大法弟子は天象の中で衆生を救い済度するべき
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年4月26日】今年になって中共ウイルス(武漢肺炎)が爆発的に蔓延してから、多くの学習者に、「武漢肺炎自体が旧勢力の按排であるのかどうか」という疑問がありました。もし、旧勢力の按排であれば、この武漢肺炎自体を消滅するようにと発正念することについて、大法弟子は発正念すべきかどうか、この問題について地元の同修は考え方がそれぞれ異なり、ずっと議論していました。

 正見ネットに最近掲載された数編の文章の中に、「武漢肺炎という疫病を正念で消滅すべきである」という意見が掲載され、師父の法を多めに引用後、それらの見方を証明していました。特に、正見ネットの「武漢肺炎の背後の邪悪を正念で解体後、天目で見る」の文章の中に、筆者が天目で見ると「疫病の背後は黒い廃棄物質ばかりで、その廃棄物資が任意に衆生の身体に降りて来ている」と言っています。これらの現象を見て文章の最後に、「武漢肺炎を利用して人を滅ぼそうとする邪悪要素を、発正念をして解体しよう」と書いてありました。もう一つの文章には「正念で武漢肺炎と直面する」の中に、武漢肺炎の目的は、「邪悪が法を正すことを妨害し、世間の人々や衆生を滅ぼすことである」と書いてありました。

 さらに、大法弟子がこの疫病を発正念で止めるようにと呼びかけています。文章の中に、「邪悪が世の人々に強制的に付け加えた壊滅的な災難に対して、大法弟子が正念で除去することは、衆生を救い済度する真実の現れではないだろうか」、「例えば今の武漢肺炎に対して、法を正す時期の大法弟子として何も動かず、無視してこの災難を認める方がいいのか、あるいは、師父のご希望通りに法を正す時期の大法弟子としてこの災難を除去する方がいいのか、これは正に、法を正す最後の場面ではないだろうか」と書かれています。

 以上の文章には、多めに師父の経文を引用していましたが、2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)の時には、師父のSARSに対しての経文を引用していませんでした。経文の中に「中国で現れている疫病はつまりこのような人を処理しています。済度されなければ、淘汰されるしかありません。私がこれを行なっているのではなく、旧勢力が人間を淘汰しています。もちろん、正神も悪人を淘汰しています。これほど由々しき一大事はもちろん私が許可していなければ、旧勢力もそうする勇気はありません」[1] と書かれています。

 ここまで書いてくると、以上の正見ネットの文章の観点は中国共産党(以下、中共)が欲している観点ではないかと気づきました。中共はこれらの「正念」をもらって後ろ盾とし、天罰を避けようとしています。この角度から見れば、これらの文章は一体どのような役割になるのでしょうか。中国の同修は、よく正見ネットを見ています。多くの地域には、ずっと『正見週刊』と『明慧週刊』を一緒に印刷して同修に配っています。もし『正見週刊』がこれらの文章を選択して掲載すれば、『正見週刊』としてのマイナスの影響がどれほど大きいでしょうか?

 明慧ネットには、2020年3月9日(日本語版では、同年3月26日)に掲載された文章の「武漢肺炎が引き起こした疫病への予測」から、「旧勢力が按排した疫病を通して人を淘汰することは全部で3回です。SARS(重症急性呼吸器症候群)は第1回目です。武漢肺炎は第2回目です。第3回目はまだ来ていません。第1回目の規模がまだ大きくありませんでしたが、今回(第2回目)の規模は第1回目よりはるかに超えています。しかし、今回の疫病はまだ最後の徹底的な大淘汰ではありません。第3回目こそが人類を淘汰する最大なレベルの災難です」、「私たちはいかなる形式や状況の変化に対しても心を動かすことなく、しっかりと三つのことを行なって、旧勢力と人を奪い合って戦います」とだけ書かれており、筆者は大法弟子がこの疫病を発正念で除去するように書いていません。単に「しっかりと三つのことを行なう」という観点です。私もこの観点の方が正しいと思います。

 私は疫病で淘汰するのは「済度されなければ、淘汰されるしかありません」[1] と悟りました。今回の疫病について、旧勢力と正の神が両方とも参与し、師父の認可も得ました。だからこそ、「邪悪が法を正すことを妨害し、世の人々や衆生を滅ぼすことである」ということではありません。

 17年前の「SARS」の時、つまり2003年の時、旧勢力の勢力や能力がまだ非常に大きかったのですが、今現在は、法を正す最後の段階で状況が大部変わりました。師父は、「火を消す必要があるのではありませんか? そうです」[2] と説かれました。現在、旧勢力が多めに消滅されたから、決定的な役割を果たすのは正の神であるべきです。だから、今回の武漢肺炎はSARSの時より方向性がずっと強いのです。つまり、疫病の対象者は中共や中共に親しい海外の人達を指しています。方向性が明確になったのであれば、世の人々は目が覚めるのではありませんか。

 師父が『理性』という新経文を発表されましたので、皆さんはもっと冷静に、もっと理性的に対応すべきです。中共ウイルスの蔓延は、中国の地理的な距離と関わらず、中共との仲が良いかどうかで決められています。イラン、イタリアなどの中共と親しい国や都市が疫病の最大な被災地になっています。中共を拒否する香港や台湾などは、中共ウイルスをしっかりと封じ込めています。『九評』の編集部は、「神は慈悲と威厳を併せ持っている。神は一人一人の心のうちを観察しています。今この時の選択と行ないは、自らの未来を決定することになる」と指摘しました。中共から遠く離れて完全に三退して、中共を全否定すれば、人間としても、組織としても、国家としても、今回のウイルスの侵害を避けられ、素晴らしい未来を選択できます。

 このような方向性が強い按排自体は、旧勢力の邪悪な本性の方向性とは異なります。スマトラ島沖地震によって発生した大津波について、師父は、旧勢力の按排だと説かれました。私は「これらの国は大法に対して迫害を加えておらず、この災難が中共の邪悪な本質であることを世の人々に連想させられなかったから、世の人々が目を覚ますことが出来なかったのだ」と思います。

 武漢肺炎についての私の悟りは、「歴史上に旧勢力は確かに本日の武漢肺炎を按排しました。しかし、法を正す時期に、旧勢力が消滅されて残るのは僅かで力不足なので、主導権は正の神の手に握られています。ですから、今回の疫病は中共の勢力をはっきりと指し、救い済度できない人を淘汰しています。同時に中共に惑わされている人達に眼を覚まさせ、中共から離れさせるように警告しています」

 私が同修と交流する際に、同修は「このように大規模に人を淘汰しているのは、旧勢力です。私たちはそもそもこれらの衆生を救い済度できるのに」と言いました。これは完全に常人の次元の認識だと思います。さらに、一部の正見ネットの文章の中に、神韻公演に影響した原因は武漢肺炎のせいだと認識し、発正念で武漢肺炎を消滅するようにという論点で掲載していますが、実は、これらは異なる問題だと思います。

 武漢肺炎自体は、はっきりと中共を指しています。明慧ネットに掲載された多くの文章には、中国古代の君主が疫病に対して自己反省し、天下に罪己詔(※)(ざいきのしょう・己を罪する詔)を発布したと書いてあります。つまり、伝統文化の角度から見れば、各国の政府は自己反省して、中共から遠く離れるべきです。そして、神韻公演は衆生を救い済度するという大事な目的があります。各国の政府が自分の国や民族を救う一番良い方法は、自国民に神韻公演を見るように強く呼びかけるべきです。しかし、このように行なう国は今のところ、一つもありません。逆に、封鎖をして集うことを禁止するなどの無効な対策ばかりを実施して、神韻公演や大法弟子が衆生を救い済度することを妨害していますが、これはすべて旧勢力の按排です。大法弟子はこれらの対策の後ろにいる旧勢力の要素を、発正念を通して除去するべきであり、疫病自体を除去することではありません。これは私の考え方です。

 以上の交流について、不適切なところがあれば、ぜひ慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』

 (※)罪己詔(ざいきのしょう・己を罪する詔。漢の武帝は紀元前2~1世紀に中央集権体制を確立し、積極的な対外策で領土を広げたが、度重なる外征や宮廷のぜいたくで財政は窮迫し、庶民は疲弊し、社会不安も増した。そこで晩年、武帝が下した詔はこれまでの政治を反省し、社会の安定を図る内容であった)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/3/23/402825.html)
 
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