執着に惑わされるか、心を澄ますか
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2021年4月29日】法輪大法が初めて世間に紹介された1992年から29年が経過しました。私たちの多くは何年も修煉していますが、法理をどれだけ理解しているでしょうか? 人間の観念や執着、欲望をどれだけ取り除いてきたでしょうか? 私たちは自分の観念を使って出会った人々や物事にどれだけの定義を与えたのでしょうか?

 師父は「慈悲は天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」[1]と説かれました。師父の説かれたことをすべて実行するのは簡単ではありませんし、毎回実行するのはもっと難しいのです。成し遂げられる状態になっている時は、法理に沿っていて、心が澄んでいると言うことです。執着に導かれているときは、執着に目がくらみ、人間の観念や業力、執着が支配している状態です。

 最近発表された記事によると、ある子供弟子が天目でいくつかのことを見たそうです。多くの修煉者は予言を読むのが好きで、子供弟子が言ったことに心を動かされてしまいました。いくつかの議論の後、何人かの修煉者は、自分の心を動かされたことに気づき、自分の執着を確認し、これを修煉の良い機会としました。自分の執着を手放し、自分を向上させていました。

 ある修煉者は、法の基準ですべてを測り、安定した心を保つことができました。また、他の修煉者が自分と意見が合わないと感情的になり、その修煉者の修煉状態にまで口を出す人もいました。

 私は、これは自分の内に向かって探し、修煉する良い機会だと思い、師父の説法を復習しました。

 師父は「あなたは誰かと衝突した場合、必ず自分を省みて自分を探すべきです。このようにすれば、あなたは解決されないその問題の原因を見つけることができます」[2]

 師父は「慈悲をもって全ての人に対処すべきであり、いかなる問題に遭遇しても自分の原因を探すべきです。人に罵られ殴られたとしても、自分を探し、自分のどこかが間違ったから引き起こされたのではないかとみるべきです。これはトラブルの根本的な原因を見付けることができ、私心のため自我のためという執着を取り除く最も良い方法でもあります。個人修煉の中でのあなたの敵を含む全ての人を許すまで心を広くすべきです。なぜなら、あなたが言っている敵は人間が判断している敵であり、利益のために人間が判断したものであり、神の行為ではありません。ですから、要求もかなり厳しいのです。神が人間を敵とすることはあり得るでしょうか?」[3]

 師父は「ですから、いざこざが起こった時に、各自は内に向けて自分の原因を探さなければなりません」[4]「このことはあなたに責任があるかどうかに関わりません。私の言った話をしっかり覚えてください。あなたに責任があるかどうかに関わらず、あなたは自分を探してください。必ず問題が見つかります」[4]

 師父は「いかなるトラブルと出来事が現れても、皆さんに教えたことがありますが、トラブルの当事者双方が自分の原因を探す以外、第三者まで自分を考えなければなりません。なぜ自分はこのことに出くわしたのでしょうか? ましてやトラブルの当事者の一人であり、なぜ自分を修めないのでしょうか?」[5]

 師父の説法を読み、何人かの修煉者の修煉の様子を見ているうちに、私も以前は同じような考え方をしていたことを思い出しました。自分の基準や理解に合わない人に出会ったとき、それは自分の修煉状態に限ったことであり、その人に対する寛容さや思いやりは殆どありませんでした。

 後で気付いたのですが、私は感情に支配されていました。私は、自分の意見に反対する人に対して、非常に限られた許容範囲しか持たず、気にも留めませんでした。法を正すことについて見たものは、ある程度のものを見たかもしれませんが、本当のところは分かりません。特定の事柄がすでに変化しているかもしれませんし、これから起こることのごく一部を見ただけかもしれません。その修煉者が見たものを正しく解釈したかどうか、全体を見たかどうかの保証はありません。

 今回、私は自分が感情的に反応しているのか、それとも古い理解に従っているのか、内に向かって探してみました。自分の考え方をどのように分析しても、結果は同じでした。つまり、何か衝突があったときには、自分の内面を見つめることで、改善すべき点を見つけることができるのです。私は、忍耐強く、優しく、影響を受けないようにしなければなりません。問題に直面したら、内に向かって探し、法に基づいて自分を修めるべきです。師父の法は皆の状況を説かれているので、それを読んで自分に適用する必要があります。本当に修煉すれば、向上していくことになるのです。

 師父は「宇宙に相生相克の理が作用しているからです。誰であっても一念を動かせば異なるプラスとマイナスの要素が生じます。善の念を動かせば、悪の要素が生じ、悪の念を動かしても作用があります。ですから、多くの修煉者は『一念で善悪が生じる』と言っています。しかし、誰がこの話の本当の道理を知っているのでしょうか?」[6]

 以上は、現在の私の修煉において理解したものですが、自分にも言い聞かせています。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法は乾坤を正す」
 [2] 李洪志師父の著作:『北米第一回法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『ヨーロッパ法会での説法』
 [5] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」
 [6] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年カナダバンクーバー法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/2/421522.html)
 
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