何度も残忍な迫害を受けた姚士蘭さん 再度5年の実刑
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 【明慧日本2020年7月19日】(天津市=明慧記者)天津市の70代の法輪功学習者・姚士蘭さんは2019年4月23日、武清区大碱廠郷の警官に引率された国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官らにより連行された後、行方不明になった。2カ月後、家族はようやく姚さんの居場所が分かったが、ちょうど姚さんが武清中医病院で緊急措置を受けていた時だった。その後、いかなる法的な手続きを経ていない状況下で、姚さんは懲役5年の実刑判決を宣告され、直接、天津女子刑務所に拘禁された。

 2019年9月、家族は刑務所に行き姚さんと面会した時、姚さんの体は非常に弱っていて、他人に支えてもらって面会に応じ、話す力さえない様子だった。

 1999年7.20から現在に至るまで、姚さんは法輪大法の「真・善・忍」の理念を堅持し続けたため、何度も連行され、労働教養を強いられ、実刑判決を宣告され、残酷な拷問や暴力を受け、無理やり灌食され、正体不明の薬物を注射され、強制的に労働させられ、独房に閉じ込められるなどの迫害を経験し、かろうじて命だけは助かっていた。

 法輪功を学び家族全員が受益する

 1997年、村のある法輪功学習者に法輪功先生の説法録音を聞いてみないかと勧められ、姚さんは参加した。録音を聴いていると、姚さんはとても気持ちが良くなり、その時から姚さんの体調は崩れたことがなく、ぐっすりと眠れるようになり食事もおいしく感じ、四十数キロだった体重も1カ月後には50キロ以上に増えていた。

 腎炎を患っていた姚さんの息子も、徐々に良くなり、それから結婚して男の子と女の子の孫が生まれ、三世代の幸せな家族になった。

 北京へ陳情に行き法輪功の無実を訴え、拘束される

 1999年7月20日以降、姚さんは法輪功の無実を訴えるために北京へ陳情に行ったが、途中で地元の警官に連行され、留置場に拘束された。警官はさらに家族に5000元を要求したが、家族はお金がないため500元を支払った。

 2000年、姚さんは他の学習者と一緒に再び北京に行き、天安門広場で北京の警官に連行され、若い警官に革靴で踏みつけられ窒息しそうになった。地元の大碱廠派出所に連れ戻された後、警官は姚さんの頭を掴んで強く壁にぶつけた。 その後、武清留置場に送られた姚さんは無理やりに塩水などを注がれた。

 姚さんは板橋労働収容所で8カ月間苦しめられた後、建新労働収容所に移送され、そこで2カ月間拘禁された。

 2002年中国共産党第16回全国大会の時、姚さんは実家から帰ってきた途中で、連行されて15日間不法に拘束された。姚さんは断食で迫害に抗議したため、瀕死の状態で家まで担がれて帰った。

 姚さんは学法煉功を通して回復したが、再び留置場へ連れて行かれ、さらに2年の労働教養を科された。

 板橋労働収容所で2年間苦しめられる

 板橋労働収容所では、「転向」しない学習者は皆ある売店に送られ、朝5時から翌日の朝の2時か3時まで、小さい腰掛に座るように強制されていた。姚さんは100日以上座らされ、お尻の皮膚が潰爛した。

 また、姚さんは拷問の部屋に入れられ、両手を椅子の背もたれに縛り付けられ、口をこじ開けられて灌食された。管を挿し込んだ時に胃が破れ、姚さんは何度も吐血した。

 2年の冤罪が満期になった姚さんは、さらに10カ月間、延長され迫害を受けた。 姚さんが解放された時には、すでに自力での生活ができなくなっていた。

 天津市凌庄子刑務所で迫害される

 2006年9月4日午後2時頃、姚さんは塀を乗り越えて窓から侵入してきた警官らにより連行され、その直後、武清区裁判所で裁判が行われた。姚さんは法廷で迫害を認めず無罪を主張したため、当日解放された。

 2007年4月4日、姚さんは再度連行され、武清留置場に拘束された後、天津市凌庄子刑務所に移送された。そこで、姚さんは約7カ月間断食で迫害に抗議した。その後、真っ暗な小さな部屋に閉じ込められ、4人の受刑者に監視されていた。ある警官は「ここに監禁された人は転向するか死ぬか、どちらかになるのだ」と言ったことがある。

 警官は姚さんの鼻から1日に8回も灌食を行なったことによって、姚さんのお腹が破裂しそうになり、死ぬ寸前だった。また、小麦粉ばかり注入され、丸々1カ月間トイレができなかった。

 灌食される時、警官は管を鼻から胃に突き刺し、姚さんの両手を左右へ引っ張りベッドの両側に手錠をかけた。真夏の時期に、姚さんの身体の下に布団数枚が敷かれ、10日間まったく動かすことが許されなかった。数日後、姚さんの手は痙攣し始め、意識を失いそうになり、もう駄目だと姚さんは感じたという。そこの関係者は半月ごとに姚さんの身体から大きな試験管に血液を採っていた。

 姚さんは警官らに担がれて帰宅した時、様子がすっかり変わっていたため、姚さんの息子は目を疑うほど驚き、泣き出してしまった。

 その時の姚さんは、体重が55キロから35キロに落ちて、自力での生活ができなくなった。姚さんの娘は長い間世話をしたので、姚さんは徐々に回復に向かったが、記憶力が明らかに衰えた。

 再び連行され、秘密裏に判決を下される

 2019年4月23日、自宅にいた姚さんは武清区大碱廠郷の警官に引率された国内安全保衛部門の警官らにより連行された後、一切の情報が入ってこなかった。

 2019年6月、家族はようやく姚さんが武清中医病院で緊急措置を受けていると聞いて、すぐ病院に行ったが見つからなかった。7月、家族は武清留置場に入金に行ったところ、姚さんはもうそこにいないと言われた。

 その後、いかなる法的な手続きを経ていない状況下で、姚さんは懲役5年の実刑判決を宣告され、直接、天津女子刑務所で拘禁されていることを、家族は知った。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/5/408589.html)
 
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