明慧法会|ポルトガル語明慧での私の修煉体験
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文/西洋人大法弟子

 【明慧日本2020年7月10日】私は10年前(訳注:2009年)に法輪大法の修煉を始めました。それから、私は自分が住んでいる街で煉功を成立させ法を広め始め、なぜなら私は大法がこんなにも素晴らしいと思っており、さらに多くの人が理解しに来ることを希望しているからです。私はインターネット上で同修と一緒に協力して大法のプロジェクトを行なっています。私は大紀元で4年行ないましたが、修煉者を助けることができるプロジェクトとしては物足りないと感じていました。

 2013年私はニューヨーク法会に参加し、その時私は修煉に対する多くの発見がありました。たとえばやましさと恐れの観念を放下しなければならないこと、主導的な役割を果たさなければならないこと、自分の環境を改変しそれによって本当に同修を助けることができるようにならなければならないこと、また自分の誓約をやり遂げることです。

 師父は「こういう状況であれば、皆さん考えてください。私たちはこの歴史の時期に主役を演じるべきではありませんか?」[1]と説かれました。私は「プロジェクトの一つとしての明慧は、ポルトガルの読者のためにウェブサイトを立ち上げることを考慮すべきだということであり、なぜならポルトガルの読者は九つの国に分布しているからだ」と思いました。しかしこれが私の責任だとは思いませんでした。その年の第2学期、私は米国の別の州に引っ越し、引き続き博士の学位を取りました。数カ月の間、私は別の煉功場へ行き、その地区の同修も修煉において多く私を助けてくれました。はっきり覚えているのですが煉功場から帰ってきた後、私は心が平静で、水のように静かで、そこで『洪吟』を読み始め、効果も特別に良かったのです。法理が絶えず頭の中に入り、私は多くのことがわかりました。その州でも、私は集団学法と神韻を広める活動に参加しました。

 『二〇一三年米国西部国際法会での説法』を拝読した時、師父は「最近、大陸から多くの学習者が海外に来ました。どういうルートで来たのかはさておいて、多くの人が国内でしっかり行なっていたと私に分かっています。一方、多くの人が良く行なっていなかったと私にも分かっています。海外に来て、環境が良くなり、迫害がなく、のんびりとした生活を送ろうとしています。誓約を果たさなければ非常に危険です! なぜでしょうか? あなたに責任があるからです! あなたは法を正す時期の大法弟子です! この時期の大法弟子は師に手伝って、人を救う責任を負わなければなりませんが、あなたは行なっていません!」[2]と説かれました。

 私は「米国でのんびりと感じ、快適な暮らしと物質への追求に私は大きな衝撃を受けている」ことに気づきました。私は毎日学法していますが、煉功は毎週3回だけです。私は「煉功が行なえず、なぜなら人心と安逸心が重いからだ」と思いました。師父の法を拝読した後、自分は明慧に参加しなければならないとわかり、さらに自分と他の同修とのネガティブな考えを取り除なければならないとわかりました。私は関係する佛学会に連絡しました。このようにしてポルトガル語明慧は2013年11月に立ち上がり、2014年7月に運行を開始しました。

 歩んだ道

 文章の翻訳が終わった後、ウェブサイトの運用もとても重要です。ウェブサイトを運用すると同時に、私はさらに自分の不安感を克服しなければならず、そして他の同修と考え方について交流しなければなりませんでした。ウェブサイトの名称についていえば、ある同修はウェブサイトの名称をポルトガル語に翻訳しなければならないと考えましたが、私の理解は名称は保持しなければならず、なぜなら明慧は一つの商標のようなものだからです。

 ウェブサイトの名称を決めると同時に、私はさらにポルトガル語のこのウェブサイトを米国本部のウェブサイトにつなげなければなりませんでした。ウェブサイトの設計の方面では、ある同修が制作を行ないたがりましたが、しかしその同修は関連技能に欠けていました。能力のある1人の同修が見たところ不機嫌そうで手助けする様子もありませんでした。ウェブサイトの設計の過程で私は心を修めなければならず、さらにこのような摩擦に応対しなければなりませんでした。こうしてその女性同修はウェブサイトを作りましたが、基本的な問題として使い物にならなかったのです。最終的に私たちはどうしようもなくなり、米国の同修が私たちが使うためのウェブサイトを製作するのを待つしかありませんでした。

 協調人として、その職責を履行することは私にとっては一つの修煉過程です。協調人の職責を履行する中で私も自分の価値と限界を見つけ出し、そして師父が何を要求されているのかを少しずつ理解しました。しかし時には私もこのウェブサイトを手助けしてくれる同修が見つからず、なぜならみんながそれぞれ自分の考えを持っているかもしれないからで、たとえば時には自己を実証したがり、時には同修たちが「このプロジェクトではない」と思うため、たまたま興味を持った時だけやって来て手伝うからです。しかしこのように入れ替わり立ち代わり違う同修がやって来るようなやり方ではウェブサイトを安定的に維持することはできませんでした。

 私たちのグループ

 ある人は少しの間仕事をして離れていき、多くの仕事が残り他のメンバーにやり遂げてもらいました。やってきては離れていく同修たちには正確さがないので、私はその同修たちを信任できないし、頼ることもできませんでした。その時私は仕事を行なう同修に対して基本的に基準を設けず、なぜならすべての人に機会を与えたかったからです。ある時、同修自らは良いと感じているのですが実際にはうまくできておらず、さらに突破するのが難しそうに見えました。このように物事を行なうのに決心がつかない同修を受け入れ、一定のレベルでその同修たちを大目に見ていましたが、その同修たちは熱情と願望に任せて仕事をしていただけでした。もちろん私にも部分的なミスがあり、なぜなら私が拒絶しなかったからで、さらに明慧の仕事を通じてその同修たちを手助けしようと思っていたからでした。

 私は明慧のことを行なおうと決心し、たとえ他の同修が助けに来なくても行なおうと決心しました。師父は私たちに内に向けて探させ、私は自分の状況を分析し始め、私は完全に協調人の条件に符合しておらず、さらに私のミスもウェブサイトに損失をもたらしていました。一つの例としては、私たちは2018年に雑誌を1冊編集したいと思いましたが、審査を担当する同修は内容に対して異議があったので、半分まで行なって去っていきました。このように雑誌の件は止まり、完成できませんでした。

 私は修煉がカギですので、頑張り続けなければならない、協調人の職責を履行しなければならないと決心しました。それと同時に、総協調人は明慧に参加するすべての同修が毎週の集団学法に参加しなければならないと規定しています。この基準に従って、私はたまたま手伝いに来た同修に対してやんわりと断ることがあり、なぜなら過去にすでにたまたま手伝いに来た同修たちに多くの機会を与えましたが、効果がよくなかったからです。

 現在、移り気な人たちは離れていき、再び戻ってこず、安定して堅持できる同修だけが残りました。残っている同修は私と同じで、能力に限りがありますが、少なくとも私たちは精力を集中することができ、絶えず進歩し、さらにしっかり修煉することができます。このウェブサイトは日常の運行の中でそのような頼れる同修を必要としています。

 協調以外のこと

 一時私たちはあるプロジェクトを行なわなければならず、そこには古い基本的な文章の翻訳を含んでおり、それはウェブサイトを構築するのに必要なことでした。グループのメンバーは多くを行ない、私は追いつきませんでしたが、なぜなら私はさまざまな事柄を同時に管理しているからです。するとウェブサイトを管理している同修が、自分がやる、と私に伝えてきて、さらに「この件について責任を負えます」と伝えてきました。そこでその同修は本部のやり方に基づいて、他の言語を協調する同修と交流し始めました。またある同修はこのプロジェクトの過程でも大きく向上し、その同修は以前は共産党の迫害に対してあまり理解していませんでしたが、現在は翻訳を通じて多くを理解しました。

 再び話は戻りますが、明慧の日常の仕事はそんなに簡単ではありません。生活の理由から、私は他の街に引っ越し、新しい生活を始めました。私は自分が大きな傷を受けたと感じ、生活に対して自信を失い、すべてがうそであるかのように感じました。このような感覚が一気にやってきましたが、法を正す時期が押しており、私はこのような感覚から抜け出さないわけにはいきません。私は自分の使命がわかっています。私はやはり前に向かって歩まなければならないと決心しました。

 師父は「今になって、なぜわたしがいつも皆さんに本を多く読むようにと言っているのか、皆さんもよりはっきりと分かったでしょう! 法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[3]と説かれました。私は「私の最大の執着は寂しさを恐れることだ」と認識し、実際、私の本当の考え方は自己を見つけ出すことと自我の実現にあり、しかし、この恐れと心配はまさに私が宇宙の特性から逸脱していることを表しています。

 ポルトガル語明慧の広まりが世に出ていくにしたがって、私たちのグループは再びメンバーが増え、私はついに協調の仕事が根付きました。修煉上、私たちは互いに助け合うこともできます。現在のグループは金のように輝いています。現在のメンバーの尊敬し愛する同修たちと一緒に、師が法を正すことのお手伝いをすることができ、同時に私たちも修煉し自分を向上させることができることを私はうれしく思います。

 これは私にとってはじめてのことで、不可能なことが現実になったかのようです。

 明慧法会の文章の翻訳は数年前はとても想像できず、私にもこのようなグループはありませんでした。しかし師父は「相は心から生じる」[4]と説かれました。こうして、私たちは四十数編の文章を翻訳し、さらにはもっと多くを翻訳しました。こうしてポルトガル語の明慧を制作し広めることができました。このすべてはこのしっかりとしたグループのおかげです。

 ほぼ1カ月半の間、私は住むべき家を探していました。ある日、部屋を借りるためにお金を使うことを恐れました。この時、私はある文章を翻訳し、タイトルはちょうど「この1200元の偽札をどう処理しようか?」でした。この文章を読んだ時、自分のお金を失うことに対する執着が文中の作者が偽札を焼いてしまったのと同じように焼失しました。家を探している間インターネットがなく、このような魔難は偶然ではないことを私は知っていました。家を探す過程で私は「恐れなどの執着を抱いて現実に直面しない」ということをマスターしました。家を探す過程で、お金がないことへの恐れ、住所不定であることへの恐れ、インターネットができないことへの恐れがみな現れてきました。またさらに多くの安逸心があり、生活を良くしたいと思い、法を実証する心が不純になり、あるいは時には何かを行なうのに全力で行ないませんでした。家を探すこの過程での修煉で私の心はさらに純粋になりました。

 しかし後で、私は依然として自分がお金と物質的利益を失うことを恐れる執着が強いことを感じ、とても意気消沈しました。自分が歩んだ道を振り返り、生活に苦痛と困惑が満ちていると感じています。自分は過去に何年もバレーを習い、大学に通い、さらに今までのことを経験した後、私が依然として満ち足りていないのは、なぜでしょうか?

 師父は「仕事が安定していれば、修煉者は衣食と生活のことに悩まされることなく、修煉し、安心して法を広め、真相をはっきりと伝え、世人を救い済度することを支障なく行なうことができます。社会の各業種で修煉することができ、各業種にも、法を得ることを待っている、縁のある人がいるのです」[5]と説かれました。

 学法を通じて、私ははじめて「私の生活の道は私が現在法を実証するために導かれたのだ」ということに気づき、さらに私は現在すでにあるべき技術を具えていました。私は必要なすべてを具えており、未来に必要なものも信じており、それがあろうがなかろうが、問題にはなりません。なぜなら、師父は私を見守ってくださり、保護してくださり、必要なものを私に提供してくださるからです。

 修煉の中で、私が歩み始めた他の大きな一歩は怨恨と報復の心を取り除くことでした。私はある明慧ネットの文章を読み、タイトルは「恨みを修煉して取り除くと、善は自ずと生まれる」でした。その後、私も以前の敵に謝り始めました。この過程は時間を要しますが、必ずやり遂げなければなりません。

 三つのことをしっかり行なう

 私は現在毎日バランスをとって三つのことをしっかり行なっています。私は自分の毎日の煉功と発正念、そして真相を伝えた時間を記録しています。なぜなら自分をだましたくないからで、努力してしっかり行なわなければなりません。私の実際の考えは「大法弟子」というこの称号にふさわしくありたいということです。こうして、長い時間の試練を経過した後、私はついに家で安定して学法できるようになりました。学法は私と同修たちを一緒に向上させるでしょう。

 結び

 私には翻訳しウェブサイトを協調する上で取り除かなければならない執着心がまだたくさんあります。私は自分の意志の力が強くなっていることを知っており、それによって仕事をしっかり行ない、同時に良くない考えを取り除きます。過去の数年の間に、私の生活環境も大変な状態から神聖な状態になり始め、明慧の仕事は私の生活の中で最も重要なことになりました。

 総協調人が「すべてのグループのメンバーがみな一緒に集団学法しなければならない」と規定したので、私たちポルトガルのメンバーも現在安定し始め、さらに一つの全体を形成しています。しばらく前の明慧法会の後、私たちにはまた新しいメンバーが増えました。

 私は過去に多くのミスを犯し、さらには涙を流して泣き叫びましたが、私は自分が犯した多くのミスを認識でき、さらにこれからしっかり行なうことを確固たるものにすることができます。

 師父が手助けしてくださったことに私は感激しています。師父と大法は私にさらに自信を与えてくださり、さらに師を信じ法を信じさせてくださいました。

 以上が交流ですが至らないところがあれば、教えてください。

 ありがとうございます、師父! ありがとうございます、同修の皆さん!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一三年米国西部国際法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
 [5] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法とは圓容しているものである」

 (明慧20周年法会の交流文章より抜粋、 編集)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/31/387657.html)
 
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