労働教養所で迫害に反対したことを思い起こす
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文/中国の大法弟子

  【明慧日本2014年10月14日】私は今年で70歳を超えました。2000年6月、私は現地の数名の同修と一緒に北京へ法を実証しに行き、連行され、不法に現地の重慶西山坪労働教養所に監禁され迫害を受けました。この労働教養所は、中国各地から大法弟子を一箇所に集め、いわゆる「教育大隊」で洗脳と転向を強めていました。ここでは、あちらこちらに大法を誹謗中傷する横断幕がかけられており、その中に、長さ10メートル以上もある横断幕が運動場にありました。そして毎日スピーカーで大声で大法を誹謗していました。ある日、一人の背の高い同修が高くジャンプし、スピーカーの線を引きちぎり、大法への誹謗中傷の放送を止めました。この同修は、すぐに警官と受刑者らに殴られ、罵られた後、独房に拘禁され残酷な迫害を受けました。

 ある日、隊長が上司に気に入られようと、いわゆる「検査団」を迎えて、朝一番から大法弟子を運動場に集合させて待たせていました。9時頃、男女10人あまりの検査団が、カメラを持参して、談笑しながら運動場に来ました。この時、私はこの大法を実証する良い機会を逃してはならないと思いました。隊長からの報告が終わった時、私は列をとび出し、大声で正式に大法を中傷する横断幕を取り外すよう求めました。私の突然の行動に、検査団の人はどうすればいいか分からなくなり、動揺していました。中にはその場から離れていった人もいました。隊長は落ち着いている様子を見せて「後ろに回れ、左へ回れ、右へ回れ」と叫んでいましたが、実は内心のパニック状態を隠そうとしていました。その時、ある同修が「法輪大法は素晴らしい」、「法輪大法は正法である」と叫びました。すると他のすべての大法弟子も同時に「法輪大法は素晴らしい」、「法輪大法は正法である」と叫びました。その後、私は20日間監禁されました。私が監禁された後も、二人の同修たちが、大法を実証し、私の正義の行為を支持するため、かけていた横断幕を取り外して破りました。怒った警官は、この二人も独房に監禁しました。

 それから数日後、私と数名の同修は農業隊に移動されました。ここは更に邪悪でした、同修の李さんはここで迫害され死に至りました。ある日、隊長は私に懺悔書のようなものを書くよう求めましたが、私は断固として断りました。すると警官は私と家族との面会予定を取り消しました。私は書面で抗議しましたが、返事がなかったので、私は自分の権利を守るために断食をしました。警官らは私を地面に押し付けて灌食の拷問を加えてきしました。私は「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。各牢屋の同修たちも大声で抗議して声援してくれました。警官らはお箸で私の口をあけようとし、私の口は傷つき血だらけになりました。私は胆汁まで吐きましたが、彼らはかまわず開こうとしました。高山にある11月の西山坪は寒いです。しかし警官たちは汗まみれになっても暴行をやめませんでした。今度は私を食堂のビリヤードテーブルの上に移動させて暴行し続けました。まわりの壁も血で赤く汚れましたが、彼らは依然として少しも私の口に注入できませんでした。すると所長が私の前に来て、家の電話を教えてほしいと言いました。そして私の目の前で家族に見舞いに来るようにと電話しました。翌日、私の家族が教養所に来ました。警官らはこの処置に甘んぜず、それから私を3週間、独房に監禁しました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/10/3/298475.html)
 
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