思考方式を変えて 心性を高める
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2022年4月15日】あるとき、同修の家に行くと餃子を作っていたので、餃子の皮の生地を伸ばすのを手伝いました。 しばらく伸ばしていると、「ほら、伸ばしている皮の生地を見てごらん、どれも丸くないし、厚さも不揃いだよ」と同修に言われました。 私は「餃子は人が食べるものであって、人が見るものではないのに、なぜそんなに真剣なの」と反論しました。 「おせっかいなんだから」と言い、 また生地を伸ばし続けました。

 しばらく伸ばしていると、「こんなひどい生地は初めてだ、この皮で包めば包むほど気分が悪くなる」と同修は怒り始めました。 そして、「これは、私が修めなければならない執着心があるからかもしれない」と言い、彼女は内に向けて探し始めました。 その時、私は「自分は何かが間違っている、自分にも取り除かなければならない執着心がある」と気づいたのですが、深く掘り下げませんでした。

 夜、あんまんを包んでいる夢を見たのですが、炊いてある豆の中に煮え切らない豆や硬い豆がたくさん入っていました。 そして、自分の人心がとても重いことに気づき、内に向けてよく探すべきだと思いました。

 私は自分の一思一念をチェックして、これはどんな心を取り除かなければならないのだろうかと考え始めました。 なぜ、同修から間違いを指摘されても、弁解したり、反論したり、耳を傾けなかったのでしょうか。 問題に遭遇したときの自分の考え方は常人の考え方であって、修煉者として内に向けて探しているわけではないことがわかりました。 問題にぶつかると、まず原因を外部に求めるという常人の考え方で、自分を正当化し、責任逃れをする思考構造を形成し、失敗を繰り返してしまう結果をもたらしたのです。

 なぜ正当化しようとするのでしょうか?  私は常人の考え方を改め、内に向けて自分を探し始めたのです。 自分の心性を修めるよりも、世間体を気にする心、外見にこだわるからこそ、正当化しようと考えるのです。正当化すればするほど、常人の心は重くなります。 言い争えば言い争うほど心は重くなり、言い争う過程で闘争心、嫉妬心があらわになり、恨みの心が生まれ、それがまた不平不満の心へとつながっていくのです。

 私が伸ばした皮の生地がどれも丸くならないのはなぜでしょうか?  三つのことがうまくできていなかったからです。 学法の量は少なく、清浄心を保てない、煉功も三日坊主です。しかも、座禅する時に未だに片足しか上げられません。正念も発したり、発さなかったりします。特に夜中十二時の発症念の時に寝坊して発正念を疎かにしました。真相を伝えるときにも人心を帯びていました。私はこの三つのことを実行していますが、どれも師父が要求された基準には達していません。これは自分をごまかしています。

 私は20年以上修煉しているにもかかわらず、なぜ自分の修煉はこんなに出来が悪いのかというと、問題にぶつかったとき、いつもこのように外因を見ていました。他人の欠点を探して、ただ他人が間違っているのだと思い、自分自身の人心がどれ程、重いことに気付いていませんでした。 どうすれば自分を高められるのでしょうか?  大法弟子として大法のことをしっかり実行していなければ、自分を良く修めていかなければいけません。多くの人心を帯びているのに、真相を伝えるときにどうして衆生の心を感動させることができるのでしょうか。 発正念をしても、どうして邪悪を壊滅させることができるのでしょうか? 人心を取り除かなければ、どうして円満成就ができるのでしょうか?

 今後は、師父の話をよく聞き、問題にぶつかったら内に向かって探し、この考え方で自分を考え、自分を探す思考構造を形成させ、自分を修めて、自分を正す思考と行動する結果を出し、すべての執着を修めて取り除き、円満成就して師父について帰りたいと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/4/5/440918.html)
 
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