法に照らし修煉することこそ、最も安全である
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年11月23日】最近、明慧ネットで山東省での迫害状況が深刻になっているのを見て、私たち学法チームも法に照らし、この問題について交流したところ、どうすれば邪悪による迫害を減らすことができるのか、いくつかの悟りがありました。

 一、衆生を救う基点を正す

 師父は「法を正す時期の大法弟子にとって、個人の解脱は修煉の目的ではありません。衆生を救い済度することこそ、皆さんがやって来た時の大きな願いであり、法が正される中で歴史が皆さんに賦与した責任と使命です。ですから、大量の衆生は皆さんが救い済度する対象になります。大法弟子は法が正される中で賦与された偉大な責任を台無しにしないでください。更に、救い済度される衆生を失望させないでください」[1]と説かれました。

 この偉大かつ神聖な使命を果たすべく、同修たちは皆、時間を作ってでも衆生を救うことに励んでいるでしょう。しかし、中には適当に済ませている同修や、さまざまな人心を抱えて真相を伝える同修もいて、大小さまざまな難に遭ったり、迫害される同修もいます。皆衆生を救っているのに、どうして個人に異なる状況が起こるのでしょうか?  衆生を救う基点を正すべきなのでしょうか?

 師父は「真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。肝心なのは、何かをするときの心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです」[2]と説かれました。

 同地区に住む同修Aさんは、真相を伝えている最中、法輪功を理解されない人に通報されて、不当に逮捕されてしまいました。Aさんが釈放された後、同修たちと交流したところ、真相伝えに対し、適当に済まそうという考えがあったから、今回のことに遭ったと彼女は悟りました。後に、Aさんは学法を通じ、衆生を救う基点を正さなければならないことに気づいたのです。

 二、思惟を変え、正念をもって行う

 師父は「もし大法弟子が皆正念を持ち、正しく行うことができ、いかなる情況下でも正念で物事を考え、すべての弟子が迫害の前で恐れる心が生じなければ、誰があなたを迫害し得るのでしょうか! 完全に法に則っている人を誰もが動かすことができません。これで自分を守る能力を備えたことになるのではありませんか?」[3]と説かれました。

 私たちが何かをするとき、個人の修煉状態は非常に重要です。師父が説かれた法理は皆知っていますが、実際何かを行うとき、自分の心は周りの環境に影響されやすくなるのです。例えば、パトカーのサイレンの音を聞くと、何か悪いことでも起こるのではないかと恐れたり、誰かが酷い迫害を受けているのを聞いて、あれこれよくないことを考えたりなどと動揺し始めるのです。

 師父は「困難を大きく見れば見るほど、問題が難しくなり、相は心から生じるのですから、問題はますます厄介になります。相は心から生じるという言葉にこの意味もあります。なぜなら、あなたはそのことを重く見ており、自分を見下したからです。それをたいしたことではないと思い、人を救うという大きなことなので、行なうべきことをして、心を落ち着かせ、気に障ること、気に入らないことにぶつかったり、聞いたりしても気にせずに、正々堂々と行なうべきことを行なえば良いのです。邪なものに妨害されず、それに動かされなければ、良くない要素は自分のところから生じることはなく、邪悪は微々たるものになり、皆さんは大きくなり、正念が強くなるのです。本当にいつもこの情況です」[4]と説かれました。

 私たちの正念が足りなければ、悪い要素が生じてしまいます。ですから常に強い正念を保つことが重要です。

 三、円融かつ隙のない全体を形成する

 師父は「大法弟子は一つの全体として、法を実証する中で協調することができれば、法力が非常に大きくなります。皆さんが集団で何かをするにしても、自分一人で何かをするにしても、皆さんは同じことを行っています。これが一つの全体ということです。皆真相を伝えており、正念を発し、法を勉強しているため、具体的な仕事が違っても、担当は秩序良く分担されています。集まれば形になりますが、散ってしまえば粒になります」[5]と説かれました。

 全体の協力が必要な時に、法理に基づいて力を発揮できなければ、全体の力が弱まり、旧勢力に隙を突かれてしまいます。

 ある学法チームでは、同修たちがお互いを見下したり、不足している部分を言われたくなかったり、お互いに嫌ったり、排斥したり、相手の足を引っ張ったり、極端に走ったりなどのことがよくあったため、いつもは学法するだけで、全く交流はしませんでした。他人が交流し始めると、すぐに不服を感じたり、法理に基づいて交流している同修を排斥したりしていますが、常人の話には興味津々で話したがります。このような状況が改善されず、その結果、警官に尾行されたり、家宅捜索をされたりなど、様々な損失をもたらし、他の同修にも影響を与えました。

 四、旧宇宙の理を捨て、法理に基づいて修煉する

 師父は「今まで修煉者にとって、修煉することはとても難しかったのです。多くの修煉したい人は苦を舐める、苦に耐えながら修煉するという方法を考えました。苦に耐えながら修煉することは確かに業力を滅することができます。それが修煉だから、向上することもできますが、頑張ってもその次元も限られており、多くの場合は三界から出ませんでした。なぜならば、彼らの修煉を指導する法はなく、各次元での法の基準と要求を知らなかったからです」[6]と説かれました。

 私たち大法弟子はいつまでも苦や難関の中で修煉しているわけではありません。私たちは旧勢力の按配を認めず、迫害を否定しながら自分の修煉の道を歩んでいるのです。

 師父は「また、座談会の形で、互いに交流したり、体験談を話したりしてもよいのです。このようにすることは望ましいことです」[7]と私たちに要求されました。

 私たちは師父の要求通りに円融かつ隙のない全体を形成し、お互い切磋琢磨しながら、師父が按配された道だけを進むのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「人心を放下し、世の人々を救い済度する」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ボストン法会での説法」
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
 [5] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [6] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇三年カナダバンクーバー法会での説法」
 [7] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/30/412808.html)
 
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