらは後天的に形成されたもので、本当の親自身ではないのです。人の本性は本来、「真・善・忍」に同化したもので、永遠に変わることはありません。ただ、後天的に形成された利己心や観念、悪い習慣等によって隠れており、このような行為や習慣は他人には受け入れられないのです。私と両親が衝突し、争っていたとき、私も両親も、「真・善・忍」にふさわしくない後天的な観念に支配されていたのです。それに加えて中国共産党が意図的に植え付けた闘争の観念が邪魔をし、利己心が強くなったため、お互いに顔を合わせるとすぐに争って喧嘩をし、気まずくなってしまうのです。
親の本性なのか、または後天的に形成された観念によってもたらされた行動なのかを見極めることができると、今までのように彼らを恨むことがなくなり、親のことを思っても怒らなくなりました。また他人の悪いところを見ても、それは後天的に形成された変異したものに操られているだけで、これが彼らの本性ではないと思うようになりました。そうすることで怨恨や怒り、不満が吹っ飛んで心がすっきりし、不愉快なことに直面しても淡々と対処することができるようになりました。
師父は「しかし後天の意識や観念を破ることは非常に難しいのです。なぜなら、これが修煉だからです」[1] と説かれました。私はこのことを身をもって体験しています。後天的に形成された変異なものを取り除いて本来の自分に戻るには、常に大法に従って自分を律しなければなりません。後天的に変異した観念や執着、悪しき習慣を捨て、同時に邪党の文化的毒素を取り除き、思想を正すことによって、本当の自分をとり戻します。真の自分は、後天的なそれらの悪に干渉されることはなく、悪を正すのです。
現段階の個人的な悟りであり、万が一不適切なところがあればご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪 巻二』 「佛性」