河南新郷市の68歳の郎改琴さん 懲役7年の実刑
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 【明慧日本2020年5月28日】河南省新郷市の法輪功学習者・郎改琴さん(68歳女性)は迫害を免れるため、数年も放浪生活を強いられた。しかし、2019年7月、郎さんが帰宅したその翌日に、警官らに連行された。その後、郎さんは懲役7年の実刑判決を言い渡され、疫病が蔓延する中で新郷市留置場に拘禁され続けている。

 2014年11月3日午前10時ごろ、郎さんは新郷市南橋派出所の警官らに連行され、家宅捜索をされた。警官らは法輪功創始者の写真、法輪功の書籍、パソコン、プリンターなど、大量の私物を押収した。

 連行された郎さんは新郷市留置場に送られたが、入所の身体検査で不合格だったため、6日間拘束された後、5000元(およそ7万5000円)を強請り取られて釈放された。その後、郎さんは警官の嫌がらせを避けるため、家から離れることを余儀なくさせられ、放浪生活をせざるを得なかった。その後、南橋派出所の警官らは数回も郎さんの娘の家に行き、娘に嫌がらせをした。警官らは郎さんの案件を衛濱区裁判所に渡した。

 2019年7月8日、郎さんは家に帰った。しかし、翌日に新郷市南橋派出所の警官らに連行され、新郷市留置場に送り込まれた。そして、警官は郎さんの案件を地元の新郷市裁判所ではなく、輝県市裁判所に渡した。その後、輝県市裁判所は郎さんに懲役7年の実刑判決を宣告した。郎さんはこの判決を不服として、新郷市中級裁判所に控訴したが、原判決維持という結果が出された。

 郎さんは新郷市食糧倉庫の元職員だった。法輪功を学ぶ前、郎さんは不眠症、乳腺症、腎臓炎、骨増殖症などを患い、多方面からの治療を受けても効果がなかった。しかし、1997年5月、郎さんは法輪功を学び始め、法輪功の教えの「真・善・忍」に従って厳しく自分を律した。すると暫くして、郎さんの病気は全て治った。

 しかし、1999年7.20から、中国共産党が法輪功への迫害を開始した。郎さんは真・善・忍への信仰を堅持したため、数回にわたって連行され、拘禁されるなどの迫害を加えられた。2000年5月11日、郎さんは新郷市人民公園で集団煉功に参加し、公園派出所の警官らに連行された。郎さんは24時間拘束された後、新郷市留置場に送られ、されに15日間拘束された。帰宅後、郎さんの勤め先のリーダーが会社の人を派遣し、郎さんを24時間監視させた。会社のリーダーたちは、郎さんに法輪功を放棄する誓約書を書かせ、給料を3000元(およそ4万5000円)減らした。

 2000年11月28日、郎さんは北京に行き、天安門広場で法輪功への迫害を停止するように求めたが、警官らに昌平派出所に連行された。その後、郎さんは新郷市の北京駐在事務所に移送された。そして、駐在事務室の警官は郎さんを地元に連れ戻すように、と南橋派出所に連絡した。郎さんは送還され、新郷市留置場に1年あまり拘禁された。留置場で郎さんは断食して酷い迫害に抗議した。

 2001年12月27日、郎さんは南橋派出所の警官ら2人に、鄭州市十八里河女子労働教養所に送られ、2年間の労働教養を企らまれたが、入所の健康診断が不合格のため、入所を断られた。2002年1月5日、郎さんは解放されたが、3万3000元(およそ49万7000円)の罰金を科された。

 2002年8月26日、郎さんは路上で警官に質問されたとき、法輪功を学び続けていると言ったため、高村派出所に連行された。その後、新郷市留置場に送られ、29日間断食して迫害に抗議した。そのため、4カ月間拘禁され後に解放された。留置場で断食中に、郎さんは受刑者らに手足を押さえられ、口を強制的に開けさせられて唐辛子水や塩水など、灌食された。また、真冬の雪の日に、外に引っ張り出されて放置されたこともあるという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/17/406434.html)
 
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