明慧法会|村の学法点は20年間平穏に歩む
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文/山東省の大法弟子が口述 同修が整理

 【明慧日本2020年9月4日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は今年(訳注:2019年)80歳になる女性で、法輪大法を修煉してすでに24年が経過しました。風雨の中、師父について修煉して今に至り、幾千の言葉でも師父に対する感謝と尊敬の気持を表すことができません。今(訳注:2019年11月)第16回明慧法会にあたり、自分の修煉上の少しばかりのことを書いて、師父にご報告申し上げるとともに、同修と切磋琢磨いたします。

 私のことが村の話題になった

 私が51歳の年、腰椎間板ヘルニアで神経を圧迫されたために、足が痛くて歩けず、最終的にマヒになりました。息子は私をおぶって大小の病院にくまなく行きましたが、ずっと治らず、私はベッドで横になり、毎日涙にくれていました。

 56歳の年、それは1995年10月で、町に住む妹が夫に頼んで私を妹の家に連れていき、ある功法が病気治療と健康保持に奇跡的な効果があると言い、町に行って法輪功の師父の説法のビデオテープを見せました。妹の夫は、私を家から背負い、抱えて車に乗りましたが、帰ってくる時、私は自分で車から降りて、歩いて家に帰りました。家族は麻痺になって5年になる私を見ており、妹の家でたった10日すごしただけで、自分で歩いて家の中に入ってくるのを見て、驚きました! 私は家族に「私は法輪功を修煉し、法輪功の師父は私の病気を治してくださった」と伝え、簡単に事の経過を話しました。

 家族全員がみな心から偉大な師父に感謝申し上げました! このことは当時村の大きな話題になりました! その時から現在(訳注:2019年11月)まで二十数年間、私は薬を一粒も飲まず、注射も打っていません。

 妹のところに行って師父の説法のビデオテープを拝見したのは、ある同修の家で、同修は2階に住み、私は2階に上がれないのではないかと心配しましたが、妹は「行けますよ」と言い、私も続いて「行こう、私は行ける」と言いました。話し終わったところで、私は立ち上がることができました。その日、妹と妹の夫は私をかついで2階に上がりました。

 翌日、昼間、妹は出勤して家におらず、私は甥っ子にタオルを持ってきてもらい、妹のためにタオルを洗おうと思いましたが、この時突然腰が動かなくなったと感じ、甥っ子は私をソファーまで運びましたが、私は全身がふるいの中の籾殻のように激烈にがたがた震えました。夕方になり、妹が仕事から帰ってきて、私が震えている様子を見て、「怖がらないで」と励ましました。私は「こんな様子ではビデオテープを見に行けなくなるのではないかと恐れている」と言いました。妹は「行けますよ、行こうと思えば行けます」と言いました。私は確固として「わかった、私は行く」と言いました。

 妹が夕食を作っていた時、私は突然人に押さえつけられたかのように感じ、体が震えなくなり、腰も動かせるようになり、私は喜んですぐベッドから降り、妹の前まで歩いて行って「ほら、私は治ったよ」と言いました。妹は驚いて振り返って私を見て感動し、「何という奇跡でしょう、姉さんに修煉を始めたいという心があるのを師父がご覧になり、すぐに姉さんに関わってくださったのです。私たちは師父に感謝申し上げなければなりません!」と言いました。

 夕食を食べ終わり、妹は他の一人とまた私を担いでビデオテープを見に行きました。ビデオテープを見終わって妹の家に戻り、夜に夢うつつの中で、黒い服を着た一人の男性が私の前に来て、私に「あなたは本当に煉功者で、家から二十数キロ離れた場所に修煉を始めに来なさい」と言いました。私はすぐに妹を呼び、妹にこのことを伝えると、妹は「これは師父の法身が姉さんを励ましてくださっているのよ!」と言いました。妹の話を聞き、修煉を始める決心をさらに固めました。

 3日目の夜、ビデオテープを見て帰った後、私は嘔吐し始めました。妹が持ってきた洗面器に嘔吐しましたが、吐いたものはすべて赤褐色の汚物で、一晩中眠れず苦しみました。妹は喜んで「これは師父が姉さんの体を浄化してくださっているのです」と言いました。ビデオテープを見ながら、師父は私の体を浄化してくださいました。毎晩一講見て、九講のビデオテープを見続けたあと、私は完全に健康を回復し、最後の二晩は人の助けもなく、一人で歩いて行きました。

 現在(訳注:2019年11月)当時の情景を思い出すと今でも感動します。このことがもし自分の経験でなかったら、信じられないことだと思います。師父、弟子はただ努力し精進して、師のご恩に報います。

 大法を広め同修のためを考える

 妹の家から戻ってから、私は完全に良くなり、家事もいくらかこなせるようになり、家族全員がみな喜びました。私は師父の救い済度のご恩に感謝してもしきれず、さらに多くの人に大法を学びに来てほしいと思いました。当時私たちの村ではまだ大法を学ぶ者はおらず、私は人と会った時に「法輪功を学ぶことはどんなにすばらしいか、病気治療と健康保持に不思議な効果があり、さらに人の心を優しくする」ことを伝え、法輪功を煉功しに来るようにみんなに勧めました。

 法輪功の真・善・忍の法理は人の道徳を向上させ、体を健康にし、自然に多くの人が修煉に入ってきました。煉功する人数が増えるにしたがって、私たちは煉功場を設立することに決めました。私は村の幹部に会いに行き、私たちの煉功場として、みんなのために空き部屋を探してほしいと頼みました。村の幹部は私の変化を見て、法輪功がどんなに良いか私が紹介するのを聞き、私たちのために家を一軒手配してくれました。私はまた人を集めて家の中の余分な壁を取り除き、自分で手押し車を使ってごみを全部片づけ、部屋をきれいに掃除した後、毎朝同修に煉功に来てもらい、夜は学法に来てもらいました。毎日2回、人が多い時は60~70人で、隣り村の同修も来ました。

 部屋をきれいに保つために、私は毎朝家から水を運び、煉功場に行き、まず水を撒いてから地面を掃き、人が多いので、トイレの便器は毎日流さなければならず、私は自分で運んで便器の中身を捨てました。修煉に入ったばかりの同修が多く、いろいろなことも多く、あれこれ質問し、ある同修は「五式の功法がまだできません」と言い、私はいつも一つ一つ辛抱強く、面倒がらずにみんなに教え、煉功動作を正しました。

 私は一日も学校に行ったことがないため字が読めず、ほとんどの修煉者たちも農村の女性で教養がなく、学法するのは大変でした。私は高校で教えている同修を見つけ、大きな声で『轉法輪』を読んでもらい、私たちは同修が読んだ内容の通りに同じように読んでいきました。これは教養のない同修にとって大きな助けになりました。ある時、町全体の修煉者がみな私の村に来て学法し、切磋琢磨し、みんな自分で弁当を持参しました。学法の最中に、私はみんなが持ってきた昼食を集め、家に持ち帰り、家の大鍋で温め、さらに自分の家の漬物を切り、ごま油で味付けして、みんなが食べられるように熱いご飯の上にのせました。

 しばらく修煉して、修煉者たちの心性はとても速く向上しました。冬に大雪が降ると、私は村の同修たちと村の主要道路をすべてきれいに掃除しました。町役場のリーダーが用事で村に来て、私たちが雪を掃いているのを見て「あなたたちの村にはどうして雪を掃いている人がいるのですか?」と聞きました。私は「私たちは法輪功を修煉しています。法輪功は修煉者によい人になるように要求しており、私たちはみな率先して雪を掃くために出てきました」と言いました。村の幹部も賞賛し「大法を学ぶ人たちは素晴らしい」と言いました。

 さらに多くの人に修煉を始めてもらうために、私はいつも同修たちと一緒に外の村に行って法を伝え、自身の経験から大法のすばらしさを紹介し、市場に行ってわきで煉功し、みんなを集めて師父の説法のビデオテープを見ました。外の村のある同修はその後、嫁いで私たちの村に来て、その同修は修煉を始めた後、体中の病気がすべてよくなり、その同修は実家に帰ってその村で法を伝えたいと言い、同郷の人たちもみな法輪大法のすばらしさを知りました。その村は私たちの村から離れている辺境の町で、距離は30キロほど離れていましたが、私は教養のある同修を探し、3人で一緒に同修の実家の村に行って法を伝え功法を教えました。

 その時学びたい人がいると聞けば、すぐに同修を呼んで大法の本を送り、動作を教えに行きました。法輪大法を広めるためであれば、距離の遠近に関わらず、みんな張り切って行ない、法輪功のことであれば私も積極的に参加し、怠けたことはありませんでした。

 20年間の学法点でともに精進する

 1999年7月、邪悪な江沢民政権が大法を迫害し始め、村の煉功点も破壊されました。当時私たちはみな中国共産党(以下、中共)の狂ったような弾圧にどうしていいかわからなくなり、法輪功はこんなに素晴らしいのに、なぜ修煉してはいけないのかわかりませんでした。混乱のうちに、多くの同修が学んでも学ばなくてもかまわなくなり、ある同修は修煉さえ放棄してしまいました。

 その後明慧ネットができ、ある同修は昔の同修を呼び戻してほしいと私たちに伝え、私はまだ修煉を堅持している同修を探し、みんなで私の家で学法点を設立しました。同修たちは学法し切磋琢磨してみな私の家にやって来て、いつもこの同修が来なくなったかと思うと、あの同修が来るようになり、さらに隣の村からも来て、20年近く中断したことはありませんでした。

 その頃夫はまだ健在でしたが、中共による法輪功に対する残酷な迫害により、一日中びくびくしていました。ある時遠くから同修が来て、食事の時間になり、私はみんなに私の家で食べてもらいました。同修たちはみな「あなたは私たちのために多くのことをしてくれ、忙しいか、忙しくないかに関わらず、同修が来さえすれば、あなたは親切に迎えてくれます」と言いました。私は「大法のためであれば、たとえどんなことでも行ないます」と言いました。

 私は学校に通ったことがなく、字が読めず、学法する方法がなく、心の中で焦り、字が読める同修を探して指導してもらいました。同修が本を読む時、私は一文字一文字手で指しながら一緒に黙読し、ゆっくりと私は『轉法輪』が読めるようになりました。現在(訳注:2019年11月)大法の本を私はすべてすらすらと通読できるようになりました。もし法輪功を学んでいなかったら、私のような高齢者が流ちょうに本を読めるようになるなど、まったく不可能なことでした。偉大な師父が私の知恵を開いてくださったのです。

 2年前、ある同修が顔面神経麻痺にかかったおばを私の家に連れて来て学法し煉功させたいと言いました。私は喜んで同意し歓迎しました。この年配の同修(訳注:同修のおば)は私の家から遠く、バスに15キロ乗って学法に来なければなりませんでした。私とそのおばさんは学法しながら切磋琢磨し、その同修が法に則って向上するよう助けました。このようにして2カ月が経過した後、同修のおばは正常に快復しました。

 隣村のある同修は、村にはグループ学法の環境がなく、私の家の学法点で、同修たちが毎日学法し、切磋琢磨しているのを見て、とてもうらやましくなり、私の家に来て学法したいということなので、私も歓迎しました。この同修は法を読むのが流ちょうでなく、ふりがなを振り、誤字脱字が多かったのですが、みんな辛抱強く指摘して切磋琢磨し、その同修の心性の向上を助けました。現在(訳注:2019年11月)この同修は法を読むのがとても熟練し、心性もとても向上しました。

 昨年(訳注:2018年)、私の村のある同修が旧勢力の妨害を受けたために、突然私に「学法に来たくありません」と言いました。私はその同修に「学法を中断してはいけません」と必死に説得しましたが、その同修は聞きいれませんでした。私はその同修に大法弟子が作った歌を歌いました。私たちは学法の後にいつも一緒に歌うので、とても幸せでうれしく感じました。しかし今回その同修は耳をふさいで聞きませんでした。その同修がこのようになっているのを見て、私は思わず涙がこぼれ、涙は泉のように流れ止まりませんでした。私が涙を流しているのを見て、その同修も涙を流しました。私たちは一緒に抱き合い、涙が流れるに任せました。私の慈悲の心がその同修を感動させたのかもしれませんが、旧勢力の妨害を解体すると、その同修は「やはり学法に来ます」と承知しました。その日から、私たちは毎日一緒に学法し、一緒に市場に行って法輪功を紹介する資料を配り、真相を伝え「三退」を勧め、ずっと今日(訳注:2019年11月)まで続けています。

 同修たちはみな、私の家の学法点が本当に良い、私の家に学法に来ると心が静かになりとても楽しい、と言いました。師父は「われわれの煉功場は他のいかなる功法の練功場よりも素晴らしく、われわれの場は、そこへ行って煉功さえすれば、病気治療よりずっと効き目があります。わたしの法身がまわりを囲んで坐り、煉功場の上空には覆いがあり、その上に大きな法輪があって、『大法身』が覆いの上から煉功場を見守っています。その場は、並大抵の場ではなく、普通の練功の場とは違い、修煉の場なのです。功能を持つ多くの人はみな、赤い光に包まれて、一面真っ赤になっている法輪大法のこの場を見たことがあります」[1]と説かれました。

 私たちのこの学法点は平穏に20年近く歩むことができ、すべては師父の慈悲深いご加護のおかげでした。

 師父が要求されることをしっかり行なう

 1999年「7.20」中共が法輪功への弾圧を始めた後、大法の真相を人々に理解してもらうため、私たちはいつも迫害の実態を書いたシールを貼りに出かけました。ある晩シールを貼りに行き、私は大通りの両側に沿って街灯の支柱に貼り付けました。パトロール中の警官が貼ったばかりの資料に気づき、パトカーを運転して行ったり来たりして探し、私はあわててヒイラギの緑の茂みの後ろに隠れました。そしてパトカーがちょうど私の目の前で止まりました。私は息を止めて動きませんでした。私は心の中で「中共に私は見えない」という一念を発し、結局警察はその場所でうろうろしていましたが私の姿は見えませんでした。警官の一人がさらに「どこに行ったのかな? ここにはいない、行こう」と言いました。警官たちが行った後、私はほっとして、再び別の場所へ行って残ったシールを貼り終え、無事に家に戻りました。

 中共の狂ったような迫害の最中に、地元の数人の同修が連行され、私たちの学法グループは全体リレーで発正念をして同修を救いました。夜に学法を終えたあと、同修たちに私の家に住むように提案し、私たちは毎正時の発正念をしました。私は一晩中目を閉じず、正時ごとに同修たちを起こして一緒に発正念し、一晩私たちは強大な正念を発し、大法弟子を迫害する他の空間の邪悪要素と生命をなくし、同修の確固たる信念を加持し、迫害を解体し、無事に家に帰ることができました。

 私たちのこの場所は市場から離れておらず、私は市場が開かれるたびにいつも同修と一緒に市場に行って法輪功を紹介する資料を配り、迫害の実態を伝え「三退」を勧め、20年近く続けてきました。

 昨年(訳注:2018年)11月、親せきのおじの妻が重傷の肝臓病で入院し、私はそのことを知った後、見舞いに行っておじの家族全員に「『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』と念じれば、病人は必ず良くなる」と伝えたいと思いました。おじは退役軍人で、中共の毒害を比較的深く受け、さらに中共による法輪功に対する一方的な誹謗中傷を信じており、以前おじに真相を伝えると、おじはとても嫌がり、聞きもしなければ三退もしませんでした。その日息子が家に帰り私を連れて町の病院におじの妻を見舞いに行き、家を出た時から私は「おじ夫婦が大法の真相を受け入れることを妨害し邪魔をするすべての邪悪要素を徹底的に解体します、師父、ご加持をお願いいたします!」と正念を発しました。

 道中で正念を発しながら病院に着きました。病院についてみると、多くの親戚がみなおり、病状を聞いて、重篤であることを知り、病人(訳注:おじの妻)の負担にならないようにお腹から肝臓の膿を抜き出し、病人はすでに死に瀕していました。私は再びしばらく正念を発し、おじに向かって「少しお話したいことがあります。今日は私を止めないでください。おばさんに『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』と念じさせれば病気は好転し、ゆっくりとよくなりますので、みなさんも一緒に念じてください」と言いました。私の息子も、「おじさん、これは本当にすごくて、私の母は何年も半身不随になり、どれだけ医者に診せても、どれだけ薬を飲んでも、まったく役に立たなかったのに、煉功してからよくなり、今まで体は元気で、二十数年間薬を一粒も飲んでいません」と言いました。おじは息子の話を聞いた後すぐに「わかった、私たちも念じよう」と言いました。

 その後奇跡が起こり、おじの妻の病気は完全に良くなり、退院しました。おじの妻は病院をもともともうあきらめていた病人だったのです! 1カ月ほど後、おじが旧正月のために帰宅し、おじの妻も帰ってきました。おじの妻を見て私は「大丈夫ですか?」と言いました。おじの妻は喜んで「大丈夫です、あなたが私に教えてくれた後、私は毎日念じています。主人も念じています。今は完全に良くなり、法輪功は本当にすばらしいです!」と言いました。

 中共が大法徒を迫害して20年になりました。風雨の中、師父が航路を導いてくださり、私たちはそれでやっと方向を見失わず、師父が保護してくださり、やっと歩んでこられ、師父について家に帰る道がどんどん近づいてきました!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/5/395391.html)
 
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