常人と混同すれば危険 正々堂々と修煉し関を乗り越える
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年8月12日】私の親戚(以下、Aさん)は1996年から法輪功を修煉する古い学習者ですが、家族は誰も修煉していないため、何かあった時にいつもAさんは常人と妥協して自分の時間や精力などをすべて常人のことに費やし、だんだんとAさんは家族の前で堂々と修煉できなくなり、常人と同じようになりました。

 ある日、Aさんは突然脳血栓の症状が出てしゃべられなくなり、体の片側が動かなくなりました。娘は毎日Aさんを病院に連れて行き、点滴を受けさせていますが、Aさんは何の反抗もなくついて行きました。 私がAさんのことを知った時期はもうすでに5月の終わり頃で、他の人はシャツだけでも暑いのに、Aさんは数枚の体操着を重ね着しても、まだ寒さを感じていました。

 私が大法に基づいてAさんと交流すると、Aさんは間もなく自分の執着心を見つけました。それは人間の情に陥り、自分を修煉者と見なしていないこと、いつも常人の些細なことに絡まれて集中して法の勉強ができず、正念を発することや法輪功迫害の実態を伝えることも少ないため、邪悪に利用されるような執着心があると話してくれました。 実は私たちが法の中で自分を正し、精進することが出来れば、師父は必ず私たちを守ってくださるのです。他の生命には私たちを干渉する資格がないのです。 交流が終わったあと、Aさんは師父の写真の前で話しました。「師父、私は間違っていました。最近、精進していないために魔に隙に乗じられてしまいました。どうか、ご加持をお願いします」。その後、Aさんは自分の病業に対して正念を発し続けました。「たとえ、私に漏れがあったとしても、私は大法の中で自分を正すことが出来ます。魔が私を迫害し、法を正すことや衆生を救うことにこれ以上干渉し、私が魔を消滅できないなら、この宇宙大法は決して許しません」

 その後、私とAさんは一日中ずっと法を勉強し、毎時、毎時に正念を発しました。 師父は「一部の大法弟子は正念を発することを重視していないため、自分が妨害されるだけではなく、それらの邪悪要素はほかの弟子をも妨害しているのです。自分が行なうべきことでさえ、しっかりできないのでしょうか? 自分の分をしっかり行なうだけでなく、ほかの人のも手伝うべきです」[1]と説かれました。私達は夕方の18時から 絶えず正念を発しましたが、その際にAさんの手足が動かないので右足を左手で握り、できるだけ正しい姿勢で発正念をするように心がけました。 22時になるとAさんは体が熱くなり、自分でコートを脱ぎ始め、「もう良くなった、もう大丈夫よ」とはっきりした声で言いました。 Aさんは本当に立ち上がって歩けるようになり、転倒することもなかったのです。 Aさんは自分自身が変化することで、師父の慈悲と大法の不思議を実証しました。

 しかし次の日、Aさんの家族は病院で点滴すべきだ、と非常に強気でAさんを説得しました。 Aさんは普段から自分の意見を出さない性格なので、家族は当たり前のようにAさんの思いを無視しました。Aさんは 絶えず「私は良くなったので、点滴はもういらない」と叫んでいましたが、結局、病院に連れて行かれました。そして自宅に戻って来ると、また体の片側が動かなくなって歩けなくなり、言葉もはっきり言えなくなりました。そして厚着をしても寒さを感じています。

 私はAさんの様子を見て、とても悲しくなりました。Aさんはこのような環境の中でいつも弱い立場にあり、とても危険だと私は考えました。私はAさんの家族に迫害の実態を伝えました。家族は大体のことを受け入れましたが、ただ病気になった時に、病院に行かないことだけは納得しませんでした。私もその場でうまく説明できなかったため、家に帰った後、心を痛めました。私はしばらくの間、Aさんを私の家に呼ぼうと心の中で決めました。

 ちょうどその頃、Aさんの夫から「おばさん(Aさん)がいなくなったが、あなたの所に行っていないか? 歩くことも話すことも出来ないのに、一体どこに行ったのだろうか」と電話がかかってきました。

 その後、Aさんから聞いた話ですが、実はその日、自分は家族から離れなければいけないと思い、大法弟子の修煉環境が必要だと認識し、師父に、「実家の大法弟子と連絡が取れるように」とお願いしました。そして、Aさんは家族が見ていないうちにタクシーに乗って汽車に乗り換え、千里を超えた実家に戻りました。実家に戻る途中で、Aさんは心身ともに楽になりました。大法弟子が歩むべき道を歩んでいるからです。師父は本当に見守ってくださっているのです。

 実家に戻ってから、Aさんは毎日同修と一緒に三つのことをしっかり行ないました。すると、体中が力一杯になり元気が出てきました。Aさんの変化を家族に伝えると、家族は大法の不思議を確信しました。特に娘さんは、以前、大法のことを信じられなかったため、母親を支持しなかったことを大変後悔しました。そして「これからは、大法の真実をもっと理解するように努力します」と話してくれました。

 他の角度から見ると、どんな原因であっても常人と混同してはならず、常人の流れに従ってはいけません。修煉者は人心を放下すべきです。人心が修煉者の正念を蝕(むしば)んでいるとき、私達は精進できなくなり、常人の考え方から抜け出すことが出来なくなります。良くないものが私達を操って自力で抜け出すことが出来ない上に、難関も絶えずやって来て、関をなかなか超えられなければ、本当に危険なことであり教訓も深刻です。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『ロサンゼルス市法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/12/21/397303.html)
 
関連文章