【明慧日本2020年8月1日】法輪功学習者・鄭旭軍さん(男性)は1991年に福州大学を卒業し、1996年、中国電力科学研究院(現在の中国電力科学研究院有限会社)で修士学位を取得した。同年、鄭さんは博士の課程に進学し、国家電力部科学技術進歩賞の三等賞に入賞したことがある。
1999年1月、鄭さんは国家政府派遣留学生として、合作研究のためにイギリスのリバプール大学へ行った。1999年4月25日後のある日、鄭さんはイギリスの中国大使館に行き、法輪功の真実を訴えた。
しかし、鄭さんが法輪功を学んでいるという理由で、重点的な迫害対象者となった。そのため2000年に、鄭さんは中国電力科学研究院から除籍された。その後、研究所側の関係部門の者が鄭さんの戸籍を鄭さんの住所に所属する派出所に移したとき、わざと鄭さんの戸籍を無くした。それから鄭さんは二十年来、戸籍がないままで、正常な生活と仕事ができなくなった。
鄭さんは数回も中国電力科学研究院側や西三旗派出所に出向き、戸籍の回復を求めたが、中国電力科学研究院と派出所側は共に、「俺らは間違ったことをしていないし、責任はない」と言った。
2001年9月17日、鄭さんは地下鉄に乗っていたところ、カバンの中を検査され、法輪功の資料が見つかった。その後、警官は鄭さんの頭に黒いカバーを被せ、「北京市法制養成センター」へ連行した。そこで鄭さんは武装警官らに監視され、話すことを許されず、睡眠もはく奪され、ひどく殴打され、散髪も許されず、7カ月の間強制的に洗脳を受け続けた。
2002年3月、鄭さんは労働教養処分2年を科され、北京調遣処から団河労働教養所に移送された。
2008年2月、昌平区国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官らは、鄭さんと鄭さんの妻・蘇南さんを昌平区洗脳班に連行した。その後、留置場に送り、別々に労働教養処分を科して、労働教養所に送った。鄭さんは2年6カ月の労働教養処分を科されて、瀋陽市馬三家労働教養所に拘禁された。馬三家教養所で鄭さんは長時間立たされ、睡眠を奪われ、労働を科され、ひどく殴打され、スタンガンで電気ショックを与えられるなどの残忍な拷問を受けた。その後、鄭さんは教養所から出所したが、北京に戸籍がないため、仕方なく放浪生活を強いられた。
妻の蘇さんは中国人民解放軍第二砲兵工程学院を卒業して、中国人民解放军総装備部第二炮兵に就職し、文官の職務を担当した。1999年4月25日、北京の「4.25」陳情に参加したため、停職となった。それからは毎日のように「転向せよ」と強要され、各種の会議で批判を受け、脅迫も受けた。
1999年7月20日、蘇さんは再び法輪功の迫害停止を求めに陳情し、監禁された。「転向」しなかったため、勤め先が蘇さんの両親を四川省から北京へ呼び出し、圧力をかけた。
1999年10月、蘇さんは再々陳情に行って、また15日間監禁され、11月に河北省宣化にあるホテルに移送され、5カ月間拘禁された。その間、勤め先は哲学の教授を派遣し、蘇さんに「転向」を迫った。とても寒い地方だったが、蘇さんは毎日夜中に、零下20度の室外で煉功した。
2000年6月、信仰を放棄しなかったために蘇さんは除隊させられ、実家の四川省に送還された。
その後、2000年のある日、蘇さんは法輪功の資料を所持していたという理由だけで、懲役3年の実刑を言い渡された。刑務所で蘇さんは四十数日にわたり、かけられた手錠で窓の鉄格子に繋がられ、苦しめられた。
2008年、蘇さんは警官らに連行され、馬三家労働教養所に拘禁された。教養所で蘇さんは労働を強いられ、法輪功への誹謗中傷のビデオを強制的に見せられた。馬三家教養所の残酷な迫害で、出所した蘇さんの体は重傷を負わされたため、自分一人で生活できず、70代の両親の世話になるしかなかったという。
鄭さん夫婦が受けた迫害の事実の詳しいことは、明慧ネットを参照されたい。