明慧法会|大法弟子の風格を現す
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文/吉林省の大法弟子

 【明慧日本2020年7月3日】
 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!
 全世界の大法弟子の皆さん、こんにちは!

 22年修煉し、師父が法を正すことをお手伝いして20年、心を静めて振り返ると、自分の変化は本当に心を入れ替えて真人間に生まれ変わったかのようで、仕事や家庭環境の中で、さらには街を歩いている時、遭遇することに対して、私は他人の立場に立って自然に問題を考えることができ、心から他人を大切にすることができます。他人の立場に立って考え人を大切にする時、私は心の底から師父に感謝し、大法に感謝申し上げるのです。大法だけが私利私欲に満ちた心の狭い人間を、寛容で度量があり、他人を優先し自分を後にする生命にすることができます。

 刑務所の中で大法弟子の風格を現す

 はっきり覚えているのですが、留置場に不当に拘禁された日々の環境はとても劣悪で、寝る時は「タチウオ」を並べているかのように、頭を抱え膝を立てながら眠りました。私の隣の人は太っており、その人が眠ると私の体を圧迫し、私が動くとその人が眠れなくなるのではないかと恐れました。水を使うのも厳しく、大法弟子は自覚して水を少なく使い、その他の刑事犯の間ではいつも口論がありましたが、大法弟子はいつも他の人に譲りました。トイレがつまったら、黙って汚物を掻き出します。そのように自然に大法の中から修め出した善があの複雑な留置場の中でさらに鮮明に現れました。

 かつて罵りもしなければ話もしなかった牢名主(訳注:監房内を管理する受刑者)が感化されました。ある時私は真相を伝える手紙を別の監房に伝えたとき、留置場の警官は連帯責任を取らせる方法で監房内の全員を懲罰し、監房内の人を散歩に行かせず、私は警官に会って議論し、牢名主は涙を流しながら私に「大丈夫です、私たちは散歩に出たがらないし、私たちをずっと外に出さず何日間懲罰に耐えられる能力があるのかを見ているのです。あなたたち大法弟子は無私で、私はあなたのためなら何でもやり、あなたのためなら、足かせをはめられたってかまいません」と言いました。留置場の警官は私に対する受刑者の恨みを引き起こす効果を出せなかったので、翌日このような無茶な懲罰は解除されました。

 またある大法弟子はわずかなビスケットを死刑囚にあげました。かつて社会でいいかげんに過ごし、武器をつきつけられてもまばたきさえしなかったその男性は、散歩の時に女性監房を通った時涙を流し「姉さん、こんなにも長い間で、私ははじめて他の人から物をもらいました、以前はいつも他人が私から取り上げ、留置場に入る前もし私が法輪大法を学んでいたら、私は犯罪を犯さなかっただろうし、私は法輪大法が素晴らしいことを永遠に覚えているでしょう。もし来世があるなら、私は必ず大法を学びます」と言いました。そしてその男性は歩きながら「法輪大法は素晴らしい、刑場へ行くぞ」と叫びました。

 その後、私は闇監獄に移され、留置場側は「転向」させようとし、2人の「受刑者」が1人の大法弟子を転向させようとしました。私は受刑者たちを姉妹のように扱い、受刑者たちに大法を伝え、どのように人を善に向かわせるのか、どのように人々の心身を健康にするのかを伝え、受刑者たちに家族へ手紙を書かせ、受刑者たちの悩みを解決しました。人はみな善良な本性を持っているので、私と受刑者2人の関係はいつもとてもよかったのです。しかし人には皆私心があり、特に留置場の環境で「受刑者」は留置場内の態度に対して高い点を取り早く出獄するために、陰で警官に告げ口をしましたが、私はそれでも構いませんでした。ある時、私の経文がどこにあるかを受刑者の1人が留置場の警官に伝え、私は引っ張られて体をばらばらにするような五馬分屍に似た拷問を受けたので、その時私は絶食して抗議しました。留置場の中ですべての大法弟子が団結して、留置場長に私を解放するよう手紙を書き、そして全体で絶食して救いました(その時同修が絶食して私を助けたことを私は知らなかった)

 留置場側が私を拷問した目的は私を「転向」させたいからであり、経文を探すことは言い訳でした。「煉功しない」という保証書を書くよう私に迫り、私は留置場の警官に「私はどんな保証書も書きません、もしあなたたちが私を解放しないなら、私はずっと絶食します」と伝えました。この言葉を発した時、それは確固として揺るがすことはできないものだと私は本当に感じました。留置場の獄政課と捜査課の課長、それに大隊長は別々に私と話し、絶食がもたらす結果のことで私を脅迫しましたが、私は師父のご加持と同修の正念による助けの下で心を徹底的に放下し、生死を放下しました。3日目に私は無条件に拷問を解除されました。

 監房に戻ると、刑事犯の1人が親指を立て「みなさんは本当に素晴らしい、無私ですばらしく、私が担当しているあなたたちの同修は、あんなに高齢なのに、あなたのために絶食し、空腹でみなふらふらしているのに食事をせず、あなたたちは修煉者だからこそ、他の人のために、自分の命を顧みないということができるのです。私たち常人はみな利己的で、他の人のために食事をしないなんてことはできません」と言いました。

 私を密告した人に私は会い、その人の手を引くと、その人はすぐ泣きだしました。私は気持ちを静め微笑みながら、「あなたのせいではありませんが、あなたに道理を話さなければならず、人として自分のために良心に背いてはなりません。今日私は生きて戻って来ました。それはどうしてかというと私でさえ知らないあんなにも多くの同修が一緒になって絶食して私を救い出したからです。もし私が戻ってこなかったら、迫害死されたからで、私の死はあなたの密告のせいで、あなたは私を迫害死したことに加担したことを出獄後に考えることになります。真・善・忍に従ってよい人になっている人を迫害死させたことになり、あなたはそれでも自由に生きることができますか? あなたの本性は善良であり、殺人が悪を行なうことであることを知っていると私は思いますので、これからは二度と愚かなことをしてはいけないということを覚えてください。大法弟子がよい人であることをあなたは知っており、大法弟子を大切にすれば福報が得られます」と言いました。その人はとても後悔し理解しました。私はその人に「自分の敵を愛することができなければ、圓満成就することはできません」[1]という大法の師父が弟子に説かれたことを伝えました。私は「あなたは私をこのように扱いましたが、私はあなたを敵とみなしておらず、この大法は素晴らしいと思いませんか?」と言いました。私がその人を恨んでいないことでその人は感激し、それからは告げ口をしませんでした。その後その人は大法弟子を「転向」させようとしませんでした。

 家庭の中で大法弟子の風格を現す

 私たちの家には姉妹が6人おり、家庭条件はとてもよく、私は一番年下で、この数年私が中国共産党の迫害を受けたために、経済条件が少し悪くなりました。しかし師父の按排の下、私が出獄してから見つけた仕事は、給料は低くなく、休憩時間も多かったのです。私は部屋を借り、同修と真相を伝えるプロジェクトに協力しました。

 両親は私の姉の1人が世話をしています。両親は認知症を患っており、晩年に直腸がんを患い、どこでも大・小便をしてしまい、さらに着替えをしないので、一家全員を悩ませています。父が言うことを聞かないと、家族が焦り、焦れば焦るほど父は言うことを聞かず、協力しなくなり、一家全員が万事休すでした。私は修煉者の気持ちで父を扱い、父が協力するかしないかに関わらず、私はいらいらしないで焦らず、ゆっくりした口調でささやくように話をしたので、父は時には意味を理解して、私には比較的協力的でした。ある時、父が母に対してひどくむしゃくしゃしているので、私は父を連れ出しました。私は父を自分の家に引き取り、同修は父が汚すことをいとわず、さらに善の心に忍耐を加えて私の父に対応したので、父はやはり同修の言うことを聞き、私が出勤している時に同修は父の面倒を見て、大・小便をしたら着替えさせ、2カ月間面倒を見てくれました。

 息子と娘は何もできず、部外者がしっかり行なうことができ、さらに金銭での報酬もいらず、これは私の家において反響が大きかったのです。私がちょうど出獄した時、私の兄は大法弟子が両親の家に来ることを許しませんでしたが、今では同修を家族のように扱っています。その後姉の家では用事があったためもう両親の面倒を見ることができず、私はまだ定年退職しておらず、他の数人の姉の家も家から離れることができず、両親の面倒を見ることができませんでした。私は出勤してさらに資料を作らなければならず、同時に数カ所の技術支援の責任も負っており、本当に忙しかったのです。しかし私は修煉者であり、父を老人ホームに送ることはせず、父の状況ではそのような場所に行っても他の人に協力できず、数日で餓死してしまうかもしれなかったのです。私が自分の家で両親の面倒を見ると進んで手をあげると、兄と姉はみな大喜びしました。

 私と同修は、さらにこの件を一緒に受け入れてくれる同修1人を雇い、やっかいなことに遭った時はいつも黙って解決し、兄と姉の悩みを増やすことはしませんでした。私たち大法弟子3人は協力しながら資料を制作し、機器を修理し、真相を知らせる卓上用カレンダーを制作する期間は最も忙しく、私たちは家庭関係にきちんと対処し、また大法弟子が行なうべきことを行ないました。兄と姉が毎週末両親に会いに来ると、私と同修2人はきちんと食事を作って兄と姉を招待し、家族がなごやかに楽しみ、兄と姉は大法に対して従来まったく無関心で、まるで兄と姉に関係がないかのようでしたが、その後兄も姉も大法を受け入れ、毎回果物を買ってきたらいつもまず師父に差し上げることがわかり、雇う人も大法弟子だけを認め、常人を認めませんでした。

 父が重病の間、母(同修)も大きな生死の関を乗り越えていました。母が集中治療室に送られた時、私は母に「『法輪大法は素晴らしい』と念じ、師父に助けを求めてください」と言いました。師父のご加護の下、母は1週間で退院しましたが、ストローで水を飲むのも手が震え、大・小便を失禁するほど弱りました。年寄り2人が同時に寝たきりになり、自活できず、私はさらに出勤しなければならなかったので、数人の姉が交代で私の家に来て両親の世話をしました。一人一人の姉の性格が異なり、時には私の不足について文句がいっぱいで、作る料理が間違っているなど、姉たちの生活はとても凝っていて、私が間に合わせで物事を行なっていると言います。私は心の中のバランスを欠き、悔しさと反感がこみ上げてきました。私は「あなたたちは両親を世話しに来たのかそれとも遊びに来たのか、私は両親の世話をしなければならなあり、多くの種類のおかずを作らなければなならない」と思いました。

 同修は「あなたは修めなければならないことがあるでしょう」と私にアドバイスしてくれました。私は家庭の中で自分を修めなければならないとわかっており、まず利益の心を放下し、耳に心地よい言葉を聞きたがる心や人にあれこれ言われたくない心を放下しなければなりません。私は心の中で「師父、安心してください、私はこの関を乗り越えなければならず、私のことがいいと言われても心を動かさず、私のことが悪いと言われても心を動かしません」と申し上げました。

 最も反感を買った姉を私は修煉における向上の機会とし、その姉が私の家にいる毎日を大切にし、観念を変えました。その姉は両親の世話をしに来るのではなく、私の修煉の向上のために来るのであり、私はその姉に感謝しなければなりませんでした。姉の家は遠く、飛行機で来ており、私の家にこんなに多くの日数泊まるのは得難いことで、私はその姉を厚遇すべきであり、その姉が好きなおかずをたくさん作らなければなりません。姉も若くはなく、体もよくなく、姉を疲れさせてはならず、できるだけ姉に仕事をさせず、夜も母親と同じ場所で寝させず、姉がゆっくり休めなくなることを避けました。私の心をこのように改めると、二度と疲れを感じませんでした。姉も変わり、文句をつけることもなくなりました。大法の中で着実に修煉することの幸福と喜びを私は認識しました。

 父は私の家で8カ月後に亡くなりました。私は大法の音楽をいつも父に流していたので、直腸がんを患っていた父はまったく痛みを感じず、穏やかに去っていきました。

 父が去った後、86歳の母親はだんだん回復し、ただ残りは卵黄大の肺(母親は職業病の珪肺)でしたが呼吸は正常で、集中治療室の医者も奇跡だと言い、家族全員は大法の恵みにさらに感激しました。しかし私は、以前から家の中で最も話をする資格のない妹であり、このような複雑な家庭の魔難の中で大法弟子としてあるべき無私無我の風格を現し、尊敬を勝ち取りました。兄は家族全員の前で「妹はいつも黙って積極的にプレッシャーを負い、敬服する」と言いました。実際家族は大法に感激し、大法を敬服し、大法が作り出した生命に敬服していました。

 家庭の魔難の中で、師父の一つ一つの按排を私は感じ、自分を修めることを通じて、ずっと歩んできました。私は両親や家族に対する情から飛び出し、より高尚な慈悲を以って家族と両親を大切にし、大法の佛光があまねく照らす下で、家族と両親にすばらしい未来があることを希望します。

 衆生を救い済度することは私の使命

 私の時間の一分一秒はみな衆生を救い済度するために師父が延長なさった時間で、それは私がこの世に来た使命です。私は時間を必要とし、慈悲で偉大なる師父もまた私のためにすべてを按排してくださり、何と両親を世話したあの姉がまた私の家にやって来て、姉は引き続き母の世話をすると言いました。私は再び全力を尽くして法を実証する道を歩むことができます。

 私の職場にいる修煉を始めて4カ月の新しい修煉者は1回だけでなく興奮しながら私に「私は○○を恨み、私と彼女は同じ作業班でこんなにも長い時間一緒で、彼女は大法のことについて私に一言も触れず、彼女がもし早く私に伝えてくれれば、私は今もっと理解できたはずで、あの時もし私が信じなかったのなら、もっと私に話してくれれば、私は早く修煉を始めました! 多くのことを話し死ぬほど疲れました!」と言いました。

 同僚の不満を聞いて、私と縁のある衆生が苦情を言っているように私には聞こえました。私は二度と時間を引き延ばすことはできず、すべての時間をむだにせず、たくさん走り、大法弟子が行なうべきことを行ない、使命感に燃え、衆生の期待に背きません。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『オーストラリア法会での説法』

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/11/395564.html)
 
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