明慧法会|師父が私に正念を与えてくださり度重なる難関を乗り越えた(上)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年8月23日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 全世界の大法弟子の皆さん、こんにちは!

 私は1997年に大法の修煉に入り、二十数年間の修煉の中で師父の慈悲深いご加護とご加持を頼りに、大法の威力による保護と大法に与えられた正念によって、多くの魔難を乗り越え、今日(訳注:2019年11月)まで歩み、師父への限りない感謝を申し上げます。

 以下は私が関を乗り越えたこの数年の一部の経験で、大法の威力と超常さを実証するために書きました。

 正念で労働教養所を出る

 1999年、私は北京に陳情に行き、不当に捕まり、初めて労働教養を科され、警察は私たちをひそかに労働教養所に連行し、車を下ろされると私たちはすぐに服をすべて脱がされました。その時私は自身の手で書き写した経文を体に隠しており、かばんの中にはさらに数ページ書き写した『轉法輪』があり、この経文をどのようにすれば保護できるのかと思いました。どこに置いても安全でなく、警官たちは探すことができます。心の中で焦り、この時に頭の中で「大法身を離れずして 心に真善忍存す 世間の大羅漢 神鬼十分懼れる」[1]という師父の法を思い出しました。「この経文を肌身離さず持っていることが私にとって最も安全だ」と思いました。私は経文を自分が着ているコートのポケットに入れ、とてもしっかりしていると感じました。警官たちが私の体を探した時、私は少しも顔に出さずコートを渡し、警官たちは受け取った後、ただ触っただけで、ポケットの中を調べず、カバンさえ開けず、ただ私の体だけを調べました。こうして私が持ってきた経文は保護されました。

 労働教養所で、警官は「お前たちはここに来たら、我々の取り決めに耳を傾けなければならない。ここでは煉功や法を学ぶことを許さず、ここの規則を遵守しなければならない、できるか?」と訓戒しました。私たちはみな声を出しませんでしたが、警官たちは一人一人に尋ねたので、毅然とした態度で臨まなければなりませんでした。私が尋ねられた時、私は「できません! 私はこれを学んでいますので、どこに行っても学ばなければならず、どこでも煉功しなければなりません」と答えました。尋ねた警官は私がそのように言ったのを聞いて「お前に伝える。ここに来たら私の言うことを聞かなければならず、学ぶことはできず煉功もできない」といきまきました。その警官は私をわきに押しやり「次」と言いました。私の後ろにいた同修はなぜか気を失っており、みんながその同修を引っ張り、こうしてその警官の訓戒はそそくさと終わりました。

 この労働教養所の環境は極めて劣悪で、東北地方の天気は、冬はとても寒く、労働教養所の窓はガラスがないところがあり、暖房は暖かくなく、手を洗ったり、顔を洗ったり、頭を洗ったり、体を洗ったりするのはいつも薄氷が張った冷水を使わなければなりませんでした。

 労働教養所には70~80人おり、大きな部屋に押し込められ、真ん中は通路で、両側に2列のベッドが並んでいました。夜になると、真ん中の通路に大きなプラスチックのバケツが9個置かれ、最初は何をするためのものかわからず、夜中にトイレに行く時になってはじめてわかったのですが、受刑者が用をたすためのものでした。なぜなら受刑者が部屋に入るとすぐに、監房のドアはすぐに鍵をかけなければならないからでした。翌朝起きてみると、九つのバケツには糞便、トイレットペーパー、ナプキンが外にまであふれだしており、吐き気がするほど気持ち悪くなりました。担当の受刑者は私にバケツを空にするように言い、さらにきれいに掃除しなければなりませんでした。

 しかしこれはまだ最も苦しいことではなく、すべての修煉者をみな受刑者2人が監視しており、話ができず、目を閉じることもできず、座る時に足を曲げることが許されず、すべての監視人の目はとても凶悪で、1時間に1回名前を呼び出し、必ず「います」と答えなければならず、答えないと殴られました。その雰囲気に抑圧された人は息さえできませんでした。私は心の中で「ここのどこが人が留まる場所だろうか、私たちは大法弟子であり、どうしてこのような侮辱を受けることができるだろうか、どうしてこのような汚い場所にとどまることができるだろうか?」と思いました。そこで私は小さな声で、私の体に寄りかかっていた同修に「ここは私たちが留まる場所ではない、脱出しましょう!」と言いました。その同修は「はい、脱出しましょう!」と答えました。その同修が言い終わると受刑者の1人が同修をビンタしました。

 その時はただ「脱出したい」という一念があるだけでしたが、どのように脱出するかは私にもよくわかりませんでした。夜中になり、私は騒々しい声で目が覚めると、1人の同修がちょうど多くの受刑者に両手両足を引っ張られて殴られているのが目に入りました。私が「どういうことですか」と尋ねると、私を監視している受刑者が、同修が夜中に眠らず起きて煉功していたと言い、私は「煉功は間違っていないので、人を殴ってはいけません」と言いました。私を監視している受刑者は「あなたがおせっかいを焼く必要はない」と言いました。私は「彼女は私の同修です、何がおせっかいなのですか?」と言いました。私がそう言いながら服を着ると、受刑者は動けないように私を引きずりました。この時他の同修も起きてきて、坐禅と煉功をしていたその同修を保護するために急いで駆け寄り、私も急いで駆け寄りましたが、何人もが私にまとわりつき、どうしても同修のところに行けませんでした。

 私は「私を前に行かせないのであれば、私は後ろに行って煉功する」と考えました。そこで私は後ろ側に走っていき、私が後ろの方に走って行ったのを見ても警官たちは私を無視していたので、私は後ろで動功をしました。ちょうど動作を2回行なったところで、部屋全体の騒音、叫び声、殴る音が突然止まり、すべての人が自分のベッドに戻り、私も自分のベッドに戻りました。注意して見ると、背の高い男性の警官が、手にスタンガンを持ち、後ろに大勢の人がついており、所長や隊長、教導員や事務担当者がすべてやって来て、部屋の中はすぐに静まり返りました。

 労働教養所の所長はスタンガンを握り、廊下を歩きながら「お前たちに告げる、法輪功を修煉する者たち、お前たちが外で何をしていたかに関わらず、ここに来たら、お前が龍であっても私の前ではとぐろを巻かなければならず、お前がトラであっても私の前では伏せなければならず、お前たちは外で何かして、ここに騒ぎを起こしに来たのか?」と威勢を示しながら言いました。私は労働教養所の所長の話を聞き、「私たちは大法弟子であり、どうして龍やトラと比べられようか、どうしてあなたのところに来てとぐろを巻いたり、伏せたりしなければならないのか」と思いました。そこで私は「ここに来るということを私たちはまったく告げられておらず、もしここに来るとわかっていたら私たちは来ませんでした!」と言いました。私の話が終わる前に、刑事犯たちが、息を吐いてこぶしを振りかざし私に突っかかってきて、まるで小悪魔の集団が玄奘(訳注:“西遊記”の登場人物の名)を捕まえるかのようでした。

 私はその時恐れを感じなかったので、受刑者たちのこぶしは私の頭の上に来ても私を殴れず、無理やり引っ張って私を看守室に押し込みました。この時になってはじめて、看守室の廊下で同修2人が手錠をかけられているのを目にしました。私は看守室の中で、人が入ってきて私に話しかけてくる限り、法輪功が無実の罪を着せられていることをその人に伝え、その後に所長が入ってきたとき、私は前もって所長あてに書いた手紙を所長に渡しました。所長は手紙を読み終わった後、傲慢さがだいぶ減り、自分には理解できないというような目で私を見ました。所長を見ると私よりも急に背が低くなったように見え、やましいところがあるかのように、何も言わず、それから出て行きました。

 それから労働教養所の警官が私をラジエーターに手錠でつなぎ、しばらくしてから、その警官はラジエーターの下で私がまだ座ることができるのを見て、私を戸の枠に手錠でつなぎましたが、私は眠くなり、眠くなったので寝てしまい、その時私はなんと立ちながらでも寝られることを知り、ただ手首が手錠でつらいだけでした。

 翌日、労働教養所の警官は私たち大法弟子を三つに分けて独房に入れました。独房は鶏舎で、鶏を飼うためのもので暖房がなく、ガラスもはまっていないところがあり、ベッドは数枚の木の板を寄せ集めたもので、寝返りを打つとすぐ落ちてしまいました。独房は不気味さで息苦しくなりそうで、受刑者は不平を言い続け「私まで一緒に苦しんでいる」と言いましたが、一つだけよいことがあり、それは労働教養所の労働をしなくてもよいことでした。今回私は煉功することができ、そこで座って坐禅し、ちょうど30分坐禅したところで、隣の部屋からスタンガンがぱちぱちと放電する音が聞こえ、その音を聞いて同修は「法輪大法は素晴らしい! 法輪大法は素晴らしい! 法輪大法は……」と叫びました。同修がまだ言い終わらないうちに音は聞こえなくなりました。

 私はその時緊張して恐れ、何が起こったのかわかりませんでしたが、同修が迫害されていると知り、意識の中で放ってはおけないと、右手を挙げて壁を叩いて応援する準備をしましたが、手をあげてそのまま止まり、恐れる心が一気に全身に湧き上がり、途方に暮れて受刑者に「どうしたのでしょうか?」と聞きました。受刑者は「音を立てないで、聞いてください」と言いました。しかし音はもう聞こえてきませんでした。

 私はその時どうすればいいのかよくわかりませんでしたが、「もし私が今中国共産党(以下、中共)の恐怖に打ちひしがれたら、これ以降私の正念は二度と戻ってこない」と心の中でわかりました。私は「どうすればいいだろうか?」と自問しました。その時私の心には2人の「自分」がおり、1人の「自分」が「人になりたいのかそれとも神になりたいのか?」と聞きました。もう1人の「自分」が「神になりたい、人であることは苦しく、私はもう人にはならず、どんなに苦しみをなめても人にはなりません」と言いました。もう1人の「自分」がまた「神になるにはどうすべきか?」と聞きました。その「自分」は「乗り越えろ!」と言い、もう1人の「自分」が「はい、乗り越えます!」と言いました。

 この「乗り越えろ」という字が光った時、私の心は恐怖で引き裂かれ誰かが心をえぐり出しているかのようで、痛みで呼吸さえできず、吐き気で嘔吐したくなり、心臓もすぐに喉元まで上がってきそうな感じでした。その瞬間私は本当に心をえぐられ骨にまで突き刺さるとはどういうことなのかを味わい、突然すべての思考が消えていくかのようで、この世界で起きているすべてのことが、原子爆弾が爆発しても私と関係がないかのように感じ、すべての思考が消え、その時誰かが私をばかにし、また私を傷つけ、利用されても私は問題にせず、さらに私は尋ねることさえせず、その誰かはあまりにも小さく、何ものでもありませんでした。私は心の中で「恒心をもって足を挙ぐ万斤の腿 苦を忍び精進して執着を去る」[2]という師父の法を暗唱しました。私は「恒心をもって足を挙ぐ万斤の腿」ではないと感じ、さらに万斤の腿を引きずり「執着を取り除く」と言いましたが、心の中では何の執着を取り除かなければならないのかがまったく明確でなく、ただ「私は止まるわけにはいかない! 私はしりごみするわけにはいかない! どんな難であろうと私は前へ歩まなければならない! これこそ修煉であり失敗するわけにはいかない!」という一念だけがありました。

 この一念が固まった後、恐れる心がすぐになくなり、心も平静になり、どのように行なうべきかわかり、私は受刑者に「私は煉功しなければなりません!」と言いました。受刑者は驚いて「煉功してはいけません、あなたが煉功すれば私たち2人はひどい目にあう、あなたは私の祖母であり、祖父母であり、曽祖父母であり、絶対に煉功してはいけません!」と急いで言いました。私は「私はあなたには迷惑をかけず、行なうことに自分で責任を持ちます。あなたは叫んで報告し『彼女が煉功したいと言っています』と言えばいいです」と静かに言いました。受刑者は「それなら大丈夫です」と言いました。そこで受刑者はドアのところに駆け寄り「報告します、彼女が煉功したいと言っています」と高い声で叫びました。何回か叫び、やっとある人が「何ですか? 彼女が煉功したいのですか? それならいいです、彼女に待つように言いなさい」と言いました。

 しばらくして、私は誰かがやってくるのが聞こえました。この時、私はすでに完全に恐れる心がなく、私は坐禅をする姿勢をしっかりと準備し、隊長がスタンガンを持っているのを静かに見守り、後ろに大勢の刑事犯を連れて入ってきました。その隊長はスタンガンを手に持ちながら私の周りを一回りして「煉功するのか?」と言いました。私は「はい」と言いました。隊長はスタンガンで窓の方を差して「煉功したいならやってみろ、その屋上につるし上げてやる」と言いました。私も窓の方を見て何も言いませんでしたが、心の中で「そこの屋根につるされても私は恐れない!」と言いました。私はずっと隊長を見ていました。

 隊長は私を見て何も言わず、ベッドの上に座って「あなたたち法輪功を修煉する者は、あるものは病気治療のためだと言い、ある者は道徳向上のためだと言い、ある者は国や社会のためだと言う、あなたは何のためですか?」と言いました。私は「私はそのどれでもありません」と言いました。隊長は少し疲れたように「それではあなたは何のためですか?」と言いました。私は「佛を修めるためです」と言いました。隊長は「佛を修める?」と聞きました。私は「そうです!」と言いました。隊長は突然太ももを叩いて「その通り、あなたの言う通りだ、何が社会のためだ、何が道徳向上のためだ、何が病気治療と健康保持のためだ、みんな嘘で、あなたの言う通りだ! それではあなたたち法輪功が言う圓満成就とはどういうことですか?」と言いました。私は「圓満成就とはあなたの思想境地を向上させることで、完全に他の人のため、何を行なっても他の人のためというところまで向上し、このような境地に達すれば、あなたは圓満成就します」と言いました。隊長は私をちらりと見て(隊長は私が話したことについて思案していたと思う)、再び「あなたたち法輪功は圓満成就し天国の上ると言う。その天国はとても小さく、あなたたち法輪功を修煉する者はこんなにも多いのに(1999年以前の全国調査では1億人以上上)、その天国はあなたたちを受け入れられるのですか?」と言いました。私は「天体は洪大で、隊長には理解できないので、隊長に次元の高い話をすることはできない」と思い「こんなにも多くの人が煉功していると考えないでください、すべての人が修め遂げることができるわけではありません」と言いました。隊長は「それではあなたはできるのですか?」と言いました。私は「私はできます、私は必ずできます」と言いました。隊長は私の話を聞き終わり隊長の目にはショックと敬服がにじみ出し、さらに少し軽蔑の目つきが現れました。その後に隊長はまたいくつかの質問をしましたが、私はあまり詳しく説明せず、大体二十数分の後、何も聞くことがなくなったようで、隊長は意識が戻ったかのように、スタンガンを持って出て行きました。隊長の後ろに付いていた受刑者も一緒に出て行きました。ある受刑者がまた走って戻ってきて「早く妥協してください、今日はあなたに何もしませんでしたので、あなたはうまくいきました」とこそこそと私に言いました。このようにして私は迫害を一度回避しました。

 夜に私はある部屋に入る夢を見ました。白衣を着た何人かの人はまるで医者のようで、ナイフと、フォークと、刑具を持っており、私を手術すると言い、私は白衣を着た人たちに「私は法輪大法を修煉しています」と伝えると、白衣を着た人たちは少し相談して私を解放しました。これは関を乗り越えたのだと目が覚めてから私はわかりました。

 また2日が過ぎ、ある労働教養所の警官が再び私を説得しに来たとき、私はその警官に「法輪功は無実です」と伝えました。

 7日目になり、ある人に私は呼び出され、私をある場所で待たせ、私たちをさらにひどい独房に入れるのかと思いましたが、結局私たちを他の労働教養所に移しました。なんと他の同修はずっと労働教養所の警官に私の解放を要求しており、私たち3人を解放するように要求し、そのために同修たちは絶食し、ある同修は煉功を続けました。労働教養所の人間に苦しい思いをさせ、ある同修は殴られ、スタンガンで感電させられ、ある同修は隊長に会った時20回以上ビンタされても、この同修は恨みも恐れもしませんでした。私はそれを聞いて感動しました。なんとすばらしい同修たちでしょうか!

 このようにして私たちは7日間でこの労働教養所から出ました。

 その後、この時のことを思い出した時、私は「あの時どうして脱走して家に帰らなかったのか?」と自問しました。なぜなら、「法が正せないなら私たちは家に帰らず、私たちは労働教養所に押しかけて、そこで私たちは法を伝えなければならない」という考えだったからでした。この念は間違っていませんでしたが、その時はそのような認識であり、その念が旧勢力のものであることがわからず、その時もまだ旧勢力があったことがわかりませんでした。

 正念で洗脳班を解体する

 他の労働教養所に着き、接待要員が私たちにうどんを作って食べさせ、「これは労働教養所の歴史上今までなかったことです」と言いました。そこの環境が以前のあの労働教養所に比べてずっとよいことを私は見て取り、住むところは暖房のきいた建物で、環境はきれいで、人も親切で「ここならまだ悪くない、ここにいよう」と思いました。(この念も間違っていたが、当時は認識できなかった)

 翌日、隊長が来て私たちと話し、まるで私たちと交流しているかのようで、隊長は「私は法輪功を理解できず、あなたたちの師父がどのような人なのかも理解していないので、私にはあなたたちを評価する権利がなく、私はただあなたたちを尊重していますが、あなたたちがここに来たのであれば、あなたたちも私たちを尊重することを願っています。なにしろ私たちには私たちの規則がありますから」と言いました。隊長がこのように言うのを聞いて、私は「彼女はまだ文化が高く、それなら私たちも彼女と一緒に文化的になろう」と思いました。私たちは隊長に「あなたが私たちを理解していないのであれば、私たちはあなたに理解する時間を与え『轉法輪』という本を探して読んでみてください、どうでしょうか?」と一つの条件を提出しました。隊長は「わかりました、しかし私が『轉法輪』を読む前に、あなたたちは煉功しないでください」と言いました。私たちは「わかりましたが、ただ9日間という時間に限定してください」と言い、隊長に一日一講を読んでもらうことにしました。隊長は「わかりました」と言いました。

 このようにして、最初の数日間私たちは隊長たちに協力し『轉法輪』を読んだ後に隊長がどうなるか待ちました。しかしその数日間隊長は忙しく、私たちの授業を組織するので忙しく「法輪功(修煉者)は労働する必要はなく、授業を受ける必要がある」と言い、授業の時の隊長の態度はとてもよく、いつも私たちに「わかりましたか?」と尋ねました。しかし隊長の話すことは大法と矛盾していることに私は気づき、それは中共の洗脳理論に調和していましたが、わかりにくいものでした。ある日ある同修が突然立ち上がり「隊長、それについて話さないでください、あなたの講義がよくないと言っているのではなく、あなたが話すこれらの内容が発散しているのは、みな黒い物質(この同修は天目で見えたのかもしれない)であり、あなたにとっても、私たちにとってもよくなく、私たちは聞きたくありません」と言いました。同修がこのように言ったのを私は聞いて、私は「この講習会(実際は洗脳班)は隊長にはもう教えることができず、法輪功修煉者たち(約三十数人)はみな隊長の偽善に騙されることになり、再び聞き続ければ、隊長はこの人たち(訳注:約三十数人の法輪功修煉者たち)を間違った道に導き、隊長を混乱させることになる」と感じました。そこで私は手をあげると、隊長は「何ですか」と尋ね、私は「あなたに伝えたいことがあります」と言いました。隊長は「まずは座ってください、授業の後に会いましょう」と言いました。

 授業の後、隊長は「あなたは残ってください、他の人は仕事に戻ってください」と言いました。そして隊長は「言いたいことがあるなら言ってください」と言いました。私は「隊長、私は明日からこの講習会には参加しません」と言いました。隊長は「どうしてですか? 私の講義が上手でないからですか?」と言いました。「あなたの講義が上手でないというのではなく、私たちは聞きたくなく、さらにあなたにとってもよくありません」と言いました。その時は感情的になっており、このクラスを解体しなければならないと決心しました。隊長は私に水を一杯注ぎ、私に座って話させ、私は「どちらにしてもこのクラスに私は参加しません」と言いました。隊長は「あなたがこのようにするとどのような結果になるか知っていますか?」と言いました。隊長の表情は恐ろしさと威嚇を帯びていました。私は「どのような結果になろうと、私の修煉をここで終わらせたくなく、命をかけても私はここから出て行きます」と言いました。私がこのように言ったのを聞いて、隊長は「このことについて私は決定せず、あなたに替わって私が所長に話しておきますので、あなたは自分で大隊長に会って話してください」と言いました。私は「わかりました」と言いました。隊長は私を洗脳班の入口まで送り、私が遠く歩いていくまで、隊長はまだそこで私のことを見ていました。

 私は監房に戻った後、さきほど起こったことを心の中で考え、私の右目が外に膨らんでいるように感じ、私が触ると、平らで、膨らんでおらず、すぐに右目から色とりどりの透明な虹が放たれ、私はそれをただ見ているだけでした。他の人には見えないことを私は知っているので、他の人には話しませんでした。これは私が正しく行なったからで、師父は私を励ましてくださり、大隊30分でなくなりました。

 それ以降、洗脳班をやらないことをその隊長が宣言し、法輪功修煉者は他の人と同じように労働に参加しました。このようにして洗脳班は崩れてしまい、私は大隊長にも会いに行かず、所長も私に会いませんでした。

 (続く)

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「威徳」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「泰山に登る」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/5/395387.html)
 
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