肺がんが治った 九死に一生を得る(四)
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ーー法輪大法の病気治療と健康維持の奇跡的効果

文/中国の大法弟子 

 【明慧ネット2022年8月8日】肺がんは、中国でも世界でも、発症率・死亡率ともにナンバーワンの悪性腫瘍です。世界保健機関(WHO)の国際がん研究機関(IARC)が発表した「世界のがん疾病負荷(2020年)」によると、2020年に世界で新たに診断されたがん患者は1,929万人で、そのうち中国は457万人と23.7%を占め、新規がん患者数、がん死亡数のいずれも1位となりました。

 がんは未だ現代医学では克服しがたい問題です。しかし、法輪功の修煉によって多くの人が急速に回復しています。

 (前文につづく

 九、元国営企業の中堅技術者 大法を修め、がんの病魔から脱却

'图6:赵云红说:“感恩李洪志师父的话说不尽。”'

 趙雲紅さん

 カナダの都市バンクーバーに住む法輪功学習者の趙雲紅さんは、もともと中国の大企業の中堅技術者でした。1997年に法輪功の修煉を始めた時、全身に病気がありました。彼女の身体のことを、まるであちこちガタガタと音がするけれど、ベルの音だけが鳴らない自転車のようだと冗談を言う人もいたそうです。例えば、リューマチや肝中毒症、高血圧、冠状動脈心臓病などを患っていましたが、これらはまだ大したことではなく、最も重いのは肺がんでした。手術後の経過も悪く、普通に会社に通う事も難しくなったため、45歳になる前に早期退職しました。

 会社側も中堅技術者として彼女の離職を惜しく思い、本当に通勤が無理なら在宅勤務でもよいと言いましたが、彼女は断りました。その後、法輪功は病気治療と健康効果にとても良いと聞き、人づてに『転法輪』を入手すると、趙雲紅さんは徹夜で一気に読み終えました。

 彼女によると、宇宙と人の修煉の道理をこのように透徹して説明している本を読んだのは始めてだったそうです。修煉を始めた趙雲紅さんは、完全にがんの病魔から抜け出しただけでなく、無病状態になって身体が軽くなったのを感じました。そして李洪志師父が本の中で述べられているような多くの神秘的な現象を自ら体験しました。

 師父への感謝に触れると彼女は目を赤くして、「師父に感謝を申し上げる言葉は尽きません。私は心の底から師父に感謝しています」と言いました。

 十、不治の病に罹った父親が大法を修煉し、病気が治り生き返った

 姜国波さん(中国共産党(以下、中共)による法輪功への迫害で、彼は不当に労働教養を2度受け、刑期5年の判決を受けた。中共の77種の刑罰で拷問を受け、看守所や労働教養所、刑務所で39回生死をさまよう苦しい目に遭いました...2021年4月29日、冤罪が晴れないままこの世を去りました)。1963年3月出生、山東省威海市在住、原濰坊市の政法委員会(治安・司法などを統括する機関)の委員でした。

 姜国波さんは31歳の時、末期の肝硬変や肺癌一歩手前の肺病などの疾病を患いました。数多くの名医を訪ね、数知れない苦い薬を飲みましたが、何の効果もありませんでした。そしてとうとう、かけていた布団の白い裏地が黄色く人型に染まっていることに気づきました。彼は、肝疾患が非常に深刻で人生の終わりが「もうすぐ」であることを知っていました。それからの彼は魂が失われたかのように、いつも眠れず、蛇に咬まれるような苦しみと恐怖に苛まれ、頭の中ではしょっちゅう自分の死後のことを考えてばかりでした。それは、忘れようにも忘れられません...

 そして1995年6月初め、姜国波さんは法輪大法の修煉を始めました。大法の修煉を始めて3カ月も経たないうちに、肝硬変や腎炎など十数種類の病気がいつの間にかなくなりました。彼は興奮して矢も楯もたまらず実家に戻り、この神秘的な佛家の功法を故郷の身内に伝えました。

 そして姜国波さんの父親が1995年7月法輪功の修煉を始めると、思いがけず奇跡が現れました。当時彼の父親はすでに肺がんの末期であり、臨終間際でした。ご飯もほとんど食べられず、ただ絶望の苦しみの中で終焉を待っていました。家族はなす術もなく悲痛な思いで、父親の死に装束の準備をしていました。

 姜国波さんの父親は法輪功の修煉を始めると、意外なことに生き返りました。同年10月の休暇の時、姜国波さんが実家に戻ると、父親がベッドから下りて作物の収穫に行っていたのに驚かされました。さらに姜国波さんの母親は昔「病気がちな人」として知れ渡っていましたが、法輪功の修煉を始めてから、若い人のように畑仕事ができるようになりました。

 姜国波さんいわく、「私と両親の身に起きた奇跡は、現代科学の角度からは確かに説明できません。しかし、これは生々しい真実であって、いかなる人であっても否定できない客観的な事実なのです! 法輪大法が超常の科学であることを証明するのに、これではまだ不十分でしょうか⁉

 十一、肺がんを患い窮地に陥るが、大法を修煉後1カ月で治る

 2004年8月、吉林省舒蘭市の王亜琴さんは長春でアルバイトをしていた時、身体の調子が悪くなりました。病院に行って薬を処方してもらっても、具合が良くならなかったばかりか、悪化してしまいました。医者の勧めでレントゲン写真を撮ってみると、肺の上部に3.5x3.5㎝の腫瘍が発見されました。王亜琴さんは、藁にもすがる思いで他の病院を3カ所回って診断してもらいました。しかし、結果は同じでした。

 当時、王亜琴さんは中日連合化工病院で5回の化学療法を行うため、家を売り、借りたお金も使い果たし、最後に手元に残った全財産は1,300元だけでした。王亜琴さんは、苦しみの中で死にかけました。がん細胞が転移し、未分化の小細胞がんなので治療はここまでだと医者に宣告された時には、頼れる人もお金も失っていました。

 王亜琴さんは治療をあきらめ、農村に住む姉の家へ戻りました。万策尽きた彼女は隣人から法輪大法の神秘的な効果を聞き、大法の修煉に入ることに決めました。一週間もしないうちに、王亜琴さんの身体に奇跡的な変化が現れました。彼女は歩けるようになり、介助が要らなくなりました。1カ月が経過すると、がんの症状は劇的に改善しました。村の人はみな法輪大法の奇跡を目の当たりにしたのです!

 このように、現代医学では治療の方法がないと診断された人が、法輪大法で再び生まれ変わりました。しかし、心身共に恩恵を受けた王亜琴さんでしたが、大法の素晴らしさを人に伝えたとして、しばしば中共の残酷な迫害に遭い、王亜琴さんは2020年9月、5年半の不当な判決を下されました。

 十二、不治の肺がんを患い、大法を始めて1カ月で全快する

 私は、河北省廊坊市で農業を営む楊生栄です。今年75歳になります。2007年8月、私は突然全身がだるくなり、甘粛張掖市の市立病院に1カ月入院しました。ずっと発熱したままで、私の病は改善するどころか、だんだん重くなり、体重も急速に減っていきました。

 やむを得ず、私は廊坊市に住む娘の家に行くしかありませんでした。当時の私は首が持ち上げられず、どす黒い顔色をしていました。廊坊市の病院へ検査に行くと、医者は娘だけにこう言いました。「すぐに北京の胸科病院に行って検査してください」。私は精密検査のために北京に行きました。最終的な結論は慢粒性肺がんで、医者が言うには、この病気は治せる方法がなく、いくら多くのお金をかけても良くなるとは限らないとのことでした。

 娘は、私が受け入れないのではないかと思い、遠回しな言い方で、「お母さんの病気はどんなにお金を使っても治りません。法輪功だけがお母さんの命を救うことができます。どうしますか? 私と法輪功を修煉しますか、それともお金を使って治療しますか?」。結局私は、自分にはお金がないし、娘には迷惑を掛けたくないと思い、救命の一心で法輪功を試してみようと思いました。こうして、私は法輪功の修煉を始めたのです。

 私は真面目に法輪功の本を読み、煉功しました。すると1カ月後、食事が摂れるようになり、薬も注射も必要なくなりました。苦痛を感じることがなくなり、軽やかに歩けるようになり、顔色も白く赤みが差してきました。4カ月後、私は甘粛の実家に戻りました。隣人も不思議がり、「死にかけていた人が今は元気はつらつとしている、このようなことがどうしてあり得るのか?」と言いました。しかし、これは真実です。私の身の上に起きた出来事なのです!

 楊生栄さんは「江沢民は、このような素晴らしい功法を修煉することを許さず、さまざまな残虐な刑罰でとても多くの法輪功学習者を迫害しています。しかし、その犯罪行為は天理が許さず、彼は必ず責任を取らなければなりません」と述べたうえで、2015年5月30日、最高検察庁と最高裁判所に刑事告訴状を提出し、法に照らして江沢民が行った法輪功迫害の犯罪行為を追及するよう要求しました。

(つづく)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/7/21/446233.html)
 
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