遼寧省義県の闞志晰さん一家4人 迫害により死亡
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 明慧日本2020年7月24日】(中国=明慧記者)遼寧省錦州市義県大楡樹堡鎮の闞志晰さん一家7人が、法輪功を学び心身とも受益した。1999年7.20から中国共産党による法輪功への迫害が発動され、一家は何度も残酷な迫害を受けた。息子の左中右さん(教師)、父親の闞澤田さん、母親の竜秀英さん、叔母の闞毅仁さんの4人が迫害により死亡し、娘の左立志さんが懲役5年の実刑判決を宣告され、闞志晰さんは4回拘束され、2回の労働教養を強いられた。

左中右さん

 一、息子の左中右さんは、二度労働教養を強いられ死亡

 大楡樹堡鎮の中学校教師の左中右さんは、迫害を受け死亡した時は僅か35歳だった。

 1999年7月20日、当時の中国共産党の首魁である江沢民は嫉妬心から、公然と憲法と最も基本的人権を無視し、善良な法輪功学習者に対する迫害を発動した。1999年10月、左中右さんは法輪功の無実を訴えるため上京した際、義県留置場に収容され、2年間の労働教養を科された。

 2000年3月下旬、左中右さんは脱走したが、興城駅で再度連行されて錦州市労働収容所に戻された。警官・劉懐忠と徐広権らは、2本の電気棒で左中右さんの背中と首に電気ショックを与え、左中右さんの皮膚は腫れ上がった。昼間に労働を強制されている時も手錠をかけられ、夜、寝る時も手錠をかけられ繋がれたままだった。

中共酷刑示意图:电击

拷問のイメージ図:電気棒で電気ショックを与える

 2000年10月16日午前、労働収容所の5階会議室で、遼寧省司法庁の副庁長・凌秉志と7人の洗脳協力者が、順番で法輪功を放棄させるためのスピーチをした時、左中右さんを含めて数人の法輪功学習者は、嘘の発言と迫害に抗議し、立ち上がって退場を求めた。労働収容所の責任者は、洗脳を受け入れない法輪功学習者をすべて「厳管チーム」に送るように命じた。

 同日午後4時、左中右さん達はヘルメットを被せられ、手錠をかけられ、法輪功を中傷するビデオを強制的に見せられ、頭を下げたり目を閉じたりすると、棒でヘルメットを叩かれ、スタンガンで頭部、顔、腹部、局部に電気ショックを加えられ、鉄の椅子に長時間座らされた。

中共酷刑示意图:殴打头部

拷問の再現:頭にヘルメットを被せられ棒で叩かれる

 警官は左中右さんに対して灌食し、トウモロコシの流動食や大量の塩を流し込んだ。灌食の際、警官は道具を使って強制的に口を開けさせたため、左中右さんの歯は緩んだ。その後、左中右さんは血圧が80 mmHgまで下がり、足も腫れ上がり危険な状態になったため、2001年4月25日に解放された。

野蛮灌食用的开口器


灌食の際に使われた口を開くための道具

 2001年10月、左中右さんは再度連行され2年間の労働教養を強いられ、錦州労働収容所に拘禁され、4本の電気棒で電気ショックを加えられるなどの拷問で苦しめられた。

酷刑演示:电棍电击

拷問の再現:4本の電気棒による電気ショックを加えられる

 苦しめられた左中右さんは、75キロあった体重が45キロまで激減し、危篤状態に陥った。2003年9月、家まで送られた左中右さんを見た身内と友人は、目の前の左中右さんを見ても誰も分からなかった。

 解放される前の数日間、左中右さんは毎日嘔吐し、ひどく咳き込んでいた。帰宅した時でも心臓、肺、腎臓の機能が衰弱し、歩けない状態だった。そして2006年5月29日に左中右さんはこの世を去った。

 二、娘の左立志さんは懲役5年を言い渡される

 左立志さんは1993年に大学を卒業した後、義県大楡樹堡鎮中学校の教師になった。法輪功を実践することで、健康になるだけでなく、道徳レベルの向上にもつながることを知った左立志さんは、毅然として法輪功を勉強し始めた。

 1999年7月24日、左立志さんは鎮政府部門の関係者らに連行され、洗脳班で2日間苦しめられ、身体的にも精神的にも大きなダメージを受けた。1999年9月23日、左立志さんは再び北京へ陳情に行き、義県留置場に連れ戻され、15日間不当に拘束され、現金1360元をゆすり取られた。

 1999年10月13日、左立志さんは現地の警官らに連行され、1カ月間拘束された後、瀋陽市馬三家労働教養所に9カ月以上拘禁され、様々な虐待を受けた。期間中、1年間の給料を差し引かれた。

 2002年、中国共産党の第16回大会が開催される前に、警官らは左立志さんを連行するため自宅に行ったが、左立志さんは逃走して2カ月以上も放浪生活をした。そのため、給料から300元以上の現金を引かれた。2003年、警官は度々左立志さんの自宅に出向いて嫌がらせを繰り返したため、左立志さんはやむを得ず1カ月ほど放浪生活をした。

 2008年8月2日、県国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官十数人が、左立志さんを連行し、家宅捜索を行なった。

 同年9月18日、義県裁判所で左立志さんに対する裁判を行なうという情報を知った家族は、裁判長の王徳久を訪ね、法輪功が迫害される真相を伝え、いったん冤罪を作り出したら悪報に遭うのだと忠告したところ、王徳久は傲慢な態度で「私は共産党の言うことを聞く裁判官であり、今回の案件は錦州で一番の大事件で、悪報なんか恐れない、死も恐れないのだ」と答えた。

 2009年2月12日、左立志さんは秘密裏に懲役5年の実刑判決を宣告され、17日に遼寧女子刑務所に拘禁された。判決書の内容をまだ見ていないので家族は何回も求めたが、裁判所は見せてくれず、本人に渡したと主張した。

 左立志さんは法輪功を放棄しないため、昼間は労働を強制され、夜は睡眠を許されず、ちょっとでも目を閉じると、殴られ盥(たらい)で冷たい水を頭からかけられ、罵られ平手打ちされ、冬、零下20度の外に肌着のままで外に引っ張り出され、放置された。

中共酷刑示意图:浇凉水

拷問のイメージ図:盥で冷たい水を頭からかけられる

 左立志さんは5年間の冤罪を終えて、2013年8月1日に帰宅した。

 三、闞志晰さんは二度労働教養を科される

 闞志晰さん(女性)は1996年10月に法輪功を学び、「真・善・忍」の基準に従って良い人を目指し、心身とも受益した。

 1999年7.20後、闞志晰さんは北京へ陳情に行ったが、自宅に戻ってきた後、現地の警官により洗脳班まで連行され、睡眠を許されず、平手打ちされ、2日間後解放された。

 1999年9月22日、闞志晰さんは再度北京に行き法輪功の無実を訴えた。帰ってきた後、闞志晰さんは連行されて17日間拘束され、1360元をゆすり取られた。 2000年10月13日、闞志晰さんは実家から連行され、県留置場で5カ月半拘禁され、1525元をゆすり取られた。

 2000年10月6日、闞志晰さんは再度陳情のために北京に向かう途中で連行され、3年間の労働教養を強いられ馬三家労働教養所に送られた。7カ月後、闞志晰さんは帰宅した。

 2005年3月、闞志晰さんは法輪功迫害の真相を人々に伝えた時、義県公安局支局の警官らに追いかけられ、連行された。3日後、闞志晰さんは1年6カ月の労働教養を強いられ、馬三家労働教養所に送られたが、8カ月後に解放された。

 四、父親の闞澤田さんと母親の竜秀英さんは迫害により死亡

 父親の闞澤田さんと母親の竜秀英さんは1996年7月に法輪功を学び始めて以来、健康になった。特に、母親の竜秀英さんは胃痛、動脈硬化、心臓病などの病気がすべて治った。

'阚泽田'
闞澤田さん
'龙秀英'
竜秀英さん

 1999年7.20の日から法輪功への迫害が始まった。その直後、闞澤田さんと竜秀英さん夫婦は、北京へ陳情に行こうとしたが、途中の錦州駅で警官らに遮られ家に戻された。

 1999年9月22日、闞澤田さん夫婦は再び北京に行き、法輪功の無実を訴えた。北京から家に帰った途端、住民委員会の人員と警官らに連行され、県留置場で10日間拘束され、計1720元をゆすり取られた。

 2000年10月5日、闞澤田さんと竜秀英さんは3回目北京へ陳情に行った際に、再度連行され、地元に戻され48日間不法に拘禁され、3000元をゆすり取られた。

 それ以来、闞澤田さんと竜秀英さんは重要人物として、常に監視され、恐喝、嫌がらせを受けていた。

 長期にわたり脅迫と迫害の結果、闞澤田さんと竜秀英さんの2人は巨大なプレッシャーの中で、2012年6月から相次いで病気で倒れた。2012年11月13日に竜秀英さんは亡くなった。その2年後、闞澤田さんも無念の思いを晴らせないまま亡くなった。

 五、叔母の闞毅仁さんは迫害により死亡

闞毅仁さん

 叔母の闞毅仁さんは義県漢方病院の医者で、1999年7月21日、北京へ陳情に行く途中で連行され、1日間不法に拘束された。

 2000年10月5日、闞毅仁さんは再び北京へ陳情に行ったが、連行されて地元に戻され、県留置所で43日間拘禁され、2200元をゆすり取られた。勤務先の病院は、闞毅仁さんの給料から4560元を差し引いた。

 その後、闞毅仁さんは警官や、住民委員会、コミュニティの関係者による嫌がらせや監視が絶えなかった。精神的に耐えられなくなり、2005年11月に体調を崩し、2008年6月28日に亡くなった。

 六、いとこの李智輝さんは不当に労働教養される

 李智輝さんは義県漢方病院の看護師である。2000年10月5日、李智輝さんは3回目北京へ陳情に行った際に、連行されて義県留置場で45日間拘禁された後、馬三家労働教養所に7カ月以上収容された。帰宅した後、勤務先の病院は李智輝さんの給料から6000元を差し引いた。

 2002年10月26日、李智輝さんは義県留置場へ連行され、22日間拘束され、1200元をゆすり取られた。

 2016年6月16日午前、李智輝さんは錦州市留置場へ連行され10日間以上拘束された。

 明慧ネットの統計資料によると、2019年12月末時点で、錦州地区では92人の法輪功学習者が迫害により死亡し、そのうちの義県の19人が含まれている。少なくとも184人が実刑判決を宣告され、660人が労働教養を強いられ、少なくとも3272人が洗脳班に送られ、数千人が拘束された(すでに報道されたのは延べ2014人)。また、1万人近くもの学習者が嫌がらせや連行をされ、少なくとも44人が公職を奪われたという。法曹部門の関係者らが強請りとった現金の総額は(少量物の換算額を含む)約1480万元で、迫害による経済損失の保守金額は約4667万元で、累積経済損失額は6147万元に達した。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/12/408578.html)
 
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