【慶祝513】豪州の大法弟子 21年前のシドニー法会での説法の思い出
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 【明慧日本2020年5月31日】(豪州=明慧記者)1999年5月2と3日に、「全豪州法輪大法修煉心得交流会」がシドニーの国際コンベンションセンタービルで開催されました。当時、オーストラリア、米国、カナダ、スウェーデン、タイ、日本、ニュージーランド、シンガポール、香港、マカオ、インドネアジア、それに中国本土から2700人以上が参加し、李洪志師父の説法と質疑応答が行なわれました。

1999年5月、師父はシドニーの「全豪州法輪大法修煉心得交流会」で説法された

 背が高くお身体が大きい師父はやさしい笑顔で、丁寧に分かりやすく宇宙の奥深い法理を語られました。師父は大きい声ではっきりした発音で説法され、学習者の心の奥まで届き、たくさんの人が涙を流しながら聞きました。

 これは師父が3回目に豪州で説法され、即ちその後に出版された『法輪佛法「オーストラリア法会での説法」』です。多くの新しい学習者にとって、師父の説法と回答を直接聞くことはこれ以上ない幸運な事でもあり、この大切な機縁が人生を変えるきっかけでもありました。もちろん、修煉期間が少し長かった古い弟子にとっても、さらに精進する新たなスタートになりました。

 それから21年が過ぎました。当時の師父が説法される光景、そして参加した大法弟子が心身ともに軽くなった体験を思い出す度に、昨日のように蘇(よみがえ)ります。

'图3:1999年5月,“全澳洲法轮大法修炼心得交流会”期间学员们排字。'
「全豪州法輪大法修煉心得交流会」期間中に学習者が文字を排列した

'图4~5:1999年5月,“全澳洲法轮大法修炼心得交流会”中2000余名弟子聆听师父讲法。'

「全豪州法輪大法修煉心得交流会」で、2700人余りの大法弟子が師父の説法を聞いた

 西洋人大法弟子「李大師は衆生を救い済度する明師である」

 豪州の法輪大法協会のスポークスマン、シドニーに住むジョン・デラー(John Deller)さんは、1992年5月2日にシドニー法会に参加し師父の説法を聞いた時の心境を語りました。「李大師の説法を聞いている時、師父は衆生を救い済度する明師(優れた先生)であるとすぐに分かりました。法会が終了した時に、私は明るいエネルギーを感じ、善良と慈悲の荘厳さに包まれて、会場を離れることが出来ませんでした。初めて『轉法輪』を読んだ時、「真・善・忍」は宇宙の特性であると分かり、心の扉が一気に開かれたように感じ、法輪功はすべての人を受益させる功法だと確信しました。『轉法輪』は人々の内心に届き、生命の深い意義を理解させると実感しました」

 メルボルンのランキン(Janine Rankin)さんは、修煉してから3カ月後に幸運にも師父に会え直接師父の説法を聞く事ができ、それに素晴らしい光景が見えました。その貴重かつ神聖な体験は、忘れることが出来ずに心に深く刻まれました。

 ランキンさんは16歳の頃から生命を昇華させる方法を探していました。「その時から私は、人間には次元を超える境界があり、生命としてこの世に来る意義があるはずだと信じていました」。ランキンさんは蓄えを使って世界各地を探し回り、数々の修行を試みましたが、50歳になるまで見つかりませんでした。「私はこの世界が後退しており、道徳水準が退廃しており、人々には普遍的な価値観や純粋さが失われているとはっきり感じていました」とランキンさんは言いました。

 「まだはっきり覚えていますが、1999年2月のある日、私がメルボルンで法輪大法の最初の煉功に行った時、全身が巨大なエネルギーに包まれたように感じ、やっと自分の最終的な行き先を見つけたと分かり、とても感動し涙が流れてきました」

 しばらくして、師父が豪州に来られて説法されると聞きましたが、ランキンさんは旅費に困り、シドニーに行く計画はありませんでした。「ある日、突然心の中から絶対に行くべきだと一念が生じました。すると奇跡的にも旅費の問題が解決されました」、「法を得て3カ月しかありませんでしたが、師父が会場に入場された瞬間から、嬉しい気持ちと深い感動が全身に伝わってきました。これこそ私が16歳から探し続けた神聖なる大法だと信念を固める事ができました」

 「師父が演壇に着席された後、驚いたことに私の目では師父が透明に見え、とても不思議で玄妙だったので、自分の目が信じられませんでした」、「師父は説法と回答の中で、学法の大事さについて語られ、真・善・忍は修煉の原則であるという教えがとても印象的でした」

 「シドニー法会に参加する前、師父は私の天目を開いてくださり、幾重もの粒子が見える外に、多くの玄妙な光景が見えました。その体験を通じて、師父が本に書かれたことは皆真実だと分かりました。法会に参加した後、天目は閉じられましたが、私にとって、それから真の修煉が始まりました」

 最後に、ランキンさんは「師父は私たちにこのような貴重な大法を伝えてくださり、私たちが心身ともに昇華することが出来ました。心から湧いてくる感謝の気持ちを言葉では表し切れません」と語りました。

 長年に亘り、ランキンさんは確実に修煉し、法を広め真相を伝える多くのプロジェクトに携わりました。「最近、私はメルボルンの小中学校と連絡して、教師と生徒に我々の体験談を聞かせました。『真・善・忍』の原則と法輪大法の素晴らしさを伝えたいのです」と言いました。

 ブリズベーンの華人弟子「シドニー法会の後に煉功場が迅速に増えた」

 ブリズベーンの華人弟子ウィリアム・ロウさんは1998年から法輪大法の修煉を始めました。ロウさんはシンガポール法会に参加したことがあり、現在はクイーンズランド州の大法学会の主要な協調人です。

 当時、師父が豪州に来られて説法される前後の協調を担当したロウさんは、その大切な時を追憶する度に、とても光栄で感謝の気持ちで胸が熱くなります。「当時、起こった多くの事柄は私を震撼させ、師父の慈悲にまだ新人の私はとても感無量でした」、「クイーンズランド州の大法弟子はとても恵まれていると思いました。当時、師父の説法が終わった後、学習者たちはグループに分かれて交流しました。師父は講壇から降りられて学習者たちの交流に参加されましたが、最初に来ていただいたのがクイーンズランド州のグループでした。師父はその場で学習者たちの質問に答えられた後、クイーンズランド州の大法弟子は師父にブリズベーンに来られるように心を込めてお願いし、師父は了承されました」

 「1999年、シドニー法会の前に、師父が先にブリズベーンに来られると聞き、私は驚喜しました。1999年4月28日、豪州に着かれた師父は旅の疲れにもかかわらず、学習者たちの希望に応えられ、当日クイーンズランド州の学習者たちに会ってくださいました。午後、クイーンズランド州の三大都市から多くの学習者が集まり、小さな会議室は人がびっしりでした。師父は私たちのために説法された後で、皆さんの質問に答えられました」

 師父がブリズベーンに滞在された数日の貴重な時間で、ウィリアムさんは師父に幾つかの質問をすることが出来ました。「当時、私たちは皆新しい学習者だったので、質問した問題はとても浅かったですが、師父は一つ一つ丁寧に答えてくださいました。まだはっきり覚えていますが、私の一つの質問は『どうすれば法理に対する悟りが正しいかどうか分かりますか』と聞きました。師父が答えられただいたいの意味は、正念を持って悟ると、いずれも正しいのです。私は一瞬にして分かりました。正念で悟り、真・善・忍に符合していれば、外れることがないのです。師父のこの教えはずっと私の心に刻まれ、今でも益するところ大であります。私はどんなトラブルに遭っても、それは人間の観念や自我の執着か、それとも正念かを、この原則で測っています」

 「幸運にも直接師父の教えを聞いて、師父がわれわれ学習者に対して、よく学法して法の下で速く高まることを望まれていると心から感じ取りました。その後、私たちはさらに集団学法に力を入れました」

 「今回師父がクイーンズランド州の一部分の学習者に対する説法に、ブリズベーンの煉功場の主要担当者たちも参加が出来て、とても幸運だと思います。彼らはこの20年余りの迫害の中で、人々に真相を伝え続けてきて、しっかり修煉してきました」

 シドニー法会が終わった後、より多くの人々に法輪功を広めるために、学習者たちは相談して、ブリズベーンにあった唯一の新農場(New Farm)煉功場の40人以上の学習者が、それぞれ自分の家の近くで新たに煉功場を設けることに決めました。ウィリアムさんは「当時、20ぐらい新しい煉功場が増え、クイーンズランド州はさらに多くありました。その時から20年間も続いて来て、新しい学習者が絶えず入ってきます」

 メルボルンの華人弟子の忘れられない体験

 メルボルンにある独立した華人メディアの総裁・肖中華さんは、シドニー法会に参加する前、五式の功法を習ったばかりでした。「法会に参加した一番の収穫と言えば、私の疑問が解決したことでした。師父のお答えはとても特別だと感じました」と言いました。

 当時、肖さんはシドニーのある中学校の教師で、数種類の気功を練っていて、修煉の法門を探し続けていました。ある時、生徒とその保護者から法輪功を知り、とりあえず動作を習っただけで、認識も浅かったのです。しかし、法輪功の師父が説法に来られると聞き、肖さんは迷わずに汽車に乗って参加しました。「私の席がかなり後ろで、講壇から遠く離れたため師父が良く見えず、スクリーンを通して見るしかありませんでした。しかしなぜか、師父を見ると心から感激して、涙が止まりませんでした」

 「当時、師父の説法を聞いている時、『師父は神様だ、神様こそそのような慈悲に満ちた眼差しがある、普通の人には見られない。絶対に神様だ!』と信じていました」

 「法会の2日目に、師父は学習者たちに質問を紙に書いて提出するようにおっしゃいました。しかし、当時、私にはペンも紙も持っておらず席も真ん中だったので、ほかの人が質問の紙をスタッフに渡すのを見るしかありませんでした」

 「私を驚かしたことがありました。当時の質問の中に、私が聞きたかった問題はありませんでしたが、師父が人の質問を答えられる時に、ついでに関連のない問題を解かれました。それはちょうど私の問題でした。遠く離れていても師父は私をご覧になり、私に答えてくださったと感じました。その時の記憶は私の心に刻まれ、忘れることはありませんでした」

 「法会が終わった後、家に帰る汽車の中で、ある若い夫婦とその子供に会い、法会に参加したのではないかと尋ねると、そうだと答えました。さらに話が進むと、私と同じ区で、しかも私の家からかなり近い所に住んでいました。彼らがしばらく前から法輪功を修煉していたと知り、私はとても嬉しかったのです。それ以降、私は彼らの家の近くにある公園に行って、彼らと一緒に煉功するようになりました」

 肖さんはそれから真に法輪大法の修煉を始め、「今回の法会の体験は一生忘れられず、師父の知恵と慈悲は私の内心を強く震撼させました」

 「長い間、私の修煉に対する信念は一度も揺らいだことはありませんでした。困難に直面した時、挫折した時、納得が出来ない時に、私は師父の法が真理であり、師父が本の中ですべて教えてくださっていると信じています。自分の周りに生じた全ての事はそれなりの原因があり、修煉の過程で必ず歩む道なので、魔難がなければ修めることも出来ず、自分の執着心を見つけることも出来ません。苦しいと思った時は、執着心によるものだと思います。絶えずに学法すればするほど、師父の法は天機であることに気づき、師父の法を理解するにつれ、私たちに自分で問題を解決する知恵を与えてくださいます」

 講習会に三度参加した シドニー在住の弟子は師の恩を偲ぶ

 シドニー在住の羅さんは、オーストラリアでも数少ない、三回講習会に参加し説法を聞けた大法弟子です。

 当時のことを思い出す度、彼は感激でいっぱいでした。「あの特別な期間中、師父がここにご臨席されたので、私たちはどうすればもっと自分を良くし大法を伝え広められるのか知りたかったのです」

 「師父がシドニーで説法された時、他空間のこともたくさん教えてくださいました。この空間で発生したことは、実は他空間とも関連があると、師父のご説法を聞いて法への理解が深まりました。そして私はまたすぐにニュージーランドでの法会に参加し、再び説法を聞きました」

 羅さんは1996年から『轉法輪』を読み始めたが、当時彼は別の気功もやっていました。「師父の本を読んで、まさに他の気功で解釈できなかった様々な現象がすべて明らかにされたと知りました。またもっと深い原因や法を伝えてくださり感服いたしました」

 「師父がオーストラリア法会にご臨席された時、幸いにも参加できて修煉中に出会った問題を尋ねることができました。慈悲なる師父は一人一人の弟子の修煉状況を心掛けておられると感じました。本当の師父に出会えたのです」

 彼は「当時もっとも印象深く感じたのは、師父は弟子たちに一番良いものをくださるというお話でした。私たちの命は遠い昔の宇宙の変化の過程で生まれ、だんだん純粋さをなくしていきました。どうすればあの純粋で一番良い状態に戻れるのか? 私の理解では、師父を信じ法を信じるのが最も重要なことだと思います。そうすれば師父は私たちに一番良いものを下さり、それが結果につながるのです。なので自分は絶対大法を最後まで修煉し続けると決心しました」

 「二十数年が経ち、様々な面で師父の慈悲を感じています。自分の修煉状況により、いろんな方法で大法の素晴らしさを分からせてくださいます」

 メルボルン大法弟子「困惑に対する師父の教え」

 今年70歳のメルボルンのアンジェラ(Angela)さんはマレーシア出身で、かつては仏教の居士でした。1999年2月に縁があり『轉法輪』と出会った彼女は今まで疑問に思った様々な問題を解決しました。仏教を諦めるかどうか悩んでいた彼女は、その年の5月のシドニー法会に参加し、それから精進する大法弟子になったのです。

 彼女は「家族みんな佛や道を信じているので、オーストラリアに移民してから、お寺で手伝いを始めました。朝子供たちを学校に送ってからお寺に行き、学校が終わるまで手伝いをして、家に帰ったらご飯を作ってまた夜勤に行く日々でした。当時看護師の仕事をしていたのですが、自ら夜勤を希望したのもお寺で手伝いをするためでした。毎日ほぼ休みなしの5年間が過ぎて、睡眠不足の結果、健康状態がどんどん悪くなる一方でした。胆石もできて、手術をしなければならないくらいでした」

 「同じ寺で一緒に手伝いをしたことのあるお姉さんは、1997年から寺に来ませんでした。その後私が電話してみたら法輪功を修煉していると教えてくれました。彼女は私がお寺の仕事にとても熱心だと知っていて、機縁もまだだったのか法輪功については何も言いませんでした」

 1999年1月、寺の尼さんたちが利益のために争う姿に失望と嫌悪を感じ、アンジェラさんは寺を離れることを決め、そしてそのお姉さんに師父は誰なのかを尋ね、『轉法輪』を受け取りました。

 『轉法輪』を読んで、お寺で聞いた話や経験したことがわかり、アンジェラさんは師父がおっしゃったのはすべて真実だと分かりました。「以前なぜ尼さんたちがわずかな利益で争うのか理解できませんでしたが、『轉法輪』を読んでようやく分かりました」、「2月から法輪功を修煉すると決め、その後シドニー法会を聞いてすぐ参加を申し込みました。当時家族や友人からの反対の圧力が大きく、特にマレーシアにいる兄からの圧力は大きかったのです。なぜならマレーシアの法輪功に対する報道は全て中国からのもので、騙されていたのです」

 「しかし私は修煉すると決心し動揺しませんでした。私はその素晴らしさを感じたのです。例えば、初めて煉功するとき、明らかに頭の周りで何かが回っていて強いエネルギー場を感じたのです。後からそれは師父が法輪で、私の睡眠不足で傷がある脳を修復してくださっていたのです。胆石もいつの間になくなっていました」

 「シドニーの会場で、私と夫の座席は前から結構離れていましたが、師父がご臨席された時から涙が出て、説法が終わるまで止まりませんでした。新しい弟子としてその時はなぜ涙が出るのか分からなかったのです。その後師父の各地での説法を聴き、それは自分の奥で分かる一面が師父の姿を見ることができ、法会に参加できたことへの大切さを感じたからだと知りました」

 「2日目の法会で、幸運にも師父は私の佛教に関する質問に答えてくださいました。師父のお話を聞き、一切の懸念がなくなり、それから夫と大法を修煉しました」

 修煉してから1年ほど後に発生した交通事故を今でも鮮明に覚えています。「あの日、息子を迎え、次は娘の学校に迎えに行く途中でした。急に車に追突され、車から離れるのも難しい状況でしたが、私と息子もケガはなかったのです。仕方なく他の車を運転して娘を迎えに行きました。その夜家族でドライブに行く際、突然正面から逆行してくる車が現れました。急いで運転している夫に注意するよう呼びかけ、ほぼすれ違うように道路の反対側に車を寄せました、家族全員の命を狙うような交通事故からも逃れることが出来ました」

 「同じ日に2回も危険な交通事故にあい、これは命を狙ってきたとわかりました。しかし2回とも、師父のご加護があったのです」

 このような経過があり、夫婦はさらに固く師を信じ法を信じ、修煉ももっと精進するようになりました。20年間毎日煉功と学法をし、もしできなかった日があれば必ず次の日に補いました。

 今年アンジェラさんはマレーシアに戻り、故郷で自分の70歳の誕生日を迎えました。親戚や友人たちは、たった4歳違いの兄はもうどこにも行けないのに、アンジェラさんと夫はまだ若者のように毎年、国際的に開かれる法会に参加していることに驚きました。

 「私たちは自分がまだまだ若いと感じています。恐らくこれも修煉者だからでしょう。親戚と友人たちも私たちが同じ年齢層の人とは全然違うと、大法の素晴らしさを認めています」

 「私たちはメルボルンで大法の新聞が発行されてから、いくつかの区の配達を担当してもう十数年になります。その後も様々な活動の準備や後片付けの仕事を担当し、責任者の一人になりました。横断幕の準備や資料台の設置なども含みますが、大きな荷物の運搬など体力が必要な仕事でも、つらいと感じません。時には朝7時から夜遅くまでやる時もありますが、心を込めてやれば師父のご加護をはっきりと感じられます。歩くときも足が軽くて、まるで雲の上に乗っているような気分です」

 最後に彼女は「師父はいつも私たちを守ってくださっています。私は日々真面目に精進すること以外、師の恩に応える方法がありません」と心から感謝しました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/19/387504.html)
 
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