「自分を最下位に置き、謙虚な態度を保つ」
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年6月2日】数人の同修と一緒に修煉について交流しました。修煉してまだ1、2年しか経っていない新しい同修もいて、皆はとても真剣でした。1人の同修は「自分を最下位に置き、謙虚な態度を保つ」と言いました。その言葉にとても深く感銘を受けました。

 自分の20年間の修煉の道を振り返って見ると、この問題について、全くよく行なっておらず、恥ずかしく思いました。私はよく文章を書いて、大法弟子のウェブサイトに投稿しています。しかし、自我に執着し、自分を実証する心が強く、毎回、文章が掲載されると、歓喜心、顕示心が生まれ、ウキウキしてしまいます。修煉者として、この歓喜心や顕示心を取り除かなければならないと分かっているため、よく正念を発して、それらの人心を一掃しました。しかし、次回に文章が掲載されると、人心がやはりまた出て来て、また正念を発するという繰り返しでした。

 どうしてこうなるのでしょうか? 長い間、とても悩みました。昨日、同修の「自分を最下位に置き、謙虚な心を保つ」という言葉を聞いて、目からウロコが落ちた思いでした。自分の人心と執着心の根源をついに見つけました。自分は宇宙の中の小さな、小さな生命の一つに過ぎず、大法の中で文章を書いたり、何かができたりするのは、慈悲なる師父が与えてくださった智慧と能力のおかげです。師父と大法の力がなければ、私は何もできません。師父と大法の前で、自分は永遠に最下位の微々たる生命に過ぎません。ですから、自分を最も低い位置に置き、謙虚な心を保つという態度は、修煉者を向上させ、昇華させる最も基本的な条件で、修煉者がやり遂げなければならないことで、師を尊敬し法を敬う原点でもあるのです。

 少しの体得です。正しくなければ、慈悲なるご叱正をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/6/404862.html)
 
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