青年弟子: 絶え間ない修煉の中で人生を正す(二)
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文/海外の大法弟子 

 【明慧日本2021年12月24日】(前文に続く) 

 二、情から抜け出して正道を悟る

 旧勢力が無理に押し付けてきた按排により、私は名声や富に対してあまり欲求がありませんでしたが、早く家庭を築き良妻賢母になりたいという渇望がありました。この考えの背後には、安定を求める心、相手に風雨から守ってほしいと期待する心理があったことを、後になって気がつきました。

 大学時代に彼氏ができて以降、私の「キャリア志向」は薄れて、何でも彼に決めてもらえば、考える手間が省けると思いました。実は、深く掘り下げていけば、それは怠惰や臆病であり、現実世界の風雨に直面したくなく、縮こまる志向でした。卒業後、彼と同じ都市にいられるように、私は良い仕事のチャンスを諦めました。しかし、結婚の話が出てきた矢先、突然、彼は私に大法と彼との間で選択を迫り、彼の家族の前では絶対に大法の話をせず、法輪功の資料を配布するための外出もしないでほしいと言い出しました。理由は、彼の家族は文化大革命で迫害を受けた経験があり、二度とそのような危険な目に遭わせるわけにはいかないというのです。

 伝統観念による教育の影響で、恋愛の初めから、私はそれが一生にかかわる問題だと考えて、彼を軸にして自分の人生設計をしていました。突然、2人の関係を考え直したいと彼に言われて、私は世界が崩壊したように感じる一方、常に自分を厳しく律していた訳ではなかったものの、大法から離れると考えるだけで、命が剥ぎ取られたかのように辛く感じました。沈黙したままの私を見て、彼は別れを決意しました。

 その後しばらく、私の魂は抜け殻のようになり、心臓が粉々にされたかのような痛みを刻々と感じて、「自殺しよう」という外部の信息による妨害さえ受けていました。幸い、そのようなよくない考えが頭をよぎる度に、『轉法輪』の「殺生してはいけない」[6]の言葉も同時に頭に浮かんできて、その行の文字が守護天使のように私を守っていました。本当に慈悲なる師父に感謝いたします。

 毎日表情がうつろで説得にも耳を貸そうとしない私を見て、ある夜、母は『轉法輪』を取り出して私に渡しながらこう言いました。「あなたの心の悩みを解決できるのは、おそらく大法だけでしょう。世間のあれこれはどれも夢のようなものではないですか? 夢から目が覚めた今、新しい人生を歩み始めるべきで、いつまでも同じ場所に留まっていて起き上がらないわけにはいかないでしょう」

 私は昔から痛みをとても恐れていて、結跏趺坐をやり通したことがありませんでした。その夜、結跏趺坐で座り、足から激痛が伝わってきた瞬間に心の痛みは却って和らいだと感じた私は、結跏趺坐のまま両手で『轉法輪』を持ち、一文字一文字読み始めました。その時、心身両面の激痛が後天的に形成された人間の観念や考えを圧倒して、私の脳裏には「法を読もう。法を読もう」と言う考えしかありませんでした。どれくらい読んだか分かりませんが、突然、「修煉」の二文字が目の前に飛び出してきたと同時に、私の頭の中に一層一層の金色の光が花が咲くように噴き出てきました。その時の感覚と言えば、まさに師父がおっしゃっている「それはあなたの心の底に埋もれているもので、電気のプラグのように、繋がればすぐ電気が通ります」[7]のようなものでした。そして、これは私が初めて『轉法輪』を手にしてから12年後のことでした。

 師父は「修煉は必ず心から積極的にしなければならないもので、本当に利益の前で、名と情の心がえぐられる痛みの中で放下できるようになるべきです」[8]とおっしゃっておられます。心がえぐられるような経験をした後、私は初めて大法弟子とは何かを真に理解し、耐えていた苦しみもすべて良いものになりました。そして、人がどこから何のためにここに来ているのか、人生は何のためにあるのかなど、これまで漠然としていた多くのことを一気に理解できました。その瞬間は換骨奪胎と表現しても過言ではなく、本当に人生観、世界観が一変したのでした。

 三、法を師とし、人生を正していく

 その時から、私は真に心の底から修煉を理解し始めましたが、目の前の現実生活は混乱していました。卒業した大学が無名で専攻も人気のない分野であるため、就職は容易ではありませんでした。さらに、彼氏のために良い就職先を諦めたこともあり、当時の私は窮屈な生活を送っていました。会社での私の職位は「甘い汁を吸える」部類でしたが、私は「真・善・忍」の法理に従って自分を律し、職位を利用して利益を得るようなことは一切しませんでした。その結果、仕事はたくさんしたものの、基本給しかもらえず、アパートを借りるのもやっとのことでした。多くの同僚や友人からは「バカだ」と笑われ、親戚からは「大法に邪魔された」とまで言われて、大学入試で失敗したことや、人脈を作るための賄賂渡しを知らず、死に物狂いで仕事を頑張っても稼げなかったことを「石頭」に帰し、私が堅持しているそれらの道徳基準は可笑しいと言われていました。

 その頃、学法に励んでいたおかげで、私は表面的な失意に陥るのではなく、心の中で師父にこう問いかけていました。「どうすれば大法を実証できるでしょうか? どうすれば私が堅持している『真・善・忍』が人生で最も価値あるものだと人々に示すことができるでしょうか?」。この一念が利他的な基点によるからなのか、その後、予想もしなかった転機が訪れました。長い間連絡していなかった同級生が突然、留学の申請書を私に送って「チャレンジして」と勧めました。当時の私には、留学できる条件がまったく揃っておらず、高い授業料と生活費を払えないだけでなく、大学の知名度がなく、専攻科目の成績も芳しくなく、外国語もろくに話せない私は、何年も前から留学準備をしていた申請者たちにとても敵うものではありませんでした。しかし、せっかくチャンスが来たので、失敗しても駄目もとで失うものもないと思った私は、チャレンジすることにしました。

 そこで、仕事をしながら私は書類提出の準備をしました。私は自分のすべての情報を正直に記入し、「成績を見栄えの良いものに変えよう」という他人の「アドバイス」に従わず、その過程で多くの執着心を取り除くことができました。結果的に、私は無事に海外の某大学の大学院に採用され、学費もそれほど高くありませんでした。本当に奇跡のようでした。私がほどなく留学に行くと知った親戚や友人たちはすぐに態度が変わり、大法の真相にも耳を傾けるようになりました。

 (続く

 注:
 [6] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [7] 李洪志師父の経文:『カナダ法会での説法』
 [8] 李洪志師父の経文:『各地での説法十一』「二◯一◯年ニューヨーク法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/12/10/434557.html)
 
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