【慶祝513】息子が体験した医学界の神話
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年6月23日】私は東北の小さな山村に住んでいて、今年60歳になりました。幸いなことに私たち一家6人、祖父母から孫まで皆法輪大法を修煉しています。二十年余り、家族は佛光に照らされ、師父のご加護の下、多くの奇跡を経験しました。

 次に法輪大法の下、次男の身体に現れた医学界の奇跡を述べてみます。

 一、難病の発症

 次男は3歳のころから、顔や体に小さなできものが頻繁にでき、痛みもかゆみもなかったのであまり気にしていませんでした。

 1995年、次男が10歳になった時、それまで小さかったできものがドンドン大きくなり、しかもそれらがとても早く繋がっていくことに気づきました。私たちは次男を地元の大きな病院の皮膚科や皮膚研究所に連れて行き、受診し治療しましたが、効果は見られず、逆にさらにひどくなりました。

 次男の病状は急速に進行し、胸、背中、特に腰椎の近くにできた大きな塊は、肉の筋のようなものが成長し、それらが木の根のように複雑に絡み合って繋がり、とても恐いものでした。 地元の皮膚科の専門医はすぐに省の病院で検査するように勧めました。

 私たちはすぐに省の中央病院に行き、ちょうど日本の皮膚科の専門医も居合わせ、省の専門医立ち会いの下で受診しました。一連の病理検査や様々な検査の後、皮膚科の専門医たちの診断が下されました。それは先天性遺伝子によって引き起こされるまれな血液疾患で、神経性血管線維腫、または節性硬化症ともいう病気です。 残念なことに腫瘍は次男の頭蓋内にありました。

 専門医はこの種の病気は手術ができず、治癒は不可能で、薬物によって腫瘍の成長速度を抑制するしかなく、いったん腫瘍が大きくなると、脳神経を圧迫して癲癇を発症し、病状が進むと、重度の痙攣によって認知症、麻痺、最終的には植物人間になるか、または死に至るとのこと、次男の現在の脳神経の状態は70代の老人の状態に相当しており、このまま進むと、命は長く保てず、一般的に18歳を超えられないだろうと告げられました。

 この結果を聞いて、私は雷に打たれたように、すべての希望が一瞬にして絶望となり、鋭利なナイフで心を引き裂かれたように痛みました。「神様!  なぜ、よりによって我が子にこのようなことが起きたのでしょうか? あまりにも残酷です! 」と私は心の中で叫びました。目の前のまだ幼い息子を見て涙が止まらず、私ができる唯一のことは息子を救ってくださるよう専門医にお願いするしかありませんでした。しかし、 専門医は頭を横に振り、私に「省内に年配の漢方医がいますが、もしかして息子さんの病気を抑えることができるかもしれません」と教えてくれました。

 二、難病の治療を求める険しい道

 それ以後、私と息子は難病を治療する険しい道を歩むことになりました。私たちはその高齢の漢方医をすぐに見つけました。漢方医は「何十年もの医者としての経験から、このような症例は2例しかなく、息子さんがその2例目です。以前の患者は18歳になる前に亡くなられました。私の薬は脳腫瘍の成長をある程度抑えることはできるが、完治することはできません。息子さんの病状からみると、長くて2年ぐらいは維持できるが、その後は癲癇が発症する可能性があるでしょう。どこまで生きられるかは、息子さんの運命次第です」と言いました。

 こうして、私たちは大きな袋にいっぱいの漢方薬を買って家に帰るしかありませんでした。毎日次男に漢方薬を煎じて1日3回飲ませ、3カプセルの漢方薬を飲ませました。食事より多くの薬を飲んでいても病気の進行は抑制できず、私たちが最も心配していたことが起きました。

 2年後の1997年11月6日、次男が12歳の時、初めて癲癇の発作が起きました。痙攣中、背中を丸く曲げ、顔と唇は青紫色になり、親指の爪が中指の肉に深く食い込んでいました。病状が進むにつれ、痙攣は頻繁になり、発作の時間も長くなりました。少し落ち着くと、妻は次男に食事を与えますが、まだ完全に嚥下できないうちに、また痙攣が起きます。こうなると、口の中から食べ物を取り出すしかありません。

 次男は食事、歩行、入浴、トイレ使用時など、日常生活の中でいつ発作が起きてもおかしくない状態でした。 時にはひどい頭痛を伴い、悲鳴をあげながら頭をあちこちにぶつけ、頭や体は傷だらけでした。

 息子の苦しみを和らげるため、私たちはあらゆる治療法や厄払いなどを試みましたが効果は全くありませんでした。私は家の商売をやめ、妻と一緒に昼も夜も次男をずっと見守っていました。我が子が私たちの目の前で倒れる度に、心が引き裂かされる思いがして、もし可能であれば、息子の代わりにすべての苦しみを引き受けたいと願いました。しかし、親の私には何もできず、もし子供が亡くなれば私も生きる気はしません。私たちは次男の後のことまで準備しました。

 三、生き返る

 私たち一家が絶望に陥っていた時、近所の人が「法輪功を修煉してみませんか! 法輪功は子供さんを救うことができますよ」と教えてくれました。私たちは試してみようという考えを抱いて、法輪大法の修煉の道を歩み始めました。

 次男が飲む漢方薬はいつもその漢方医から送ってもらい、効果がみられなくても薬を止める勇気はありませんでした。法輪大法の修煉を始めたばかりの私たちには、大法の法理がまだ理解できず、次男に薬を飲ませながら師父の説法を聞かせていました。不思議なことに、薬を全部飲んでなくなったころ、なぜか漢方医からの新たな薬が届きませんでした。私は気になりましたが、どうすればいいか分かりませんでした。妻は私より正念が強く、次男に「私たちは師父に命をお任せしましょう!」と言うと、次男は頷きました。

 同修たちと法理上での交流を通じて、私たちは悟りました。「次男がこれほど大きな難に遭遇した原因は、息子にはそれなりの業があったからだ」と悟りました。師父は「本当にその難を取り除こうとすれば、業力を消去しなければなりません」[1] と説かれています。

 その後、次男に20日以上にわたり病業を消す状態が現れました。数分おきに痙攣が起きましたが、今までと違って、顔と唇の色は青紫色ではなく、赤くつややかになり、手足と身体は熱くて、下着や布団が濡れるほど大量に汗をかきました。両手の中指の爪が食い込んでできた傷口から膿汁が滴り落ち、強烈な漢方薬の臭いを放っていましたが、これは師父が次男の身体を浄化してくださっているのだと悟りました。

 そのころ、次男には部屋にたくさんの法輪が回っているのが見え、また、黄色い服を着た人が部屋を歩いているのも見えたと言い、これは私たちの師父と大法に対する信念を強めてくれました。

 ある時、次男に16時間止まることなく痙攣発作が起きました。私たちは師父の「忍び難がたきは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1] の教えをしっかり心に刻み、どんな状況が現れても、師父と大法に対する信念は決して動揺せず、固い正念で忍耐しました。ようやく発作が止まり、次男は卵の殻を破って出てきたばかりの雛のように、弱々しく、立ち上がることすらできませんでしたが、しばらくして、ゆっくり両腕で体を支えて座れるようになりました。次男は「お腹が空いた。何か食べたい」と言いました。

 それから1カ月後、次男は完全に回復して正常になり、喜んで跳んだり跳ねたりして、元気な姿でみんなの前に現れました。かつて死刑を下されたような子どもが法輪大法を修煉して、僅か1カ月余りで、注射も薬も、お金も使わずに難病が治り、周囲の人は皆大法の奇跡に驚いてしまいました。

 この不思議な出来事はたちまち親戚や友人、隣近所の人、そして小さな山村のすべての人々に広まり、誰もが法輪大法の超常的で比類のない素晴らしさに震撼されました。当時、60人以上の人が法輪大法の修煉を始めました。

 今年、次男はすでに35歳、壮健な東北の男になりました。この20年余りの修煉の中で、次男は薬を全く飲んだことはありません。師父が授けてくださった新たな生命は、法輪大法が創造した医学界の神話となり、師父の偉大さと法輪大法の素晴らしさを実証しました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/14/404936.html)
 
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