「病の関」を乗り越えた奇跡の体験
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2020年9月4日】私は1997年に大法を得ました。修煉の道を辿(たど)りながら23年の歳月を経て、やっと今日まで歩んできました。その一歩一歩は師父の慈愛に満ちた庇護なしでは、ここまで辿りつけませんでした。

 2019年の夏、煉功点で再び大法に戻って来た人と出会いました。彼女は私を抱きしめて大泣きしました。私は知っています。彼女はきっとこんなにも長年の間、貴重な時間を無駄にしてしまったことを大変後悔していました。私は涙が出ませんでしたが、目が潤んでいました。迫害が始まったばかりの頃、2人は北京へ陳情に行きました。当時、邪悪の迫害があまりにも酷い状況であったため、北京から帰ると、彼女の家庭の事情により学法することや着実に修めることを緩め、最後には大法の修煉をやめてしまいました。その後、彼女はひどい病気にかかって、退院してからようやく大法修煉に戻りました。私は「バカね、泣かないで、これからしっかり修煉すればいいのよ」と言って慰めました。それらの言葉が出てくるとすぐに情というものを感じました。しかし、私は内に向かって探すこともなく、その情を取り除くことも出来なかったのです。

 学法が終わって家に帰ると、左足に何かが付いているように感じ、綿を踏んでいるようなしびれと重さを感じ、左足が脳でコントロールできない状態になりました。 そこで家に帰ってから正念を発してみたのですが、効果はあまりはっきりしませんでした。しかも、続いて左腕にも左足と同じ症状が現れてきました。私はすぐ察知しました。「これは病気ではなく、すべてが偽の現象だ」と考えました。その後、その悪いものに向けて、「お前がどんなものであれ必要としない。お前は私の所にいてはいけない。ここはお前の居場所ではない。私のすべては師父が按排してくださっており、私は師父の按排された道しか歩まない。他の生命や物質的な要因は私に干渉することはできない」と言いました。それと同時に私は内に向かって探しました。修煉者への情、子供への情、これらは修煉者が取り除くべきものです。情があれば色も生じるので、ミクロの所から情と欲を取り除かなければなりません。情の魔や色魔を滅し尽くしていけば、最後には慈悲だけが存在するのです。

 師父は「経は其の心を修し 功は其の身を煉す」 [1] と説かれています。私は明慧ネットで同じ状態になったある同修が「神通加持法」を煉って、病の関を乗り越えたという奇跡的な体験を思い出しました。そこで私も「どうやって煉ればいいのだろうか」と思っていました。師父の法身が「九九帰真」(訳注:9回の動作を9通り行なえば圓満成就できると筆者は理解した) という言葉を、私の頭の中にインプットされました。そこで私は毎日1時間半弱かかって「貫通両極法」を9回煉りました。功法を煉る時、私は雑念がなく集中できました。72回目の時に、左腕から何かが飛んでいくような感覚があり、悪いものが取り除かれたことを知り、私の病の関(厳密に言えば、心性の関)を乗り越えたと思いました。 数日後、左足と左腕が徐々に正常に戻りました。

 病の関を乗り越えられたことや悪いものを取り除いてくださったのは、偉大な師父のおかげです。弟子として出来ることは、さらに精進することで師のご恩に報いたいと思います。この最後の貴重な時間に、私は学法すること、自分を修めること、三つのことをしっかりと行うこと、師を助けて法を正すこと、衆生を救うことなど全てをしっかり行ない、師について真の家に帰ります!

 次元が限られていますので、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「同化」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/8/31/411157.html)
 
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