10年の長きにわたり 身体の不自由な父親を介護する
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 【明慧日本2020年4月13日】1998年、私は幸運にも法輪大法に出会いました。以前、私は頸椎症、頭痛性めまい、肩甲骨炎、口内炎、鼻炎、便秘、下痢、乾皮症など多くの病気に苦しめられていました。大法を修煉してから、師父は私の身体を浄化してくださり、薬依存の私を健康で、明るい人間に変えてくださいました。 私の変化を家族と周りの人達は皆、見ていました。

 2006年、失業した私は地元で仕事を探すために、実家へ戻りました。ある日の朝に突然、口が歪み、よだれを流し、自分で着替えも出来ない状態になり、脳梗塞のような症状が父親現れました。それを見て、私は少しびっくりしましたが、すぐに父に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を唱えるように教えました。当時、父は舌が回らない状態でしたが意識がしっかりしており、繰り返して唱えることで症状が少しずつ軽くなったものの、自分で身の回りのことが出来ませんでした。

 3人の兄達と姉、妹は父親の介護について、高齢の母親では無理なので、私に家で専門に父の介護をしてほしいと言われました。両親には収入がなく、サラリーマンの兄弟達の経済状況も限りがあるため、私に報酬を支払うことが出来ないが、食べる分だけは援助してくれることになりました。

 失業して収入がなくなり、これから親の介護に専念すると思うと、私も辛かったのです。しかし、私は師父の教えを思い出しました。「さらに皆さんに教えますと、実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです。それゆえに皆さんは、今後何かを行ない、何かを口にするときにも、ほかの人のため、ひいては後世の人のために考えなければなりません! 大法が永遠に変らないようにするために考えなければならないのです!」[1]  と師父は説かれました。私は修煉者として、他人のために考えるべきだと思いました。兄と姉は年を取っていて介護するには大変ですし、妹には学校に通う子供がいるので、やはり私が最も妥当だと思い、父親の介護を了承しました。

 了承するのは簡単ですが、介護ということはとても大変な事でした。私はあれから10年近く父親の介護をしてきました。

 最初の頃は介護の経験もなかったので、父の発音がしっかりしている時はまだ意思の疎通が出来ましたが、はっきりと聞き取れない時には、どうすればいいか分かりませんでした。ある日、父がベッドの上で漏らしてしまい、身体や衣服、シーツが汚れて便だらけになり、母親も処理できずに私を呼びました。目の前の光景を見た私は大変困りました。難しい事に直面すると、いつも師父の法が頭に現れます。師父は「如何なる心も障碍なのです」[2]  と語られました。「そうだ、私には汚いことを嫌がる心があるのだ」と気づき、母に「大丈夫よ、私が片付けるわ」と言いました。

 私はぬるめのお湯で父の身体をきれいに拭き、汚れた衣服とシーツについた便をトイレで流してから、手を洗いました。父は毎日お粥やスープなどを食べるので尿量が多く、しょっちゅう、ベッドの上で排尿してしまいます。その度に私はすぐに着替えさせてきれいにし、洗いましたが、体重の重い父の着替えはとても大変でした。

 私は修煉する前に数々の病気を患い、身体が弱かったため、自分の生活も自立できていませんでしたが、今では親の介護まで出来るようになりました。私は毎日3食の食事を作り、父が尿や便で汚したものを洗い、それに片付けなどの家事で大変忙しかったのです。特に洗濯機がないためにすべてが手洗いでした。そして、父が寝っている間に、私は学法煉功をしました。

 ある時、私は社会保険の手続きをするために、数日の間、私に代わって父親の面倒を見てほしい、と兄に頼みました。姉の家に着いたばかりなのに兄から電話がかかってきて、父が洗面器の水を床にこぼしたと言って、早く戻るように言われました。手続きがまだ出来ていないのに、と怒りを感じて爆発しそうになりました。しかし、すぐに自分は修煉者だ、人のことを先に考えるべきだと思い直し、すぐに冷静になりました。兄も70歳近いので介護は大変だと思い、兄を慰めて落ち着かせてから急いで手続きを終え、帰りのバスに乗りました。帰る途中で思わぬことが起きました。私が乗っているバスが、大型トラクと正面衝突しそうになったのです。その寸前に私は小さな声で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じました。大きな音と共に、バスとトラクが同時に止まりました。大きな事故が避けられました。私はすぐに心の中で師父に感謝致しました。

 しばらくして、驚いた乗客が我に戻りました。隣の席の老婦人が私に「先日、高速バスで内モンゴルに行きましたが、途中で事故に遭って13人も亡くなりました。今乗っているこのバスの中に福を持っておられる人がいるのかもしれないですね」と言いました。これは師父が私に大法の真相を伝え、人を救うように按排してくださった、と悟りました。そこで私はその人に「さっき、衝突する寸前に『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と念じました。大法の師父が私達を救ってくださったのです。あなたもぜひ覚えて、福をもたらすこの真言を家族や親友に伝えてください」と言いました。すると、老婦人は「分かりました」と快諾してくれました。

 一番下の兄は私が毎日父親の介護に苦労しているのを見て、私の代わりに1日父の面倒を見て、私を自分の家に連れて行って休ませました。その後、兄嫁から兄が1日だけ父を介護して、家に帰った後、疲れてベッドから起きられなかったと聞きました。その体験を通じて、兄は介護することがどんなに大変なのか分かり、私のことを以前よりも大事にしてくれ、美味しい物を買って届けてくれるようになりました。

 ある日、2番目の兄がやって来て、家に入ってからすぐ私にご飯を作るようにと言いました。私が台所に入って食事の支度をし始めると、父はズボンを履いたままで排便してしまいました。すると、兄は急いで私を呼びに来て、あとの処理をするように指示するだけで、自分は椅子に座って何も手伝おうとしませんでした。ようやく終わりましたが、今度は兄の食事を準備しなければならず、ついイライラしました。その時、ふと師父の「忍び難きは忍びうる」[3]  のお言葉を思い出し、不平不満の心を捨て、何も言わずに兄に食事を出しました。

 またある時、兄弟姉妹とその子供たちが皆が両親の所に集まり、私が台所で食事を準備している時に、父はまた排便して服を汚しました。私はすぐに部屋に入って処理しましたが、誰一人として手伝ってくれず、二番目の兄は逆に、皆の前で私に対する文句を言っていました。私の自尊心が大きく傷つけられて、爆発しそうになった時、「自分は修煉者だ」と思うと、心がだんだんと落ち着いてきました。

 父親は修煉をしていませんが、大法をとても信じていたので福に報われ、10年近くも命が延長され、しかも医療費を1銭も使わず、兄弟姉妹の生活にも影響しませんでした。

 10年間の長きにわたる父親を介護する中で、辛い事や大変な事がたくさんありました。しかし、私は修煉者として常に大法で自分を律し、損得のために兄弟姉妹とトラブルを起こすことはありませんでした。以前、私の修煉に対して皆が理解してくれませんでしたが、この10年間の私の言動を通じて、彼らの大法に対する態度が変わり、家族全員が「三退」をしました。

 ある年のお正月に大家族が集まり、食卓を囲んだ時に兄弟姉妹が皆、父親を介護した私に感謝すべきだと言いました。私は彼らに「私は大法を修煉していたからこそ、ここまで出来たのです。修煉しなかったら、私自身も病気だらけで自分の生活さえも自立できず、ましてや、父さんの介護など出来るはずがありません。大法は私に福をもたらし、私達大家族に幸せを与えてくださいました。私達皆が、師父に感謝すべきです!」と言いました。

 家族全員が一斉に、「師父、ありがとうございます!」と大声で言いました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
 [2] 李洪志師父の経文:『北米第一回法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/4/3/403316.html)
 
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