明慧法会|師父が私に正念を与えてくださり度重なる難関を乗り越えた(下)
■ 印刷版
 

 【明慧日本2020年8月30日】(前文に続く)

 正念を持って協力し同修を連れ戻す

 2002年、私は再び労働教養を科されました。その時、労働教養所は「転向班」と「非転向班」に分けられ、私は「非転向班」に拘禁されました。ある日、私たちの監房の同修が突然いなくなり、ずっと夜まで戻ってこず、私は焦り、監視役の受刑者に尋ねると、監視役の受刑者は私の耳元で「どうやら彼女は鉄椅子に座らされているようです。私があなたに言ったとは言わないでくださいね」と言いました。私は全監房の同修とどうすべきか相談すると、ある人は「解放を要求しよう」と言い、ある人は「絶食しよう」と言いました。私は「絶食は時間がかかるからだめです。今晩もし戻ってこなかったら、時間が長くなり同修が耐えきれなかったらどうしますか? こんなに寒いのに、彼女はコートも着ていません」と言いました。ある同修が「あなたが解放を要求しに行き、私たちがあなたに協力し、あなたが1時間たっても戻ってこなかったら、私たちは絶食して抗議します」と言いました。私は「わかりました」と言いました。

 私が隊長室に行くと、ちょうど隊長がいて、私は「○○隊長、私たちの監房の△△さんが、こんなに遅くなっても戻りません。あなたたちは彼女をどこに連れて行ったのですか?」と言いました。隊長は「お前がお節介を焼くことではなく、どこに連れて行こうが関係ない。お前に言わなければならないことではないだろう!」と言いました。私は「彼女は私の同修で、彼女がいなくなって私は放っておくわけにはいきません!」と言いました。隊長は怒って立ち上がり「ふざけるな、お前が鉄椅子に座っている時誰がお前のことを気にするか?」と言いました。私は「私は真・善・忍を修めており、他の人が困難に陥っているのを知り、私が何もしなければ自分勝手としか言いようがありません」と言いました。隊長がそのように言ったのを聞いて同修が確かに鉄椅子に座らされていることを確認し、私はさらに「あなたが彼女を鉄椅子に座らせているのですか?」と言いました。隊長は「誰が言った?」と言いました。私は「こんなに遅くなってもまだ帰ってこないのは、鉄椅子に座っていなければ何をしに行ったのですか?」と言いました。隊長は「話をしているんだろう」と言いました。私は「彼女を戻してください」と言いました。隊長は「お前は誰だ? 労働教養所はお前の家であり、お前は誰を解放しろというのか?」と言いました。私は「彼女を戻してください、私が彼女の代わりに鉄椅子に座ります」と言いました。隊長は「自分に媚びるなよ、英雄になろうとしているのか?」と言いました。私は「私は英雄になろうとしているのではなく、彼女は体が悪く、さらに生理が来ており、天気がこんなに寒いのにコートも着ておらず、体を壊したら、あなたは心の中で耐えられないのではないですか?」と言いました。隊長は「お前が気にすることではない、戻れ」と言いました。私は「戻りません。あなたが彼女を解放するまで戻りません」と言いました。隊長は「お前は私を脅しているのか?」と言いました。私は「脅しているのではありません!」と言いました。隊長は「戻らないのならここで立っておれ!」と言いました。そして手を振るとすぐに出て行き、隊長が出て行った後私は「今日必ず同修を連れ戻さなければならず、実際だめなら私が彼女の代わりになろう」と思いました。

 しばらくして、隊長が戻ってきたとき、態度がさっきより良くなっており、隊長は再び私と話をし、私は隊長に「法輪功を大切にしなければなりません」と伝えました。すぐに労働教養所の警官がドアを開けて隊長に頭を下げ、隊長も頭を下げ、またしばらくしてから隊長は「戻れ!」と言いました。私は「私は戻りません!」と言いました。隊長は「戻れと言ったら戻れ!」と言いました。隊長の態度がそれほど悪くないことを私は見て、何かが起こっているようでした。隊長は私を隊長室から押し出しました。同修が戻っているかどうかをまず確認しようと思い、監房に戻りました。戻ってみると、同修はすでに戻っており、ベッドに横になって、とても憔悴していました。同修はやはり縛られて鉄椅子に座らされていました。

 こうして私たちは全体で協力して同修を連れ戻しましたが、以前はこんなことはありませんでした。

 正念で拷問による迫害を解体する

 ある時、私は地方のいくつかの資料拠点の設立準備の手伝いに行きましたが、到着するとすぐ、他の同修が不当に連行されました。その日地元の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)に連行され、私たち2人を隔離して尋問しました。警官は私に手錠をかけ、片方の腕を上から背中に持っていき、もう片方の腕を下から背中に持っていき、手錠をかけ、それから私を放り投げ、殴り続け、蹴り続け、背中で私の手をやりこめました。その時私は正念を発しても間に合わないと感じ、私は警官に向かって「法輪大法は素晴らしい!」と念じました。法輪大法は警官たちの背後にある邪悪要素を払いのけました。私は「法輪大法は素晴らしい!」と念じることが役に立つことを知りました。

 警官は私に何も尋ねることができず、焦っててんてこ舞いになり、警官の一人が私の手と腕を持ち上げたので、痛くて眼から火花が出ました。最初は私はまだ耐えられましたが、時間が長くなると少し耐えられなくなり、私は師父に「師父、私は同修を売ることはできません。私は決して話しませんが、私が耐えられる能力には限りがあります」と申し上げました。この念が出たとたん「サー」っと、私の足の下から気が頭のてっぺんまで直通し、全身を貫き、私はすぐに痛みを感じなくなり、「師父が救ってくださった、師父が私の替わりに受け持ってくださっているのだ」とわかりました。

 警官たちは私を殴り、罵りましたが、私は何も感じず、警官が小声で「彼女はなぜ汗をかかないんだ?」というのが聞こえました。その警官も困惑した様子で、「体の素質が違うので、彼女はがまんすることができるのだ」と言いました。もう一人の警官が自分が履いている靴を脱ぎ、私の足を強くたたきました。私は反応せず、その警官は靴を履き、部屋の中を一周し、私を叩くものが何も見つからず、出て行って棒を見つけて戻ってきて、私の頭に向け「話すのか話さないのか、話さないなら私はお前を叩き殺すぞ」と言いました。私は何も言いませんでしたが、目でずっとその警官を見ながら「法輪大法は素晴らしい」と念じました。私が怖がっていないのを見て、棒を捨てて出て行きました。他の警官も私を叩かなくなりました。

 警官たちは私から同修の情報を引き出そうとしましたが、私は依然として協力せず警官たちに向かって「法輪大法は素晴らしい」と念じました。警官は「そのような目で私を見るな、我慢できない」と言いました。私は「我慢できないのは私の念が正しいからだ」と思いました。このようにして私は拷問による迫害から逃れました。

 他の同修は拷問で苦しめられ意識不明になり、警官はやっと手を止めました。

 正念正行で留置場を出る

 ある時、年配の同修と町で法輪功の実態を伝えているとき、広告のチラシを配っている若者に、真相を伝え(実はその若者は私服警官だった)ようとすると、話を聞かずに去っていきました。すぐに2台のパトカーが来て、何人もの警官がおりてきて、私を連行しました。夜に警察が私の家を家宅捜索し、師父の写真やパソコン、プリンターや何冊もの大法の本を奪っていきました。その時私の息子が家におり、私は必死に師父の写真を取り戻したかったのですが、警官たちは私の息子に私を押さえつけさせており、私は動けず、息子は警官たちが私を殴ることを恐れていたのかもしれず、息子はしっかりと私を引っ張って私を動かさせませんでした。警官たちが師父の写真を少しも敬わずに手に持っているのを見ましたが私は何もできず、心の痛みを感じ、私は「私は必ずこの写真を取り戻し、私の罪を償います」という一念を発しました。なぜなら「私はしっかりと修めておらず、邪悪に隙をつかれ邪悪は警察を操作して私を捕まえ、警察が罪を犯したのは、私にも責任がある」と感じたからでした。

 私は15日間留置場に拘禁され、うつ状態になり、警官たちが師父の写真を破損したり紛失したりするのではないかと焦り、警官たちに取られたカバンの中には4000元以上入っており、真相を書いたお札に交換して使うためのものであり、どうすればいいでしょうか? ここには同修は一人もおらず、孤独で、交流する人はいませんでした。

 その後私は「ここに来たのであれば、すべての人心を放下し、まずは内に向けて探そう」と思いました。最近起きたことを思い出し、やはり自分には党文化、中共の要素、不善、自己中心、人を軽視する、口を修めない、非難したがる、文句を言いたがることを感じました。「自分の修め方はこんなにもひどい」と考えながら後悔し、これからは必ず善を修めなければならないと誓いました。

 考えているうちに、ある同修が私に「大法弟子には100万の兵士がいる」と言うのを思い出しました。そうだ! 私にも100万あるいは1000万の兵士がおり、さらに護法の神が見守ってくださっている。私はなぜ兵士を使わないのか? そこで私は正念を発し、私の100万の兵士を四つに分け、一部は警官たちが動かせないように師父の写真を見守り、私が出て行った後に、しっかり取り戻し、一部は私のカバンを見守り、誰にも私のお金に触らせず、あれは大法の資源なので、失うわけにはいきません。一部は公安局を取り囲み、そこで私を迫害するように警官たちをコントロールしている要素を徹底的に取り除き、一部は「610弁公室」を取り囲み、「610弁公室」が私に対する迫害に加担しないようにしました。私はまた「さらにこの留置場の邪悪を根絶しなければならず、今回私が出て行く時、決して釈放証明書にサインしない」と決めました。そこで私は両手で合掌して師父にご加持をお願いし、この留置場のすべての部門、すべての部署、すべての組織、すべてのメンバーの背後にある空間場をすべてきれいに清めてくださるようお願いしました。

 私はここに拘禁されている人に真相を伝える以外に、法を暗唱して正念を発し、周りにいるすべての人を大切に扱いました。最初は伝えても聞きませんでしたが、私は行なうべきことを行ないました。その後周りの人たちすべてが変わり、私に対してとても友好的になり、ある人は積極的に私に会って三退し、全部で19人いましたが、私は18人を三退させました。留置場の警官と所長も態度が変わり、表情も穏やかになり、以前のように凶悪ではなくなりました。

 私が出て行く日になり、本来は人を解放する時はいつも明け方に朝食ぬきで解放するのですが、その日警官たちは、関係者が全員そろい、打ち合わせが終わった後、解放し始め、全監房の人がみな親切で、喜んで私に別れを告げました。その日留置場を出た男女は合計9人で、釈放証明書にサインするために門のところに並んでおり、私が行く番になった時、すべてのリーダーがおり、ある一人が私にペンを手渡し「サインすればそれでいい」と言いました。私は「サインしません」と言いました。その人は「サインしなければ門を出られず、門衛はあなたを外に出さない」と言いました。私は「私はサインしません、私は法を犯していないので、サインしません」と言いました。すると所長が「署名しないなら、まず列から外れ、他の人があなたのサインを担当する」と言いました。私は列から外れ、列の後ろに並んで待ちました。しばらくすると、建物の中から留置場の若い警官が出てきて、私に1枚の紙を渡し、みると私を解放する釈放証明書でした。サインせずに私を釈放して出そうと警官たちは打ち合わせをして同意していました。私は心の中で喜び、師父に限りない感謝を申し上げ、師父は再び私のために決定してくださいました。

 しばらくして、副所長が出てきて私のそばに歩いてきました。私がどんな様子か見たかったのかもしれません。私は副所長に「私を解放することに同意してくれましたね」と言いました。その副所長は少し誇らしげな様子で「同意しました」と言いました。「みなさんに感謝します、私の替わりに皆さんにありがとうございます、ここにいるすべての人の幸せと平和を願っていますと伝えていただけますか」と言いました。副所長が「ありがとうございます」と言った時の表情は少し恥ずかしそうでした。

 正念で師父の写真を取り戻す

 家に帰った後、私は公安局に行って私の物を要求し、公安局の隊長は私のカバンを持ちながら「サインするまで何も渡さない」と怒ったように言いました。そう言いながら取調室に入って行き、私も入るように手で合図しました。私は「取調室に入ってサインしたいが、もし私がサインしなくても大丈夫なら、私は入らない」と思いました。私は向きを変えて外へ飛び出すと、幸いにも門はしまっておらず、私は走っていきました。

 帰ってきた後、私は「恐れる心がこんなにも重く、何を走っているのか? 正念はどこへ行ったのか?」と思いました。「また行かなければならない」と思いましたが、やはり恐れる心がありました。私たちの学法グループの同修は「あなたがもう一度私物を要求しに行く時私たちに声をかけてください、私たちもあなたと一緒に行き、あなたに協力して正念を発します」と言いました。私は「これはそんなに簡単なことではなく、私はやはり多く法を勉強したほうがいい」と思いました。そこで私は心を静めて学法しました。

 学法の後、私は「隊長の顔はやはり優しく、そんなに凶悪な人であるはずがなく、私に対してどうしてあんなに怒っていたのだろうか? 私に何か問題があったのだろうか?」と思いました。「やはり隊長が真相を知らないことが原因で、それなら隊長を救う方法を考えよう」と考えました。そこで私は隊長に真相を書いた手紙を書いては校正し、校正しては書き、さらに経験のある同修に頼んで校正してもらい、1週間後ついに書き終えました。同修が見ても「これなら大丈夫です」と言いました。

 しかし私はどうやって隊長に渡せばいいか心配になりました。私はグループの同修に一緒に行ってもらうよう頼み、公安局の入口まで来ましたが、やはり恐れる心がありました。一緒に来てくれた同修の一人が「私は昨日の夜『師父の恩を思い出す』を聞き、何を恐れているのか、師父はいつも私たちのそばにいらっしゃいます」と言いました。私はすぐにわかりました。これは師父が私を悟らせてくださっているのではないでしょうか? 師父は私のそばにいらっしゃいます。

 この時、ある時中共のポスターを取り除いた時の心理状態を思い出し、その時は正念が足りていて、ポスターを貼ってある場所に出かける時に「大法弟子は決して中共が師父と大法を中傷することを許さず、また邪悪に衆生を台無しにさせるわけにはいかず、これは私の責任であり、私が行なうことは最も正しいことで、私は自信を持つべきであり、全宇宙の神はみな私を加持しており、私にはさらに師父の法身がおられ、無数の護法の神が私を守っている」と思いました。私は自転車に乗ってポスターを貼ってある場所に向かいながら「私は孤独ではなく、私は一人で行くのではない」と考えているうちに、私は怖くなくなっただけでなく、さらに神聖さを感じ「こんなにも多くの神が私と一緒にこのことを行なっているのはすばらしく、神聖なことだ」と思いました。私は順調に中共のポスターを取り除き、さらにその中共のポスターをもともとあった伝統文化のポスターに換えました。その意味するところは警官たちに「この伝統文化のポスターを掲げればいい」ことを伝えることでした。私はさらに警官たちに手紙を書き地域や地区を担当する警察官に渡し、一人一枚ずつ、警官たちに「大法と師父を汚し、人々を毒害する結果」を伝えました。その地区ではずっとその伝統文化のポスターが掲げられ、長い時間取り替えられませんでした。

 このことを思い出し、私はすぐに正念を発しました。私が法輪功の真相を書いた手紙を持って入ると、入り口の警官は例の隊長は不在だと言い「隣の建物で会議中です」と言いました。そこで私は「ここで隊長を待った方がさらに都合がいい」と思い、しばらく待つと隊長が出てきました。私は前方に迎え出て行き「○○隊長、こんにちは!」と言いました。隊長は驚き、私が隊長に会ってけりをつけなければならないと報復しに来たかと思い、隊長は慌てて「あなたはあの日どうして逃げてしまったのですか? あなたの物は私がすべてあなたのために保管しており、そのまま動かしていないので、あなたは2日経ったら取りに来てください、その日は私の宿直ですから」と言いました。私は「わかりました、ありがとうございます! 手紙を書いてきましたので、ご覧ください」と言いました。隊長は「私は読みません」と言いました。私は「手紙を書くのに多くの考えを費やしたのに、読まないのであればどこが正しいのか?」と焦りました。そこで私は一歩前に出て隊長の手を引き、手紙の入ったジップロックの袋を隊長の手の中に入れ「だめです、必ず読んでください! 私の物はどうでもいいのですが、あなたには読んでもらわなければなりません」と言いました。私の態度が毅然としているのを見て、隊長は手紙を受け取りタクシーに乗っていきました。

 そして私が物を受け取りに行った時、隊長と私は古い友人に会ったかのように何のわだかまりもなく、「手紙は読んでいただけましたか?」と聞きました。隊長は「読みました、勉強になりました」と言いました。隊長は私の物を返してくれました。警察が私の家から押収した師父の写真が無傷であることを見て、私は師父の写真を家に持って帰りました。私はまた善を勧める手紙を何枚もコピーして、他の隊長と警官に渡しました。

 3時間余りで公安局を出て行く

 ある時、私はある同修と協力して面と向かって真相を伝えているとき、誰かに通報され、警官3人が来て私を公安局に連行し、私は警官たちに強制的に手錠をかけられ鉄椅子に座らされました。警官たちが何を尋ねても私は答えず、警官を直視しながら「法輪大法はすばらしい」と念じました。リーダーと思われる警官が、私が何も言わないのを見て私の顔をけり私を威圧しようとするかのように「名前は?」と言いました。私はリーダーと思われる警官を直視しながら、心の中で「私はあなたを知っている、私はあなたを恐れない、法輪大法は素晴らしい! 彼の背後にある魔を滅する」と言いました。リーダーと思われる警官は耐えられなくなり、向きを変えて出て行きました。

 しばらくしてまた警官が来て、傲慢そうに、行ったり来たりしながら「話さなければ私たちはどうしようもないと思っているのかもしれないが、今にわかるだろう、私たちのさまざまな部門がお前に聞く」と言いました。この言葉はその警官本人が言ったものではないことを私は知っていました。私はその警官を直視しながら、心の中で「あなたのそのさまざまな部門が何だというのですか、私には宇宙の主が私の主であり、全宇宙の正神が私を支えており、あなたのそのさまざまな部門は大法の師父が小指をひねるのにも耐えられないでしょう! 法輪大法は素晴らしい! 法輪大法は素晴らしい!」と言いました。その警官は私の意念が聞こえて理解できたかのように、背を向けて出て行きました。

 警官たちが私を妨害しに来なくなった時、私は「師父、ここは私が留まる場所ではなく、私は真相を伝えて人を救いに出て行かなければなりません。私に漏れがあれば大法の中で正します。衆生を操った正法に対するこのような犯罪は必要なく、人々が救われるのを妨害することを師父は認めておられず、私も認めず、私は必ず出て行かなければなりません。師父、弟子をお助けください」と申し上げました。

 この時心の中で、あれこれと怖がり、あれこれと心配する、マイナス思考を私はすべて排斥しました。警官の一人が他の警官に「電話して国保に処理してもらおう」と話しているのが聞こえました。その警官はすぐに電話しました。私は「私はどこにも行かず、家に帰り、国保には関わらせない!」と思いました。結局電話の向こう側の国保は「私たちは時間がありません、あなたたちが自分で処理してください、それか10日間拘留してください」と言いました。私はそれを聞いて「私は10日間も拘留されない、あなたには決定できず、私は家に帰る」と思いました。しかし私の心にはまだ「10日間は10日間で、どうということはない」という念がありました。私はすぐにその考えをつかみ「これは私が考えたのではなく、あなたが拘留したいのならどうぞ、私は行きません」と言いました。

 国保が関わらないことをこの2人の警官は聞き、少し失望したかのようで、携帯電話をいじりながら出て行きました。私は「そんなに頑張ることはできず、警官たちに緊急出動してもらわなければならず、警官たちが他のことをして、私を相手にする時間が無くなり、私を解放して家に帰してほしい」と思いました。そこで私は正念を発し、警官たちをとても忙しくさせ、警官たちをみな緊急出動させ、誰も私を見ませんでした。しばらく正念を発し、警官たちが動いていないのを見て「あなた(訳注:邪悪の根源)はここで私を束縛し、あなたは私を外に出さないが、それなら私は徹底的にあなたを排除し、あなたが耐えられないほど削り取り、孫悟空のように、あなたの心臓をかき回そう」と思いました。私の最も強い神通を加持してくださるよう私は師父にお願いし、この場所を囲み、各次元の空間、すべての次元を滅しつくしました。

 私は約30分間正念を発し、体が熱くなってきました。電話がかかってきたのが聞こえ、2人の警官が電話に出た後、すぐに荷物をまとめ、出かけなければならない様子で、一人の警官が私のところに歩いてきて鉄椅子をはずし「行くぞ」と言いました。私は「どこへ行くのですか?」と言いました。警官は「家に帰るんだ!」と言いました。私は警官たちについて外に出て、外に出ると警官たちは本当に私を置き去りにし、急いでパトカーに乗って行ってしまいました。

 このようにして、3時間余りで私は出てきました。

 二十数年の修煉の中で、私が経験した奇跡はこれだけでなく、さらに多くあり、師父が与えてくださったものも、さらに多くありますが、私は多くは話しません。ここで書いた経験を話すだけで大法の威力と超常さを実証することができました。

 (完)

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/5/395396.html)
 
関連文章