明慧法会|師父がおられることは本当に素晴らしい
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2020年7月18日】

 尊敬する師父、こんにちは!
 同修の皆さん、こんにちは!

 私は黒竜江省の大法弟子です。修煉してすでに20年が経過し、明慧法会はすでに15回行なわれましたが、さまざまな原因により私はまだ参加したことがなく、残り少ない法を正す修煉の時間の中で、明慧法会というプラットフォームを借りて私の20年来の修煉体験を師父にご報告し、師父に提出する答案にしたいと思います。妥当でないところがありましたら同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 一、大法に出会い修煉を始め道楽者が改心した

 私は吉林の小さな山村に住んでいます。1999年の夏、母が私の家に来ました。母は私の家に来た後、毎日本を読み、煉功しました。ある日、母が何の本を読んでいるのか気になって尋ねると、母は「佛家修煉大法の『轉法輪』です」と言いました。私は確かに「佛家大法」と聞き、母に「この法は俺を変えることができるのですか?」と聞くと、母は試してみるように言いました。

 その頃の私はとても悩んでおり、全身の悪習、食べる、飲む、賭ける、吸う、けんか、さらに理由なく妻を殴り、まるでチンピラかよた者のようでした。私が出かけるたびに、妻はいつもビクビクし、私が外でトラブルを引き起こすことを恐れていました。この悪習はよくないと私もわかっていましたが、改められませんでした。

 母が法輪功を修煉することを試すように私に言い、そこで私は本を読み始めました。法輪大法の法理に私は感服し、私の心身にいつの間にか変化が表れ始め、ゆっくりとさまざまな悪習が私を離れていきました。私は毎日いつも母と村に行き学法グループと集団学法と煉功に参加し、一日中広大な佛恩の中にいました。

 私たちの学法グループには病状が重い糖尿病患者がいましたが、煉功してしばらくしてから全快しました。そのことで私たち学法場所の同修はさらに堅く師父を信じ、堅く大法を信じました。

 しかし、1999年7月20日、中国共産党が狂ったように法輪大法の修煉者を迫害し始め、メディアが大法にデマを飛ばして中傷し、師父を誹謗中傷し、このようなでっちあげが私たちに宣伝として伝わりました。このようなことはちょうど学法してしばらくで、修煉が不安定な新しい修煉者に重い打撃をもたらしました。当時私たちの学法場所にいた40人の同修がみな修煉しなくなり、私もなぜか本を読まなくなり、妻と一緒に大法の書籍を隠しましたが、もし私に大法を捨てろというのであればそれは絶対にできませんでした。しかし大法を離れた後、さまざまな悪習がだんだんと私の体に戻って来て、私の心は一日中重く、どのようにすればよいのかわかりませんでした。

 2006年、一家を挙げて黒竜江省のある市に移住した私たちは、慈悲深い師父の按排の下で地元の同修に会いました。同修の助けの下、私は初めから修煉し、以前のさまざまな悪習を徹底的に修煉して取り去りました。夫婦間のけんかやさわぎがなくなり、仕事に対してまじめに責任を負い、心を込めて人に接しました。

 私には息子と娘の2人の子供がおり、妻はひどい心臓病で、再発するとショックを起こし、さらに骨増殖など多くの病気があり、何年治療しても好転しませんでした。娘は幼いころから体質が弱く、いつも病気でした。ある時娘も再発し、妻は私の息子に娘を抱かせ私の娘と妻は一緒に治療してくれるところを探しました。妻の喉がひどい疾患にかかっているため、息子は自分の妹を抱かなければなりませんでした。途中で1人の同修に会い、娘は「法輪大法は素晴らしい」というお守りをもらい、泣いていた娘はお守りをもらった後すぐに眠り、妻と息子と娘は家に帰り、熟睡している娘をベッドに下ろしました。午後2時過ぎ娘は自分でベッドを降りて遊び、それからいつも病気がちだった娘は再び病気になることはありませんでした。

 法輪大法が娘の体に起こした奇跡を見て妻も法輪大法を修煉し始めました。修煉して3カ月目、妻を長年苦しめていた多くの病気が奇跡のようにすべてみなよくなりました。

 二、師が法を正すことの手伝いをする道を歩む

 2006年の冬、ある同修が私に会い、私と一緒に真相資料を配りに行くことになり、私はとても喜びました。しかし夜になって、一緒に資料を配りに行く何人かの同修が私を見しらぬ人と見て、私を連れてきた同修を恨みました。その時、私に会いに来た同修に合わせる顔がなく、困ってしまい、苦しみましたが、私に会いに来た同修が私と協力するように言うと、同修たちはみな声をあげなくなりました。

 私たちは多くの資料を車に積み、車の中でこれから行く地区に向けて正念を発し、衆生が救われることを妨害する邪悪生命と卑しい鬼を取り除きました。私が正念を発した時法輪が前方に飛んでいくのが見え、直接私たちが行かなければならない地区を覆っていた邪悪を取り除いていました。師父が私を励ましてくださっているのだと思い、師父にとても感謝申し上げました。

 車を降りた後、同修たちは2人一緒に協力しながら資料を配りました。私はまじめにすべての資料をすべての家の玄関に置き、1部目の資料を配った時、その資料が無数の光を放っていることに気づき、この真相資料はなんと貴重な生命なのかと思いました。このような生命により衆生は本当に福を得るのです! 衆生が資料を見終われば必ず救われます。そして私はさらにまじめに資料を配りました。衆生はみな法のために来た貴重な生命であることを私は知っており、すべての真相資料にみな金色の光が燦然と輝いていました。

 資料を配りながらある家の鉄の門のそばまで行き、資料を配ろうとすると、門の中に1匹の犬がおり私を見て吠えようとしたので、私はその犬に「吠えちゃだめだぞ、私はお前の主人を救いに来たのだから」と伝えました。犬はまるで理解したかのように、しっぽを振り地面にふせ、友好的に私を見ていました。私の頭の中に「衆生は本当に救い済度されるのを待っている!」という一念がひらめきました。同時に師父の慈悲とご加護を感じました。

 ある時、私は1人の同修と協力して他の村で真相資料を配り、村の外れまで来た時100メートル外れたところに1軒の家があり、私が行こうとすると、その同修が止めたので、私は「衆生を救い済度するのにどの家も落とすわけにはいきません!」と言いました。同修は「それなら行ってください、私は正念を発して加持します」と言いました。私はその家の門の前まで行き、びくびくして大法の資料を1部取り出し、ぽーんと門のそばの台の上に置き、すぐに振り帰って同修のそばに戻りました。同修は「あそこの人は何も聞きませんでしたか?」と聞きました。私は「人がいるものか? レンガがあっただけだよ」と言いました。同修は「あそこに人がいますよ」と言いました。私が振り返ってみた時、さきほど見た煉瓦の小積みはなくなっており、1人の人が懐中電灯をつけながらこちらに歩いてきました。私たちは遠くのほうに歩きながら、心の中で師父に対する感謝の思いは言葉に表すことができませんでした。

 三、無私の心で危険から抜け出す

 2009年7月のある日、私は男性同修3人とオートバイに乗り6人の同修を連れ、その中には私の妻もいましたが、多くの法輪功のパンフレットと神韻のDVDを持ってある山村にやってきました。私たちは2人一組になって協力しながら配り、数カ所の村で配った後資料が置いてある場所まで行って資料を取ってくるように同修が私に頼みました。私が資料を取り終わって戻る時パトカーが資料を配った村の方に向きを反転させるのが見え、すると同修がやって来て「早くして、警察がきた」と私に言いました。同修はオートバイに座り私は道に沿って進むと、前方からパトカーが来て私たちの行く道をふさぎ、後ろの同修は飛び降りて別の方向に逃げ、私は心静かにパトカーの方向に進みました。しかし警察はまるで私が見えていないかのようで、パトカーを降りてその同修を追いかけて行きました。

 私は止まり、パトカーの前に立って「どうやって同修を無事に助けられるだろうか?」と思いました。ちょうどこの危急の時に、私は妻が安全かどうかを全く考えず、私自身の安全の問題さえ考えず、ただ同修は万が一にも捕まるわけにはいかないと考えました。私はどうすればこの同修を助けることができるでしょうか? すると私は突然パトカーのガラス窓をたたく音が聞こえ、「早く、私はここです、早く私を外に出して」と言いました。私は音のする方を見ると、1人の女性同修が車の中で私を手招きしているのが見えました。私は「車の窓を揺らして、飛び出してください」と言いました。しかし女性同修がどんなに車の窓を揺らしてもドアは開きませんでした。私は石を探し始め、石でガラスを割ろうと思いました。私が石をつかんでガラスをたたこうとした時、車の窓が奇跡のように下に下がり、同修は飛び出てきました。私は同修を安全な場所に連れて行き、オートバイで来た他の同修に頼んでその女性同修を家に送ってもらいました。

 私はさきほどの現場に戻り引き続き他の同修を探しましたが、同修たちの携帯電話はすべて電源が入っておらず、誰とも連絡が取れず、仕方がないので村との往復の路上で、同修に会えることを希望しました。歩いていると正面からパトカーが来と思った刹那、パトカーが私の横で急停車し、私は平静にパトカーの方を見ると、数人の警官だけで、同修はおらず、私はやっと安心しました。私は引き続き前へ向かって歩き、心の中で「同修の皆さん、どこにいるのですか? みなさん出てきてください!」と叫びました。横にいたパトカーが走り出し、私は一人の同修にも会えず、心は非常に焦りました。午後4時過ぎになって多くの同修が私の電話に返信をしてきて、3人の同修が不当に連行されその中に私の妻も含まれていると伝えました。

 その日の晩、私たちの地区の数人の同修が不当に連行された同修を救い出すための交流会を開き、翌日国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)に引き渡しを要求するためにいかに協力すべきかについて相談しました。協調をはかっている同修は私が情に妨害されることを恐れ、同修の救出に私を参加させませんでした。

 家に帰り私は本を取り出して学法しました。学法している時私の心は平静で、自分が妨害されていないとわかり、自分は救出に参加すべきだと悟りました。翌朝私は協調を図っている同修に会いに行き「私は情に妨害されておらず、救出に参加すべきだと思います」と伝え、「いい方法があります」と言いました。協調をはかっている同修は「どのような方法を用いるのですか?」と言いました。私は「国内安全保衛部門の隊長を食事に誘い、食事の席で隊長に真相を伝えます」と言いました。その日の午後、私たちは同修全体の正念の加持の下、国内安全保衛部門の隊長と隊長の妻に会いました。食事の席で、私たちは単刀直入に国内安全保衛部門の隊長と話をしました。隊長は私にお酒を勧めましたが、私は「お酒は飲みません」と言いました。隊長は私を見て「あなたが法輪功の弟子であるなんてことを私に話さないでくれ」と言いました。私は笑い、落ち着いて「私は法輪功の修煉者です」と伝えました。隊長は私の言葉を聞いてしおれたように元気なく椅子の背もたれによりかかり、しばらく経ってからやっと「信仰があることはよいことだ、信仰があることはよいことだ」と言いました。その後隊長は私と一緒に来た他の2人の同修にも修煉者であるかどうかを聞き、2人の同修もごく自然に「そうです」と言いました。隊長は再び繰り返し「信仰があることはよいことだ」と言いました。

 私は隊長に「あなたも信仰があることはよいことだとお認めになるのでしたら、彼女たちを解放していただけませんか」と言いました。1時間以上の話の中で、私と同修2人は大法のすばらしさを私たち自身の言行で表し、さらに中国共産党がなぜ法輪功を迫害するかについて隊長と隊長の妻に伝えました。かれらは真相がわかった後、隊長の妻は「『轉法輪』を読んでみます」と言い、隊長は同修3人の釈放に同意しました。

 同修3人は不当に拘禁されてから半月後に家に帰りました。

 四、大法を堅く信じ奇跡を顕す

 2009年5月下旬、私たち十数人の同修は協力して一つの村で真相資料を配り、真相を理解していない人に通報されました。他の同修を保護しその場から離れさせるために、私は警官7人に追われ、不注意にも地面に倒れ、私がまだ立ち上がらないうちに、警官たちは私を取り囲みました。警官たちは私の足を持ち上げ私を頭の方からけり、私は声に出して「師父、助けてください!」と叫びました。声が聞こえなくなり、5、6本の足が私の顔のそばで止まっているのだけが見え、警官たちは固まってしまったかのようでした。もし師父のご加護がなければ、警官たちに蹴り上げられ結果は想像できないものでした。

 私は警官たちに警察署に連れていかれ、この時同修が電話してきて、早く逃げるように同修たちに伝え、私は警察署で、話し終えると電話をポケットに入れました。警官は私に電話を出すように言い、私は「これは個人の財産です」と言いました。警官は「あなたが出さないのなら私たちでも出すことができるぞ」と言いました。私の電話の中のすべては同修の番号で、絶対に警官たちに持っていかれてはならず、私は「あなたたちにはできません!」と言いました。話し声が途絶えた途端、警官7人が動き出しましたが、警官たちは疲れて汗をかき携帯電話を奪わず、動きを止めて私をぼんやりと見て、とまどっていました。師父が再び私を保護してくださったと私はわかりました。

 警官たちはかかってきた電話を受けると私を見張る1人を残し、他の6人は出て行きました。私を監視している警官Aに私は真相を伝え、大法のすばらしさを伝え、警官Aはまじめに聞き、聞き終わって「そういうことだったのか、法輪功は無実なのか」と言いました。警官Aはよろこんでペンネームを使って党・共青団・少年先鋒隊を脱退しました。

 この時、他の警官がまた同修2人を不当に連行して入って来ました。私は同修2人に「あなたたち、どうして逃げなかったのですか?」と聞きました。1人の同修は頭を振って何も言いませんでした。その場にいた数人の警官は警官Aに私たち3人を見張らせ、数人の警官は出て行きました。私はトイレに行きたかったので、警官Aが私を連れて行き、私は廊下で「正門の入り口は鍵がかかっているのですか?」と尋ねました。警官Aは独り言のように「正門は鍵がかかっていますが、小さい入口は開いています」と言いました。私は窓の外を見て「ここから出て行くことはできますか?」と尋ねました。警官Aは「できます、新しく建てた建物を抜ければ大通りです」と言いました。私の「おお」という一声が私たちが拘禁されている部屋まで響きました。小さな部屋の中に入ってからチラッと見ると、部屋の窓はちょうど外の小さい入口に向いていました。私は出て行って同修2人に「私と、このお兄さん(警官A)は廊下で話をするので、あなたたちは窓を飛び越えて走ってください。外の小さい入口は開いています」と言いました。警官Aは友好的に笑いながら、私たち2人は廊下を歩いていきました。

 すべてがみなこんなにも自然で、師父が私のそばにおられることを私は知っており、大法弟子が正念正行でありさえすれば、すべてはみな法のために道を譲ります。しばらくして「ポトン」という音が聞こえてきて、私は警官Aと会心の笑みを浮かべ、誰も声を出しませんでした。おそらく5、6分経ってから、警官Aが「みんな走っていきましたね、私を中に入れてください、彼らが走って逃げて行ったと電話で伝えます」と言いました。話ではこのように言いましたが、警官Aは電話を掛けませんでした。本来は私も走っていきたかったのですが、年配の同修が走って行かなかったのを見て「なぜ行かないのですか」と私が聞くと、年配の同修は、走れないのだ、と言い、私だけを行かせようとしました。私は「あなたが行かないのにどうして私が行けるのですか?」と言いました。警官Aは「あなたたちにはチャンスはありません、私は交代しなければなりません」と言いました。私は警官Aを見て「すべては大法の師父がお決めになるのだ」と思いました。

 しばらくして警官Bが来て警官Aは交代していきました。私は警官Bに中国共産党の腐敗、中国共産党がなぜ法輪功を迫害するのか、法輪功とは何か、法輪功のすばらしさなどを堂々と伝えました。警官Bは「あなたが話した内容は○○が伝えたことほどよくないので、私は聞きたくありません」と言いました。私は「どこがよくないのですか?」と言いました。警官Bは「あなたの話はレベルが低すぎるし、私は多くのことを聞いてきています」と言いました。私は「わかりました、それなら法輪功が佛法修煉であることを伝えます」と言いました。すると私が話し終わらないうちに、警官Bは「そうです、私はこれが聞きたいのです」と言いました。私は多くの真相を伝え、その後、警官Bは仮名で中国共産党組織を脱退し、警官Bは「あなたたちは水を飲んでもいいし、ラーメンを食べてもいいし、走って行かなければそれでいいです。私はちょっと寝ますので、邪魔しないでください」と言うと、椅子に寝転がって寝てしまいました。

 師父の慈悲深さがまた私たちにチャンスを与えてくださったと思い、私は年配の同修に「早く、私の後ろについてきてください」と言いました。しかし年配の同修は走らず、私は年配の同修をほっぽり出して自分だけ走っていくことはできず、こうして私たち2人はどちらも走っていきませんでした。警官Bが目を覚ますまで私たち2人はやはりその場におり、首を横に振って「チャンスは消えた」と言いました。

 しばらくして警官Cが警官Bと代わり、私はまた引き続き警官Cに真相を伝えると、警官Cは真相を聞き終わると中国共産党を脱退し寝てしまいました。早朝警官Cは「あなたたち2人は走りたくても走れず、国内安全保衛部門の人が来ましたよ」と言いました。国内安全保衛部門のパトカーに乗った時、私は隊長に「1、2日が過ぎたのであなたに会いに来ました」と平静に言いました。隊長は「ありがとうございます!」と言いました。

 私と年配の同修は留置場に不当に拘禁され、暗い小部屋に入れらると私は木製のベッドに飛び乗り、足を組んで正念を発しました。年配の同修はドアの近くの床でじっとしており、私はわけがわからず年配の同修を呼んでも、年配の同修は動きません。私は「師がいて、法もあるのに、何を恐れるのか? どこにいても私たちは正々堂々とした大法弟子だ」と思いました。ドアが閉まり、警官は去っていきました。私たちのその部屋のいわゆる部屋のリーダーが私たちのところに来て「どうしてここに入ってきたのですか?」と尋ねました。私は「法輪功を修煉したためです」と言うと、部屋のリーダーは友好的に「私は法輪功を修煉している人を最も尊敬しており、あなたたちはすばらしい」と言いました。振り返ると部屋のリーダーは年配の同修にも尋ね、年配の同修も「法輪功を修煉しています」と言いましたが、部屋のリーダーは年配の同修にいやみたっぷりの口ぶりで話しました。

 夜私たちは起きて煉功し、ドアのかぎの鉄製チェーンが響く音が聞こえ、腹ばいになって寝たふりをし、結果警官にひどくどなりつけられました。警官はなぜ私たちを怒鳴りつけたのでしょうか? 私たちは2人とも体を横にしており、どこが悪かったのでしょうか? 私は内に向けて探し始め「恐れる心」が災いして、正念がなく、正々堂々と警官に対峙することができませんでした。私は年配の同修に「明日の煉功では何が起きても体を横にすることはしません」と言いました。翌日の晩、ちょうど第二式の功法で頭前抱輪をしている時、ドアのかぎの鉄製チェーンの音が響くのが聞こえ、年配の同修は体を横にしながら「早く体を横にしてください!」と言いました。年配の同修は体を横にし、私は依然として確固として煉功しており、心の中に穏やかさが起こり、心の中で「宇宙大法は正法であり、大法の師父の潔白を取り戻す」と叫んでいました。そしてかぎをかける音が聞こえ、足音が遠ざかっていきました。こうして私は五式の功法を煉功し終え、それ以降煉功が邪魔されることはありませんでした。

 外にいる同修が全体で協力し合い救出してくれたおかげで、私は15日間不当に拘禁されたあと無条件に釈放されました。出てきた後私は同修と隊長に会いに行くと、隊長は喜び「全力で大法弟子を守ります」と言いました。

 五、忍び難きを忍び闘争心を修めて取り除く

 2010年、仕事のため、私は大理石の現場を請け負い、数人の労働者の働き手を探しました。仕事が終わり給料の計算の時、いくつかの大理石の光度が不足で、社長はやり直さなければ給料から4000元差し引くと言いました。労働者は切実に家に帰りたがっているので、誰もやり直したがりませんでした。私は「もしやり直さなければこの4000元はあなたたちが平均して負担することになります」と言うと、労働者たちはそのことに同意しました。私が旧正月に実家に帰って親族に会いに行く時、労働者たちは私に会い「差し引かれたお金を返してもらわなければならない」と言ってくるとは思いもよらず、私はお金を返しませんでした。労働者たちの中の3人が私をぶちました。

 これがもし以前の私であれば躊躇なくやり返しましたが、私は修煉しており、修煉者は師父の要求に基づいて行なわなければならず、師父は「大きな忍の心とは何でしょうか? 一人の煉功者としては、まず殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで、ひたすら耐えられるようでなければなりません。でなければどうして煉功者と言えましょうか?」[1]と説かれました。私は師父の話を聞き、その場に立ち、静かに労働者たちを見ました。眼のふちが労働者たちに殴られ、血が止まりませんでした。労働者たちは恐れ、手を止めてその場に立ち私を見て、誰も声を出しませんでした。私は労働者たちに「気が済みましたか?」と尋ねました。私のこの言葉を聞くと労働者たちはゆっくりと後退しました。私は「怖がらないでください、私は法輪大法を修煉しており、あなたたちを殴ったりはしません。もし気が済んだのなら、私は行きます」と言いました。すると私の目の前にいる労働者3人が3センチくらいの小人に見え、それに対して私はとても大きく、これで殴り返したりしたら、労働者たちは誰が耐えられるでしょうか。

 私は1枚のティッシュで血が出ているところを押さえ、労働者の中の1人の若者が私を病院に連れていき傷口の手当てをしようとしましたが、私は断りました。兄の家に帰り、兄は労働者たちに会って文句を言いたそうでしたが、私は断り「以前彼らは私自ら手を下して負かした相手であることをあなたが知らないわけではなく、もし手を出したりしたら彼らは私に勝てるわけがありません」と言いました。兄は「そうだね、おまえはどうして手を出さないのか、どうして彼らにこんなに殴らせるのか?」と言いました。私は「私は大法を修煉しており、何かあった時に辛抱しなければならず、他の人と同じようにすることはできません」と言いました。兄は「ばかか、病院に行って包帯を巻いてもらえ」と言いました。私は「必要ありません、法を一講学べばよくなります」と言いました。

 兄と3人目の兄の家族は全員信じなかったので、私は座って法を学び始めると、兄と3人目の兄の家族はそばで見ていました。一講学び終えると、兄と3人目の兄の家族はみな「凄い、目の腫れが消え、血も出なくなり、皮と肉が合わさり、不思議すぎる!」と言いました。

 六、鉄道警察に真相を伝える

 数年前私はラサで仕事を探し、ラサ行きの電車に乗り、ちょうど荷物を置くと、警官2人が私のそばに来て「あなたは25番の席ですか?」と私に聞きました。私は「そうです」と言うと、警官2人は「私たちと一緒にちょっと来てください」と言いました。そこで私はにこにこしながら警官の後ろを歩いていきました。私には師父のご加持があり、私には恐れる心はなく、心の中にはただ「この警官2人を救わなければならない」という一念があるだけでした。

 警官2人は私を隣の車両に連れて行き、そのうちの1人の警官が「あなたを呼んで何をするのか知っていますか?」と私に聞きました。私は「知っています」と言いました。警官は「知っているのにあなたはまだ笑っていられるのですか?」と言いました。修煉の後私はいつもにこにこしていて、これが私の修煉状態でした。警官は続いて私に箱を開けさせました。もう1人の警官が凶悪そうに「すぐに笑えなくなるぞ!」と言いました。

 私は箱を開けた後電子ブックを取り出し、少し若い警官が「パスワードはありますか?」と聞きました。私は「あります」と言いました。少し若い警官は「それを開いてください」と言いました。私はやはり笑いながら「わかりました」と言い、自分の手で電子ブックを開き、若い警官がすぐその手で年配の警官に渡しました。年配の警官は電子ブックをめくりながら内容を読み、まじめに読んでいました。若い警官は再び私に「携帯電話を持っていますか?」と聞きました。私は「あります」と言いました。そして私は携帯電話を取り出し、パスワードを解いた後若い警官に渡し、若い警官は再び年配の警官に渡しました。年配の警官は私を見て「まだ修煉しますか?」と聞きました。私は微笑みながら「修煉します、こんなにすばらしい功法をどうして修煉せずにいられるでしょうか!」と言いました。年配の警官は立ち上がり若い警官に「彼を見ていてくれ」と言いました。若い警官は椅子に座り、私は若い警官の前に座り、微笑みながら若い警官に「あなたはこんなに若いのにどうしてこのようなことをしているのですか?」と聞きました。若い警官は「法輪功は、天安門で焼身自殺事件を起こした」と言いました。若い警官のこの話を聞いて若い警官がとても深く騙されていることを知り、若い警官の背後にある邪悪要素を取り除き、若い警官を救い済度できるよう心の中で師父にお願いしました。私は若い警官に「天安門焼身自殺」の真相を伝えると、若い警官はまじめに聞き、その後若い警官は話を理解し「なんとこのようなことなら、これから私はこのことに関わりません」と言いました。私は「それはいけません、現在あなたが関わらないということはできません」と言い、若い警官は同意しました。私と若い警官がちょうど話をしていると、年配の警官がやって来て、若い警官は去ったふりをするのではなく本当にその場を離れていきました。若い警官の後ろ姿が救われたことを喜んでいるのを私は見ていました。

 年配の警官は「私に付いて来なさい」と言い、私は立ち上がりにこにこしながら年配の警官に付いていき、年配の警官を救ってくださるように心の中で師父にお願いしました。私と年配の警官は2台の列車が連接されているところに行き、年配の警官は「ここでいいだろう。私は古い党員だが、あなたは私にでたらめを言う必要はない」と言いました。私は微笑みながら年配の警官を見て、年配の警官は「あなたはこの本の内容をすべて削除しましたね、私が再びあなたを録画しますから、修煉しないと言ってください、そうすればあなたを解放します」と言いました。私は微笑みながら年配の警官に「そのようなことはできません、もしそのように行なえばあなたにとって良くないことになります」と言いました。年配の警官は驚いて「どうして私にとって良くないなんてことがあるんだ?」と言いました。私は年配の警官に「あなたは修煉者に佛法を壊すように追い込んでいますから、あなたにとってよくないのです。法輪功こそ佛法修煉なのです」と伝えました。

 年配の警官はぼんやりと私を見ながら、長い時間が経ってからやっと「あなたが修煉しないというならあなたを解放します」とまた言いました。私は「私は修煉し続けるつもりです」と言いました。年配の警官は「あなたたちは誰もがどうしてこんなに固執するのか?」と言いました。年配の警官は「法輪功とは……」と言いました。年配の警官は話を止めました。私は年配の警官に「法輪功は佛法で、真・善・忍に基づいて修煉するよう要求しています」と伝え、それから私は師父の経文『わたしの感想』を暗唱して(完全な暗唱ではなかったかもしれない)年配の警官に聞かせ、その後「虚、悪、闘争とは何か」を伝えました。最後に年配の警官は「この邪さがまるで共産党のようだとあなたは言うのですね」と言いました。私は「私は『邪なのは共産党だ』と言ったのです、『まるで共産党のようだ』というのはあなたが自分で言ったのです」と言いました。ここまで話すと年配の警官は何かがわかったかのように、独り言で「それではどうすればいいのだ?」と言いました。続けて何回もそう言いました。私は微笑みながら「何をどうすればいいのかということですか? あなたは私を解放すればそれでいいのです」と言いました。年配の警官は私の話を聞き終えると、とても自然に笑い、そして重荷を下ろしたかのようにほっとして、「わかりました、あなたを解放しましょう、お帰りください」と私に言いました。

 年配の警官の笑顔を見て、私は本当にこの生命が救われたことを喜びました。心の中で師父のご慈悲を感じ、師父がどんな時にも私たちのそばで見守ってくださり、私たちを護ってくださっていることを感じました。

 20年来修煉し、私が最も大きく感じたことは「師父がおられることは本当に素晴らしい」ということです。私たち大法弟子は師父のお言葉を聞き、身を処するにあたって大法に基づいて自分を律し、師父が説かれたとおりに厳格に行ない、自分のすべての執着を少しずつ修めて取り除き、正念正行しさえすれば、それこそ「神がこの世にいる」ということになります!

 師父に感謝申し上げます!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/11/395393.html)
 
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