文/アメリカの大法弟子
【明慧ネット2020年6月28日】私は小さい時から人生の意味を考えて、親や学校の先生とも話をしましたが、ずっと納得のできる解答にたどり着けませんでした。
1997年8月にアメリカに来てから、周りに20人以上の若者達が法輪大法を修煉していることに驚きました。実は私はすでに1992年の秋に法輪功を知っていました。当時、大学生の私が住んでいた寮の向かい側に、一年中通して寒い冬でも夏の暑い時でも関係なく、毎日多くの人が煉功していたのです。その時に私は、彼らは体を鍛えるために本当によく努力しているという印象を持ちました。
病気を取り除き、健康を保つために気功をやるのは年配者のすることだとずっと思ってきたのですが、どうしてアメリカでは学業を終えたばかりの20代の若者も煉功するのでしょうか。その疑問を抱いて私は「9日間セミナー」に参加しました。初日、師父の説法のビデオを見終わってから人生の本当の意味が分かり、これは私が小さい時からずっと追求していたものなのだ、私は修煉したい、返本帰真したい! と思いました。
修煉して2年も経たないうちに、中国共産党による迫害が始まって、私は大紀元新聞社の仕事に参加しました。それからの修煉の道は、ずっと大法弟子が創立したメディアの仕事に携わっています。
VOAに採用され、厳しい環境に直面
2004年の春、私はVOA(ボイス・オブ・アメリカ放送局)の募集情報を知って、筆記試験を受けました。数カ月も経ってやっと面接の知らせが届き、「あなたの筆記試験の成績はとても良いが、採用されるとは限らない。なぜかと言うと、履歴書に大紀元新聞社で記者だったと書かれていたので、あなたは法輪功をやっていることを局が知ったからだ」と教えられました。結局、2人の主任が10分間面接して、私に良い印象を持ってくれて、「明日からでも仕事を始めましょう」と言ってくれました。このようにして2004年の秋に私はVOAに入社しました。
最初の頃、私はよく十数人に「包囲論破」されました。同僚はみんな中国共産党の嘘の宣伝を信じて私に不信感を抱き、廊下ですれ違う時も、私から挨拶しても見て見ぬふりをしていました。
ある日の早番の時、隣の席に座る同僚Aさんは進んで私に話しかけてきて、私が長春から来たと知って、Aさんは「私も長春の出身です、私たちは同郷ですね」と喜びました。よく長春に里帰りするかと彼は聞いてきて、1999年に法輪功への迫害が始まってから一度も帰っていないと答えたら、「法輪功」の三文字に彼は激怒しました。私はどうしたら良いか分からず、沈黙することしかできませんでした。結局、向かい側に座る同僚Bさんは「真・善・忍を修める人は忍耐力が強いといっても、あなた(Aさん)は怒りすぎですよ」とAさんを止めました。
Bさんは「以前、航空会社で働いていた時、飛行機でカリフォルニア州からワシントンまで来て、イベントに参加する法輪功学習者によく出会いました。夫婦そろって、小さい子供を連れている家族連れもいました。彼らはすべての費用は自己負担だと言っていましたが、本当ですか?」と聞きました。私は「本当ですよ。以前私はフロリダ州に住んでいて、毎年、子供を連れて自費でワシントンまで来て、迫害停止を呼びかけるためにイベントに参加していました」と答えました。
それから、Aさんは席に戻って来て、小さな声で私に謝りました。しかし、私に修煉を止めるようにと説得してきました。私がどんなに説明しても、彼は聞く耳を持ちません。数日後、Aさんの担当のテレビ番組は中止となって、彼もVOAを離職しました。同郷のAさんに真相を分かってもらえなかったことを残念に思いますが、今後、大法弟子に接触して真相が分かる機会に恵まれるように、私は静かに彼のために祈願しました。
毎日オフィスに入ると、いつも無形の圧力を感じて、時々退職を考えることもありました。ある日、プリントした原稿を取りに行った時、意外にも、プリンターのそばに座る同僚が、李洪志師父がメディアの取材を受けた時の報道の切り抜きを壁に貼っているのを見かけました。師父の写真を見て、自分の辛さだけを気にして、虚言に騙された衆生を忘れていたことを恥ずかしく思いました。それで、「師父、どんなに難しくても、私はこの環境を離れません。必ず彼らに大法弟子の素晴らしさを理解してもらいます」と、心の中で黙々と師父に誓いました。
環境は心境の変化に従って変わる
ある日、同チームの編集者は私に「一つ理解できないことがあります。私にはとても優秀な従弟がいて、中国の名門大学を卒業しました。彼も法輪功を修煉して、よく北京へ陳情に行き、両親はとても悩んでいます。彼はどうして自分の将来を考えないのでしょうか」と話しました。私はとても感動して、涙がこぼれそうになり、「あなたの従弟は偉いと思います。真理がいったん分かると、人間の心は金銭や利益のために変わるものでないのです」と答えました。彼は何かが分かったように頷きました。まもなくして彼は北京記者クラブに派遣されて行き、その後、手紙を書いて送ってきた内容から彼の正義感を受けました。
李先生が書かれた本の中に「これらの従業員は法輪大法を学んでから、早く出勤し遅く退勤するようになり、コツコツと働き、上司から与えられた仕事は何でも文句無しに受け入れ、利益をめぐって争うこともなくなりました」[1]との教えがあるので、いつでも真・善・忍の基準で自分を律するように私は気を付けています。
2カ月後、私は主任の信頼を得て、正式に早番のニュースチームに配属されました。毎日深夜1時に家を出て、2時に中国本土向けの生放送を始め、10時にやっと仕事を終えます。その時は、ちょうど法輪功に対する迫害がとても残酷な時期であり、毎朝10時に退社後、私は大紀元の取材や報道の仕事をして、徹夜する日もありました。どんなに忙しくても私は一度も遅刻したことはありません。
私の謙虚さ、温和さ、仕事の努力ぶりはチームの同僚たちを感動させたようで、皆はだんだんと私を受け入れました。ある70代の大先輩は、長年の経験を踏まえて整理したキャスターの仕事の注意事項や、間違えやすい漢字の発音一覧表などを私に譲ってくれました。VOAで37年間も働いた先輩キャスターは退職前に、私に「今まで一度もいざこざを起こしたことがなく、あなたが良い人だと分かっています。ここの環境はとても複雑だから、気を付けて下さいね」と言ってくれました。彼女はまたある出来事に遭遇したことを教えてくれました。2004年の夏、彼女は家族と旅行中、北京にいました。ある観光名所で北京の2008年オリンピック招致を応援するための署名が行われていて、彼女も署名しました。結局翌日、中国の新聞は「VOAのベテランキャスターが北京のオリンピック招致を応援」と報道して、彼女の署名の写真が掲載されました。私たちは番組で偽名を使っているのですが、みんな中国共産党のスパイに目を付けられていて、家族旅行も監視されているようです。
1年経って、同僚たちの態度が変わりました。進んで私に法輪功のことを聞いたり『轉法輪』を借りる同僚もいて、夫婦喧嘩して私に悩みを相談する同僚もいれば、息子にガールフレンドを紹介してほしいと頼んでくる同僚もいて、「法輪功学習者だけを信用する」と言いました。同僚Cさんの夫はワシントンの有名な弁護士事務所の共同経営者であり、事務所に欠員があり、Cさんは私にぜひ法輪功学習者を紹介してほしいと頼んできました。
ある日、私はDさんと一緒に朝の時事ニュース番組を放送していました。突然、Dさんはお腹が痛くなったため、彼女の苦痛な表情を見て、「私と一緒に煉功を体験してみませんか?」と聞いてみると、彼女は「やってみます。もう痛くて我慢できない」と答えました。私たちは番組の数分の休憩時間に放送室の中で第一功法をやってみました。とても不思議なことに、煉功を終えたDさんは回復しました。同僚Eさんは毎日の通勤時間に運転しながら煉功音楽を聞いて、長年の不眠症がいつの間にか治ったので、娘さんを我々の煉功場に連れてきて、喜んで娘さんに法輪功を勉強させました。2年前、姉夫婦が親族訪問で中国からアメリカに来て、Eさんは姉夫婦に法輪功を教えてほしいと私に頼み、中国に帰国してから姉夫婦はずっと修煉を続けて、体がとても健康になりました。Eさんは現地の中国人とよく集まって、法輪功を悪く言う人がいると、Eさんは自身の経験を語って、そして自分が知っている法輪功学習者はみんな良い人だと中国人らに教えます。
また波風が立つ
2006年、VOAはテレビ事業に力を入れ始め、主任は私をテレビチームに異動させ、私にラジオとテレビのニュース両方を担当させました。これは上層部からの信頼で、私の法輪功学習者の身分に対してもう気がかりがないことを表しています。しかし、番組の開局寸前、当時の中国共産党の最高指導者・胡錦涛氏がアメリカを訪問して、記者の法輪功学習者・王さんがホワイトハウス前で、中国共産党による臓器狩り行為を早く制止するよう呼びかけました。それは全世界を騒がした報道事件となって、王さんが呼びかけるシーンがテレビに映った時、私のオフィス全体が沸き立ちました。テレビチームの編集者は「くれぐれも法輪功の人を私たちのところに混じり込ませないように」と言って、そして私に「あなたのことを言っているわけでない」と言いました。同僚たちの議論をいろいろ耳にして、私は圧力を感じました。記者としてホワイトハウス前で呼びかける行為はプロ意識が足りない、理性的ではないと私も思いますが、しかし王さんの行為は自分自身のためではなく、逆に、その挙動は自分の生活に影響と圧力をもたらすばかりです。医者出身の彼女は臓器狩りの暴行を如何に制止できるかだけを考えていました。ここまで考えると王さんに対する不満が消えて、またその考えを同僚たちと分かち合いました。それをきっかけに、同僚たちはホワイトハウス前の事件をきにしなくなり、転じて臓器狩りに関心を持ち始めました。
騒ぎが収まって、私も計画通りにテレビチームに配属されました。他の同僚と比べて、私の大学はニュース専門でもなければ、正式に放送の訓練を受けたこともありません。しかし意外に視聴者から「あなたの穏やかな姿勢と落ち着いた雰囲気が好き」とのフィードバックが来ました。浙江大学のある大学院生によると、彼が住んでいる学生寮のルームメート6人とも私のファンになったそうです。上司も私の仕事ぶりが気に入って、毎年の昇給の機会に一度も私を忘れたことはありません。一つの部署に使えるパーキングカードは数枚しかないのですが、時には私の机に2枚も置かれていました。周囲の環境はますますフレンドリーになったと感じました。
チームの同僚たちはだんだんと真相が分かって、大法弟子に対して感心するようになりました。番組が終わったら編集者はよく私に「早く帰って」と合図してくれ、「あなたたち(法輪功学習者たち)の時間はとても貴重です。帰ったらまだすることがたくさんあるでしょう」と言ってくれます。あるキャスターは私に「父は中国の有名大学の中国語教授で、あなたたちの『大紀元時報』をとても気に入っています」と言ってくれます。ある海外駐在の記者が帰って来た後、「駐在地で複数の法輪功のニュースを報道しました。ここ数年間、頑張っている法輪功団体に対して申し訳ないと思っています」と言ってくれました。同僚たちの善意に心から感謝しています。
テレビチームの最も頭を悩ませる仕事はディレクターの仕事です。勤務時間が長くてプレッシャーが大きく、作業内容が最も煩雑です。我々は当番制をとって、1人ずつ週1回担当しています。若い同僚が、ミスをした時に重圧に耐えられなくて泣き出したのを見て、私は自ら編集者に、ニュースキャスターの仕事をやめてディレクターの仕事に専任すると言いました。週7日間働く時もありました。毎日オフィスに入った時から収録が終わるまでバタバタとして、数時間も休憩できない時もありました。放送開始の数分前までまだ原稿を待っていることもあり、ぎりぎりまで番組の時間調整をすることもあり、生放送の現場でアメリカチームと協力しなければならないことも起きました。さらに現場を仕切って司会者、パネリスト、視聴者からのホットライン、画面の切り替え、写真、画像、字幕など一つ一つの順調な進行を保たなければならないことも日常茶飯事です。修煉者として穏やかな姿勢で仕事に挑んで、そんなに大きい圧力を感じたことはなく、数年間で私は一度もミスをしませんでした。私が進んで重圧を分担することに同僚たちは感謝し、編集者も毎朝私の姿を見ると安心すると言いました。
退職前の騒ぎ VOAの同僚に大法弟子の良さを見せる
瞬く間にVOAで8年も働きました。2012年の夏、大紀元はフルタイムのスタッフを確保する必要があって、私はVOAの仕事を辞めて大紀元の社員になることを決めました。しかし退職届を出す寸前に、また騒ぎが発生しました。
ある土曜日、放送を終えた時、チームの同僚のFさんは突然私に罵声を浴びせて、皆は驚きました。Fさんは理性を失ったようで、自分の情緒が全く制御できなくなっています。原因は、私が休暇を取った日に、上司はFさんに私の仕事を代行させていました。しかし彼女は遅刻して、番組を遅らせたほかまた多くのミスをして、上司に怒られました。彼女は中国の放送、メディアに関する分野における最高レベルの大学「中国伝媒大学」を卒業して、中国のテレビ局にニュースキャスターを担当したこともあって、プライドが高いのです。VOAでは重要視されていないと落ち込んで、私に対して嫉妬心を抱き、私が煉功して「走火入魔」になったと罵りました。罵声はオフィスの全員を驚かして、皆は彼女の理不尽な侮りと罵りを止めようとしました。しかし、彼女は全く聞く耳を持たず、ますますエスカレートしました。十数分の間、私は一言も言わず、自分がどんな不適切なことをして彼女を傷つけたのかを考えていました。
家に帰ってから、もし早く退職届を出せばこんな騒ぎに巻き込まれずに済んだと思ったら、心が辛くなって、すぐ上司に退職願望のメールを送りました。翌日、私の退職のことを皆が知り、多くの同僚は電話をかけてきて私を慰めて、数人の編集者は自ら会議を開いて、どのようにこの事件を処理するかを討論しました。ある編集者は「良い人が辞めざるを得ず、悪人は得意満面になって、天理と道義はどこにあるのか」と言いました。番組のディレクターは主任に私の無実を訴えました。実は休暇を取る前日、私は作業の流れを詳しく書いて、Fさんを現場まで連れていって、やり方を教えたのです。その時ディレクターは「あなたは善良な心の持ち主ですね。覚えられるかどうかはFさんのことで、彼女に教える義務はないですよ」と言ったことがあります。
同僚たちがみなこの事を知ったので、私からいきさつをはっきり説明する必要があると思いました。私は自分の部署の130数人の同僚にメールを出して、誠心誠意にFさんに謝りました。休暇を取るのは私の正当な権利とはいえ、彼女に迷惑をかけて怒らせた起因でもあります。また、VOAで仕事をした8年の中で、ずっと真・善・忍で自分を律して、会社に一度も待遇アップなどの要求を言い出したことはありません。仕事以外の時間に中国で起きている迫害を止めるための活動をして、そのような行為をFさんに「走火入魔」と軽蔑されることにとても辛く思って、VOAで信仰に対する差別が起きたことに残念に思う、と綴りました。
私が罵られても一言も言い返さなかったことを信じられず、上層部は何度も現場に居合わせた同僚たちに確かめました。同僚たちは私のために証言して、Fさんをクビにしてくださいと上層部に申し出ました。3日後、Fさんは警備員とともにオフィスを出て、VOAの仕事を失いました。上層部はすぐさま私に電話をかけて、その「嬉しい情報」を知らせてきました。私は悲しくなって上層部に、これは私が望んでいる結果ではないと話しました。彼女にあんなに理不尽に侮辱されて、あなたはどうしてまた彼女に同情するのかと不可解に思った上層部は私に聞きました。その事はすぐワシントンのメディア業界に広まって、後日、報道現場でほかのメディア会社の記者に会ったら、彼らは私に熱いハグをしてくれました。
同僚たちは何度も私を引き留めようとし、仕方がなく私はもう1カ月勤めて、1カ月後その波風が平静になってから正式に退職しました。
40数人の同僚は私のために送別会を開いてくれ、「あなたと同じ職場で働いたことを光栄に思います」と言ってくれる人もいました。退職手続きを済ませてVOAのビルを出た瞬間、師父への感謝の気持ちでいっぱいでした。心の中で「師父、私は師父との約束を守りました。8年間の中で彼らに大法弟子の良さを知ってもらいました」と話しかけました。
結び
25歳から法輪大法を修煉して、今まで23年間歩んできて、なんと貴重な23年間の月日だったでしょう。いろいろな困難に見舞われたのですが、真・善・忍は人生の方向を導いてくれています。法輪大法は私に知恵と力を授けて、心の容量を拡大させてくれました。私は「善」のメッセージを周囲の人々に伝えて、周囲の環境も少しずつ変わりつつあります。千言万語を尽くしても師父への感謝を表現しきれません。
注:
[1]李洪志師父の著作:『轉法輪』