長期間迫害を受けた佳木斯市の石振華さん 死亡
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 【明慧日本2020年6月23日】(黒竜江省=明慧記者)‎黒竜江省佳木斯市(ジャムスし)の法輪功学習者・石振華さんは法輪功への21年間続く迫害の中で、かつて4回連行されて留置場に拘禁されたことがある。金銭をゆすり取られ、安定して住む場所を失い、年金は停止され、長期にわたり恐怖の中で生活して体調を崩し、2019年9月6日に他界した。享年75歳であった。

 以下は、石振華さんが述べた迫害された経歴である。

 一、迫害が始まった当時、法輪功を放棄する保証書に署名することを強要

 1999年7.20から、江沢民集団が法輪功に対して狂気じみた弾圧を開始し、メディアのプロパガンダを利用し虚言をでっち上げ国民を騙し、法輪功と法輪功の先生を誹謗中傷した。それ以来、私たちの早朝の煉功学法する環境が失われた。

 勤務先はすべての法輪功学習者に、法輪功を放棄する保証書に署名するように強要した。人事部の担当者は用紙を持ってきて、「法輪功を学ばない」の欄にチェックマークを入れるようにと要求した時に、私はそれを書かずに、自分がこれまでに学んだ体験を話した。しかし、「書いてください。これは上からの要求で、我々のことを考えてほしい。そうしないと仕事が終わらず、上に報告できないのです」等々と言われ、私は「表面上、適当に書き、自分は今まで通りに学べばいい」と思い、チェックマークを入れた。その後、この考え方はよくないことに気づき、法輪功に要求されている良い人の基準に合わず、良い人はもちろん嘘をつかないはずであると、改めて認識した。

 二、北京へ法輪功の無実を訴えに行き、連行されゆすり取られる

 2000年11月27日、他の学習者と一緒に北京に行き、天安門広場で横断幕を広げて法輪功と先生の無実を訴えた。間もなく、私たちは私服警官らに連行され、尋問を受け、あちこちに転々と拘束された。

 2000年12月5日、勤務先の保衛課の関係者らに連れ戻され、佳木斯市留置場に16日間拘束された。私は帰宅する前に、警官は学習者ではない親戚にもう「学ばない」と書かれた保証書に署名させ、2000元(およそ3万円)の保証金を支払わせた。この事を私は後になって知った。親戚は私と同じ会社に勤務しており、管理職だったが、結局は巻き添えにされた。

 三、2回目、連行される

 2001年11月22日午後、親戚の家に行く途中で、ついでに法輪功の資料を配布していたところ、近辺に引っ越してきた警官に発見され、向陽派出所まで連行され、残りの資料と所持金の20元(およそ300円)あまりの現金を押収された。

 その夜、佳木斯市留置場に連行され、警官の指示に従わないため、束にしてある留置場の鍵で頭を強く何度も殴られた。この恐怖と衝撃で、私はその場で痙攣を起こして手足が冷たくなり、冷や汗が出て息ができなくなった。

 その後、市中央病院に運ばれて心電図を撮ってもらったが、手足がずっと震えて痙攣が治まらず、冠動脈性心疾患と診断された。そこで数人の警官らは責任を問われるのを恐れて、私を家まで送ろうとしたが、自分で歩いて帰ると主張した。お金が全くなかったので、良心的な警官がタクシー代として5元(75円)を出してくれたので、7時すぎ頃に家に着いた。後日、その5元を于という警官に返した。

 四、3回目、連行される

 2006年5月12日の夜、ほかの学習者と3人で煤機工場公園に行き、法輪功の内容が書かれた横断幕を掲げた。法輪功に誤解を持つ人に通報され、松原派出所の警官らにより連行された。3人のうちの1人は脱走し、もう1人は解放された。

 私は留置場に連行されるのを恐れて、偽名でサインした。続いて、警官は住所まで案内するようにと要求した。私は「親戚の姉の家に住んでいます。姉は80代で身体が弱いので、大きな声を出さないで下さい」と伝えたが、警官らは家に入ってむやみに戸籍簿を探したが、見つからなかった。テーブルの上のお守りと法輪功の資料を押収して、私を連れて派出所に戻った。途中で、私を路上に置き去りにし、警官らは帰って行った。そして、私は午前2時過ぎに帰宅した。今回の連行で、心臓病と高血圧の持病がある姉に大きな精神的な傷を負わせてしまい、ドアをノックする音が聞こえただけで、姉は怯えて震え上がるようになった。

 五、4回目、連行される

 2010年11月4日に、 私たち数人の学習者は、連行された孫麗彬さんを救出するため、法律に基づいて東風区裁判所、検察庁、東風公安局佳東派出所に行って、「私たちは真・善・忍に従って良い人間を目指しており、犯罪者ではありません。また、良い人を迫害することこそが犯罪であり、法律の執行者が法を犯すことになります」と伝えたが、連行された。

 佳木斯市拘置所の食事はトウモロコシの蒸しパンと吸い物だけの質素なもので、それでも、1日あたりの食事代を60元(およそ900円)も請求された。8日目、私の身体に異常が現れて危険な状態に陥ったため、家族は解放を求めた。12日の夜に私は解放されたが、家族は拘置所から1000元(およそ1万5000円)をゆすり取られ、建国派出所でさらに1000元の罰金を科された。

 六、 江沢民を告訴したことで、嫌がらせをされる

 2015年、迫害の首謀者である江沢民に対して告訴し、中国最高検察庁と最高裁判所に告訴状を郵送した。結局、告訴状は受理されなかった。それ以来、佳木斯市公安局西林派出所の警官らは、私や親戚にまでたびたび電話をかけてきて、嫌がらせを働いた。そのため、私は放浪生活を余儀なくされた。

 七、年金を停止され、身分証の取得が困難になる

 2016年、戸籍の管轄部門である佳木斯市公安局西林派出所に行き、身分証の手続きを申請したが、法輪功学習者であるため、いろいろと困らせて手続きをしてくれなかった。その後、何度も西林派出所に行って法輪功への迫害の真相を伝えたが、進展はなかった。最後に、義姉に保証人になってもらい、ようやく身分証を発行してくれた。

 2017年5月、県外の親戚の葬儀に参列しようと思い、駅で切符を買ったところ、 「この身分証で切符を買うことができない。その理由は公安部門に登録されているためで、出かけることを禁止されている」と言われた。

 八、警官の最後の嫌がらせ

 法輪功を学び健康になった私は、長年来ずっと病気の妹の面倒を見てきた。 しかし、迫害で放浪生活になり正常な学ぶ環境を失い、嫌がらせを受けることも多く、精神的にも大きなプレッシャーに耐える中で、私自身の修煉において疎かになったため、身体の異常が出てきた。2018年の初め、妹は私を自宅に迎えて世話をしてくれるようになった。

 2018年6月12日、西林派出所の所長・邵昆海はあちこちで情報を集めて、妹の家にやって来た。その時、私はすでに寝たきりの状態だったが、邵昆海は写真を撮ろうとした。私はそばの服を取って顔に被せたため、邵昆海は私の顔写真を撮ることができず、妹の携帯番号を聞いて、立ち去った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/12/407593.html)
 
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