同修の問題は 自分の執着の問題
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文/中国の大法弟子 晶明

 【明慧日本2020年8月4日】多くの同修は私もそうですが、他の同修が抱えている問題をはっきり見ることができます。しかし、私達は同修の問題を指摘する時、相手のためを思って問題を解決しようとするのか、それとも自分は優れていて、あなた達よりよく出来ているから問題を解決しようとするのか、どちらなのか考えたことがありますか? 多くの人は、問題を抱えた同修を見て関わりたくないと思うでしょう。しかし、その時、私達は心性を高める機会を逃しているのです。

 師父は「全体の向上、昇華を強調するのです」[1] と説かれました。この面について、私は本当によく出来ていなかったと思います。自分は同修の問題を話すとき、いつも愚痴をこぼしています。それを聞いた同修も、私がしゃべる態度を見た同修も、皆いい気分ではありません。私の観念と人心を加えたことによって、同修の問題がさらに極端になり、激化するのです。もし、この同修の問題が皆に注目される出来事で、皆が各自のそれぞれの人心を加えたとすれば、私達の全体的な環境はどうなっていくでしょうか? 非常に複雑になっていくのではないでしょうか?

 修煉の中で、私達に分かってきたことですが、つまり、何かあった時に、まず内に向けて自分を探すことは、長期にわたって修煉しなければ生じません。本当に大法に基づいて修煉すれば、だんだんと修煉するにつれ、修煉者も無意識に反応できます。個人的な感想ですが、積極的に内に向けて探し、いつでもどんなことでも自分を探すことによって、その玄妙さを体験できます。そして、自分に「清浄心」があることも感じることができます。「清浄心」があれば、自分の気分や観念によって行動しなくなり、同修の問題を話す時に善の心で話し、寛容になります。同じように、同修は私のよい状態を感じ取り、私の話を聞くことも出来るようになります。これからは、皆さんと一緒に問題を話し合ったり、考えたりして解決することを楽しみにしています。同修の問題を見たら、まず内に向かって探すことによって、さらに一層大法弟子の慈悲を反映することが出来ると思います。

 これは現段階での個人的な認識なので、同修と交流したいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/1/30/381013.html)
 
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