【明慧日本2020年4月27日】(河北省=明慧記者)河北省唐山市の法輪功学習者・周秀珍さんは、懲役12年の実刑判決を不当に宣告された法輪功学習者の夫の卞麗潮さんを救うために、権力を恐れずに迫害を公開し、各界の人達に呼びかけた。そのため、周秀珍さんは娘の卞曉暉さんと一緒に連行されて、拘禁され、判決が下された。そして、周秀珍さんは、河北省女子刑務所の第9監獄区で残酷な迫害を受け続け、死ぬ寸前の状態となった。腹水がたまり、肝硬変で肝臓の機能が低下し、死ぬ寸前にやっと仮釈放された。しかし、周さんはその後も絶え間ない嫌がらせが続く中で、2020年4月19日、冤罪が晴れぬままこの世を去った。
周さんの夫の卞麗潮さんは唐山開灤第十中学校の元教師で、心臓病と高血圧を患っていたが、1997年から法輪功を修煉して病が治った。それ以来、周さんや夫の卞麗潮さん、娘の卞曉暉さんは幸せな日々を過ごしていた。
しかし、卞麗潮さんは「真・善・忍」の信仰を堅持したので、2012年2月25日に自宅で連行され、家財と十数万元の現金を押収された。その後、懲役12年の実刑判決を宣告され、2012年12月に保定刑務所に移送された。そして、2013年初め頃、卞さんは秘密裏に石家荘刑務所へ移送された。刑務所側は数人の監視役の受刑者に卞さんを監視させ、小さな椅子にずっと長い間座らせるなどの酷い拷問を加え、さらに、卞さんに修煉や信仰をやめ、転向するように強要し続けた。すると、卞さんの健康状態は見る見るうちに悪化していき、心臓病が再発した。医者はいつ突然死してもおかしくない状態にある、と言った。
それを知った周さんと娘の卞曉暉さんは急いで卞麗潮さんを救うために、権力を恐れず、当局により卞麗潮さんへの残忍な迫害を公開し、そして、このひどい迫害に注目してもらうように、各界の人達に呼びかけた。これを聞いた唐山市の公安局、検察庁、裁判所および石家荘刑務所側の人員はとても怒った。
2014年3月12日、石家荘国内安全保衛大隊(法輪功迫害の実行機関)の警官らは、父親に面会に行く娘の卞曉暉さんを連行した。また、駅で卞曉暉さんの世話になった親戚の陳英華さんまでも、連行した。翌日、唐山市地元の派出所の警官らは、周さんの自宅で周さんを連行し、立ち去った。
2014年、周さん、卞曉暉さん、陳さんの裁判は、それぞれ唐山市と石家荘で開廷された。結局、周さんの罪名は、自分が家で警察官に押収された十数万元のことを、インターネットを通して暴露したこと、また、卞曉暉さんの罪名は、街で人々に自分が迫害されている事実を伝えたことで、法律の実施を妨害した罪だという。そして、陳さんも法律の実施を妨害した罪を被せられた。
2015年4月、卞曉暉さんは懲役3年6カ月、陳さんは懲役4年、同年5月に周さんは懲役4年の実刑判決を言い渡された。そのあと、3人は一緒に河北省女子刑務所に送られた。周さんは第9監獄区、娘の卞曉暉さんは第14監獄区、陳さんは第13監獄区に拘禁された。3人とも刑務所で残忍な拷問を受けた。
周さんは刑務所で残酷な迫害を受け続けて、死ぬ寸前の状態となった。腹水がたまり、肝硬変で肝臓の機能が低下し、やっと仮釈放された。周さんは廊坊市の姉の家に住んだが、警官らは周さんにずっと嫌がらせをした。周さんは幾度も危篤になり、北京へ救急搬送された。
周さんは唐山市の自宅に帰ったあとでも、絶えず警官らに嫌がらせを受けて、北京に病気治療に行かせてもらえなかった。その後、娘の卞曉暉さんは結婚して山西省臨汾市に移った。しかし、河北省の警官らは山西省に引き継ぎ、家屋を卞曉暉さんに貸さないように仕向け、大家に命じた。2020年4月19日午前10時37分、周さんは家族にも自分に対しても、あまりにも陰湿な嫌がらせを受け続け、それが元で亡くなった。