【明慧日本2020年6月28日】中国共産党は21年来、ずっと江沢民の「その名誉を腐らせ、その経済を断絶させ、その肉体を消滅させる」という法輪功への迫害政策を推し進め、法輪功学習者を迫害してきた。拷問による致死、薬物による致死、生きたまま臓器を摘出するなどの手段は、一般的な肉体を消滅させる方法である。
また、加害者を激励し罪悪を隠蔽するために、江は「殺しても責任を負わず、身元の確認をせずに直接火葬する」という政策を打ち出した。それによって、中国各地で警官が瀕死の状態の法輪功学習者を葬儀場に運び、強制的に火葬する事件が起きている。
28歳の李梅さんの場合
法輪功学習者の李梅さんは2001年2月1日、安徽省女子労働収容所で酷く迫害されて、死亡した。28歳の若さであった。李さんは大勢の警官に葬儀場へ引きずられた際に、身体がまだ温かいことに家族は気づいた。家族は泣き叫んだが、警官らにより無理やり連れ去られた。
2001年2月1日午後に、省・市610弁公室、政法委、公安局、労働収容所、住民委員会などの大勢の関係者らは、李さんの家族を呼び出し、車に乗せて105病院に行くと言っておきながら、実は葬儀場へ向かった。その際に、家族は李さんが「死亡」したと告げられた。
当時は真冬で、李さんの「遺体」はすでに15時間放置されていた。李さんの姉は服を着替えさせた際に、妹の身体がまだ暖かいと感じ、「妹はまだ生きている! 体温があるのに、どうして火葬するのですか」と驚いて叫んだ。親族も悲しみと怒りの中で、「生きている者まで火葬するのか?」と警官らに問い詰めた。ある女性警官は信じられない表情で手を伸ばして触ってみようとしたが、感電したように身を縮め、恐怖で声を震わせながら「本当に温かい!」と言って、違う部屋に隠れてそこから出てこなくなった。
李さんのあごには2インチあまりの縫い傷があり、糸はまだ取れていなかった。 腹部にも数箇所の傷跡が残されていた。その場にいた人達は皆が号泣した。
元重慶税務署幹部の江錫清さんの場合
重慶市江津区の税務署を退職した江錫清さんは、法輪功を学んでいるという理由で、2008年のオリンピック前に連行され、重慶西山坪労働教養所に拘禁された。西山坪労働教養所は法輪功学習者を厳しく管理し、信仰を放棄させるために拷問を加えた。
2009年1月27日午後、家族は労働教養所で江さんと面会した時に、66歳の江さんはまだ元気だったが、24時間も経たないうちに、突然「心筋梗塞で死亡した」と、労働教養所から通知の電話がかかってきた。
江さんは冷凍室に入れられて7時間の経過後、初めて関係者らは家族の人に知らせた。しかし、家族は冷凍室で遺体を確認したとき、遺体はまだ体温があったという。江さんの娘と息子は「パパを助けて! パパは死んでいない!」と言い、父親のために人工呼吸をしようとしたところ、二十数人の警官らにそこから無理やり引きずり出された。そして、家族の同意なしに遺体は火葬された。
人々は次のような疑問を強く感じるはずである。なぜ、生きている人を強制的に火葬するのか? なぜ弁護士の介入を許さないのか? 何を隠蔽しようとしているのか?
淮安の法輪功学習者・張正剛さんが受けた残忍な迫害は、さらに惨烈極まりないものであった。2000年3月25日、淮安留置場でひどく殴打され、頭部に重傷を負い人事不省となった張さんは、淮安市第一人民病院に運ばれ救急措置が取られた。治療後、張さんはまだ心臓の鼓動と血圧があるにも関わらず、突然に40人から50人の警官らが入って来て、病院の廊下から病棟まで並んで戒厳な体制を敷き、医師に酸素マスクをはずし、点滴の管を抜くようにと命令し、そして、張さんに一針の注射をした。その後、数人の警官らが一斉に家族を押しのけて、張さんを奪い取って火葬場に向かった。このようにして、36歳の若い張さんは生きたまま火葬された。