文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年5月22日】
一、私にも師父が必要です
私は1960年に東北のある貧困家庭に生まれました。5人兄弟の2番目で、兄と妹2人、弟1人です。私たち兄弟はみんな母方の祖母に育てられました。祖母は学校へ行ったことがありませんが、いま振り返って考えてみると、伝統的な文化で私たちを育ててくれたと思います。両親の収入は、わずか80元(約1206円)で、大家族の我が家の生活はギリギリでした。しかし、当時の私はあまり生活が苦しいとは感じず、悩みもなく、楽しい毎日を過ごしていました。
結婚して2年目に、私は男の子を出産したのですが、8カ月のときに病院の誤診で我が子を失ってしまいました。そのショックから私は毎日泣いてばかりいました。その後、また子宝に恵まれて男の子を生んだのですが、今度は自分自身が体調を崩しました。1998年に具合が悪くなり、病院へ行きましたが、なんの病気か診断できず「亜健康(あけんこう:健康と病気の中間」と言われました。
ある日、お酒を一瓶飲んでも酔わない酒豪の弟が家に来ました。しかし、その日はご飯を食べながら、瓶の五分の一しか飲んでいないのに、酔っぱらってしまい、何回も嘔吐しました。嘔吐する度に弟は「師父、弟子は間違いました。これからはもうお酒は飲みません」とつぶやいていました。弟の敬虔で懺悔する姿をみて、私は最初理解ができなかったのですが、徐々に羨ましくなりました。弟が口にする師父とは誰のことかわかりませんでしたが、心から「私にも師父が必要です」と小さな声で言いました。
ある日、姑が我が家にきて、病気で苦しんでいる私の様子をみて「法輪功を学んでみない? いい功法だよ。家の近くで多くの人が煉っている。私も法輪功を学んで心臓病が治ったし、毎年ひび割れに悩んでいた踵も治ったの。もう全然痛くないの」と言いながら、靴を脱いで踵を見せてくれました。姑の足は本当にすべすべになっていました。しかし、早朝から煉功していると聞いた私は、自分にはそんな体力がないと思い、諦めました。
その後、姑は私に『轉法輪』の本を持ってきました。2、3ページ読んだところで強い睡魔に襲われて、書籍を枕の下に置いて、寝てしまいました。数時間後に起きた私は、全身がとても軽く感じ、その日から書籍が良い睡眠を与えてくれると思って、毎日『轉法輪』を枕の下に入れて寝ました。しかし数日後、姑は『轉法輪』を持って帰ったのです。
具体的な日にちは忘れましたが、ある日妹が突然家に訪ねてきて、とても驚きました。というのも、妹は急性腎不全で入院しても治らず、多くの漢方薬を処方してもらって退院するしかない状態でした。少し前に妹の家に見舞いに行ったときには、妹は横たわり、高熱を伴って全身が腫れあがっていました。薬を服用しても好転せず、妹は「私は、たぶんもうすぐ死ぬかも」と言っていました。しかし、突然訪ねてきた妹は顔色がよく、若返って活気に溢れており、死とは程遠いと思いました。
驚く私を見た妹は「姉さん、私の病気は治ったのよ。法輪功が私を救ってくれたの。姉さんも法輪功を学んで」と言いました。「そうなの。じゃ私も煉る」と即答しました。妹は「その前に持っている様々な気功の本を燃やして処分して。人に害を与えるから他の人にはあげないでね」と言ったので、私は「わかった。すぐ燃やすわ」と応えました。妹の手も借りながら、家にある気功書を1冊も残さず、すべて燃やしました。私は子供のように妹の言うことに従いましたが、いま思えば、大法とご縁を結ぶ時が来たのだと思いました。
翌日、妹は師父の広州説法の録音テープを私に聞かせ、五式の煉功動作も教えてくれました。一度も足を組んだことがなかった私ですが、一回目から組めたので妹と2人で喜びました。その後、妹は大法の書籍を6冊渡してくれ「これからは、姉さんの側にも師父がいてくださるわね。私と同じ師父だよ」と言いながら、私たちは笑って心から喜び合いました。私は「私の側にも師父が居て下さいます」と思うと、心から嬉しかったです。
二、よく笑う昔の私に戻った
大法を得てから、幼いときに多くの苦を嘗めても、笑顔で居られた理由がわかりました。それは、大法を得るためにこの世に来れた喜びに溢れていたからです! 大法を得てから、昔のようによく笑う自分に戻れたのです。
それからの私は毎日、法を学んで功法を煉り、心性を修めてより良い人になるように努力し、他人を優先に考えて行動しました。すると、知らないうちに病が消えて身体が軽くなり、気持ちも明るくなって、よく笑うようになりました。夜が更けても大法を学ぶことに夢中になる私に、師父は大法書籍のページとページの隙間から色とりどりの光が放っているのを見せてくださいました。それを見た私は笑顔になりました。知人が私の肌がきめ細かくてきれいだと褒めてくれたとき、私は笑顔になりました。妹が人に真相を伝えるとき、後ろに怪しい人がいるのが見え、心の中で妹の名前を呼んで後を見るようにと念じました。すると、妹はすぐに振り返って後ろを見たので、これは大法の修煉による神通だとわかり、笑顔がこぼれました。
師父が説かれた法はすべて真実であると私は知っています。師父は弟子に多くを与えてくださいましたが、弟子は師父に恩返しができません。ですから、弟子として私は精進するしかありません! 更に精進していきます!
三、人心を取り除き、より多くの衆生を救う
師父は「人間は修煉の中で、嫉妬心を無くさなければ正果を得られないもので、そうしなければ絶対に正果を得ることはできないのです」 [1] と説かれましたが、私は真相を伝える際、嫉妬心が現れました。その日は夏でとても暑い日でした。妹が私を電動自転車に乗せて、家から遠く離れてた辺鄙なところへ行き、携帯電話で真相を伝えることにしました。そこに着くと、妹と離れ、それぞれが電話をかけました。
私は椅子に座り、携帯電話が入った鞄を開け、自動録音した法輪大法の真相を伝える携帯4台を取り出し、真相を伝え始めました。この4台の携帯は古く、時間が長く経つと、あるいは暑いと、自動的に電源が切れてしまうので、取り出して熱を発散させました。そのとき、1台の携帯の相手が1分間以上真相を聞いていることに気づき、私はすぐにその番号に電話をかけ「三退」を勧めました。相手はすぐに「三退」しました。いつもなら、前日に自動録音を3分間以上を聞いた人に電話をかけていましたが、今日は1分ですぐに「三退」できたと嬉しい気持ちになりました。その後、すぐに他の番号にも電話をかけましたが、1時間経っても1人も「三退」しませんでした。私は焦りましたが、焦る心も執着心だと認識し、「その焦る心の裏には、その場しのぎの仕事だと思っているからではないのか?」と内に向けて探しました。心の中で師父に「弟子はその心は要りません。捨てます」と言いました。
すると妹が私のところにやってきて「何人三退したの」と聞いたので、私は「1人」と答えました。「あなたは」と妹に聞き返すと「十数人」と答えました。それを聞いた私は、心が動じました。それは嫉妬心だと気づき、心の中で師父に「嫉妬心は要りません。その嫉妬心を解体したいです」と言いました。それから更に1時間が経過しましたが、相変わらず1人も三退せず、イライラし始めました。「いつも、私の方が妹より多くの人に三退を勧められるのに」と本当に嫉妬しました。
その嫉妬心により「もうやっていられない」と思い、妹のところへ行き「あなたはここで続けて、私は三退を勧めても誰もしてくれないからもう帰るわ」と言いました。「姉さん、帰ってはいけない。邪悪に惑わされないで」と妹が言うと、また電話のベルが鳴り、妹が三退を勧めると、相手は三退しました。本来ならば、妹が三退を勧めて成功したら喜ぶべきことなのにと思うと、私は涙が出ました。泣きながら立ち去り「師父、私は嫉妬心は要りません! 名利心も、安逸心も要りません! その場しのぎの心は要りません! 修煉に近道をしたい心は要りません! 近道をしたい心は捨てたいのです!」と言いました。
すると、電話が鳴り、私は相手に大法の真相を伝え「三退」を勧めました。親子である相手はすぐに「三退」し、電話を切った私は合掌して師父に感謝しました。師父は私を見捨てず、励ましてくださいました。そして私は気が変わり、続けて電話で真相を伝え続けようと思いました。妹の方が気になり、何回も見ましたが、妹の近くには行きませんでした。しかし「これは面子で、名を求める心ではないのか?」と思い、師父に「名を求める心は要りません!」と言って、妹の方へ走っていきました。
妹は私の手を掴み「姉さんは、絶対に戻ってくると思ったよ。だからトイレに行きたくても我慢したの。もし姉さんが戻ってきて、私の自転車がなかったら困ると思ってね。早く一緒にトイレに行こう」と言いました。心配をかけ、トイレも我慢させてしまった妹に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。しかし、この日は多くの人心を取り除くことができ、私は嬉しい気持ちで家に帰れました。
大法を20年も修煉してきましたが、時々、人心が戻ったりします。その時、自分にとても腹が立つのですが、学法を通じて、これこそが修煉だと認識しました。師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」 [1] と、おっしゃいました。今でも自分に多くの執着心があり、特に安逸心が取り除けていません。それ以外にも子供に対する情、妹2人と弟に対する情があり、その情は同修に対する情、親族に対する情で、取り除くべきだとわかっています。師父は「とにかく人類社会のすべてのことが情から出ています。この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」 [1] とおっしゃいました。師父、弟子のご加持をお願いします。弟子はこれから情の代わりに、慈悲心を持ちたいです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』