死体として扱われていた人たち(一)
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 【明慧日本2015年3月5日】法輪功学習者が受けた残酷な迫害の中で、気絶するまで虐待された人は少なくない。警官は彼らに対して、葬儀社まで送って冷凍し、または火葬場に送って火葬している。あるいは思い切りガソリンを注いて火をつけ、「法輪功学習者らは焼身自殺した」とでっち上げたり、更に生きたまま臓器を収奪するケースも少なくない。これらのような、人間の想像を超えた凶悪で残忍なことが中国本土でいま起きている。

 二度死から逃れた女性

 遼寧省東港市の第三中学元教員の劉延俊さん(女性)は、瀋陽市女子刑務所で極めて残酷な迫害を受けた。

 2004年11月14日、監区指導員は劉さんの状況を見に行った。顔が分からないくらい痩せこけた劉さんを見て、指導員は受刑者に「彼女の衣服や遺物を病院に搬送される彼女とともに持っていろ」と指示した。同時に、刑務所側は劉さんの弟に1万元の医薬費を要求した。「お金を出さないと、彼女は命を落とす可能性が高い」と言った。

 事後、監区指導員は劉さんにこう言った。「お前はラッキーだな。病院に搬送する日、もう少しのところで火葬場まで送るところだったよ。衣服まで持って行った」。また受刑者は彼女に言った。「弟が会いに来なかったら、お前は命を落としていたよ」

 女性警官の良識で彼は助かった

 2004年8月18日、湖南省郴州嘉禾県の法輪功学習者・雷井雄さん(24)は、長沙天心公安分局まで強制的に連行された。当日午後4時、警官は雷さんに対して夜まで虐待し、気絶するまで殴り、公安局の人員は雷さんを火葬場に送った。火葬する直前、一人の女性警官は雷さんがかすかに動いたのに気付き、「この人はまだ死んでいない。火葬してはいけない」と言った。その場にいた何人かの男性警官は「もう火葬場まで来たんだ、そのまま火葬すればいい」と言うと、女性警官は「まだこの人は死んでないから火葬してはならない。将来責任を追及されたら誰が責任をとるの?」と言った。雷さんは長沙市中心病院まで搬送され、緊急手当てをされて、何とか生き残った。

 葬儀社の担当者の良識で助かった女性

 上記の法輪功学習者と似たようなケースもある。湖北省の元襄樊漢江機械場(現中航工業航宇救生装備有限会社)子弟学校の教員・劉偉珊さんは、2002年10月に不当判決を下され、武漢市女子刑務所に収容された。そこで劉さんは迫害を受け、半身不随、筋委縮になり、精神に異常をきたした。

 2011年8月、劉さんは新築の病院ビルに移されて迫害を受け続けた。迫害を受けている間、湖北襄(じょう)陽市「610弁公室」のメンバーおよび364航空病院党委書記は、心臓がまだ脈打っていた劉さんを葬儀社まで送った。火葬する直前、葬儀社の当番が検査を通して劉さんはまだ生きていることに気付いた。まだ心臓が脈を打っているため火葬を断ると言った。これにより、劉さんは364病院まで戻された。

 病院から強引に火葬場まで運ばれ火葬された男性

 江蘇省・淮安市工商銀行職員の張正剛さんは、2003年3月2日に警官により淮安留置場まで強引に連行され、殴られて頭部重傷となり、淮安市第一人民病院まで搬送されて緊急手当てを受けた。手術後、張さんは意識不明の状態に陥った。3月30日夜6時30分頃に、張さんの心拍数は現時点において少ないが、呼吸をしており、意識不明の状態にあると医師は判明した。警官たちは張さんを医師から奪い、火葬場に運んで張さんをそのまま火葬した。張正剛さん、享年36歳。

 火葬場に行く途中に亡くなった局長

 河南省・済源市物資局局長の原勝軍さんは、2005年10月7日、懲役6年の不当判決を下された。10月5日午後5時半ごろ、原さんは警官のすきを見て済源人民病院から脱け出した。そして、同市承留鎮南桃村のある民家で警官に見つかった。原さんがまだ生きているうちに、警官は南桃村の郭役員に原さんの死亡証明書のサインをするよう脅かし、原さんを火葬場まで連れて行った。行く途中、原さんは死ぬまで殴られた。事情を知る人によると、原さんは死亡してから二日たっても目と口が開いたままだった。手や腕・爪、背中・片足は全体に黒く紫色になり、顔は傷だらけだったという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/1/24/303542.html)
 
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