【慶祝513】 郷里の人は私を「大法の偉大な弟子」と呼ぶ
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文/黒竜江省の大法弟子 雲海口述 同修整理

 【明慧日本2022年11月11日】私は生粋の農民で、法輪大法を修煉してすでに21年になりました。郷里の人たちは私を「大法の偉大な弟子」と呼んで私を尊敬し賞賛しています。なぜなら私はかつて重い病気で死にかけましたが、師父と大法の多大な恩恵のおかげで私は新たな生命を手に入れ、私の周りの郷里の人たちはみな「法輪大法はすばらしい!」と認識しています。

 話はやはり最初から始めなければなりません。

 枯れ木に花が咲いた

 男性にとって40代は人生の最盛期であり、キャリアを積むには良い時期ですが、私は体調を崩して一日中ベッドに横になっていました。男性は家族の中心人物です。ただでさえ家計が苦しいのに、大黒柱の私がこうなってしまえば、家族の生活はどうなるでしょうか。

 病気に悩まされながらも、私は死ぬことは怖くなく「治っても治らなくても、とにかくもう病院には行かない」と思っていました。兄弟たちが来て「病院に行って、本当に治らないと言われたら治療しなければいいのだから、そうしたら、あきらめてこれ以上お金を使わないようにしよう」と相談しました。

 兄弟たちを説得できず私は病院に行きました。検査してみると結核と心臓病で、どちらもすでに非常に深刻でした。治療を受けることについては給付金を受けていたので、地元の結核予防治療所に行きました。医者は、私の肺にはすでに三つの穴が開いており治療しても治らないと言い、薬を渡されただけで私は家に帰され、それは死ぬのを待つためであることを意味していました。

 その時の私は歩くこともままならず、家の入り口から玄関まで歩いては休憩し、その後は横にならなければなりませんでした。10代の子供たちの姿を見て、悲しくなりました。村の人々は陰であれこれと取り沙汰し「この人はもう終わって 死ぬのを待っている」と言いました。

 私が人生の終わりを迎えようとしていた時、光が差し込み、1998年に法輪大法が私の故郷に広まりました。私の3番目の妹が先に修煉を始めました。3番目の妹は私のところに法輪大法を紹介しに来て「兄さん、兄さんはとても病んでいるので、この『轉法輪』という本を読んでみてください、この本は非常にすばらしいですよ」と言いました。「私は寝ているだけで座ることもできないのに、他に何を読めばいいの? 読めないよ」と言いました。3番目の妹は「それなら聴くことはできるでしょう?」と聞きました。私は「聞くことならできる」と言いました。3番目の妹は「家に帰って法輪功の師父の説法の録音を持ってきます」と言いました。

 翌日妹は私のために師父の説法の録音テープを持ってきて、私に聞かせました。私は座っていられず、横になって聞いていました。第一講の途中まで聞いた時、手が入ってきて胸を掴まれたような感覚があり、息が切れ、掴まれながら私は体を起こしました。その時妹はちょうど外側の部屋で洗濯をしており、私は妹に「よくないことに、手で肺をひっかかれてしまった」と言いました。妹は「それはよいことで、師父が面倒を見てくださっているのです」と言いました。

 私は聞けば聞くほどこの法が説いていることがいかに優れているかを実感しました! 第七講を聞き、師父がタバコや酒の害について説かれた時、私はまるで自分のことを言われているような気がしました。毎回の食事の時には酒を飲まないと茶碗が持てないし、毎日3合の酒が必要でした。師父の説法を一通り聞き、私は「なぜ人間であるのか」ということを本当に理解し「人が生きるとは返本帰真し、他の人のために生き、真・善・忍に基づいて自分を律することこそが最も高い境地の人なのだ」ということがわかりました。大法は私の心の曇りを一掃し、私は闇の中から光と希望を見ることができました。

 私はこの法を学ぶために、急いで大法書籍をお願いし、さらに煉功動作を学びました。なんと家に入ると目に入るのはすべて薬だけでしたが、大法を学んだ後私は薬を捨て、人にあげられるものはあげてしまい、正式に大法の修煉を始めました。

 20日ほど煉功した時、私は息切れせずに歩けるようになり、2ヵ月あまりの時に病気が完治しました。村の人々はみな「彼は薬を飲まずにどうやってあの重い病気を治したのか?」と不思議に思いました。

 師父と大法を信じ真の修煉者になる

 法輪大法は修煉者に真・善・忍を修煉の基準にするよう求めており、法輪大法は佛家修煉大法であり、本当に修煉し、真・善・忍に基づいて自身の道徳を向上させ、はじめて病気治療と健康保持の効果に達することができ、師父が身体を浄化して病気を取り除いてくださるのです。

 大法を修煉した後、私の心は明るくなり、前途が明るくなりました。まるで別人のように、ギャンブルをやめ、頑固なタバコと酒の依存をやめ、師父の言葉に耳を傾け、大法の要求に従ってどこにおいても良い人になると、体は元気になり農作業もできるようになり、家で妻の家事を手伝うようになりました。

 修煉とは師を信じ法を信じ、関や難に遭遇した時に自分を修煉者として扱うことでした。修煉を始めてもうすぐ1年を迎える春、私は田植えの準備のために水田を耕していました。思いもしなかったことに足に熊手の刃が突き刺さり、大量の血が出ました。作業を手伝ってくれていた弟が「足がこんな風になって、履いている靴から血が出ていている、地面には汚い水と肥料がいっぱいだ、感染しないように、もう作業をやめて家に帰ろう」と言いましたが私は「大丈夫、私は修煉者だから、何も起こらない」と言いました。

 家に帰って靴を脱ぐと、靴下が肉にへばりついており、血だらけで脱げませんでした。弟が手伝って洗ってくれてやっと脱ぎました。その時は肺の反応も少し痛かったのですが、私は病気と認めず、なぜなら修煉者は業力を返済しなければならないことを知っていたからでした。翌日の夜寝ている間に「師父が医者用の白衣と帽子とマスクをつけて来られ、私が寝ているベッドの周りをぐるりと回り、私の肺を指して、これが治るまでには数日かかりますが、明日は足が使えるようになります」と言われた夢を見ました。師父はそうおっしゃって去っていかれました。

 翌日には私の足は本当に治り、肺は本当に数日後になって何も感じないようになりました。

 一度とてもひどい病業の反応が出て、とても言葉で表わせないほどつらく、ベッドに横になることができず、横になると息ができず、ただ息を切らして何かに寄りかかって座ることしかできず、目を閉じることもできず、目を閉じると気絶しそうになりました。昼も夜もずっと座っており、さらに大きく口を開けて吐いたものはすべて黄色い痰でした。このことを知った村の人たちは「今回の彼は終わっており、死ぬだろう」と言いました。

 私は「私は大法を実証しに来ており、私の体は師父にお任せしている」と自分に言い聞かせ、同時に私はこの関を克服するために、心の中で「私の肉体を迫害する邪悪な要素を取り除いてください」と師父にご加持を求めました。師父のご加護の下、2~3日で私の体は元通りになり、仕事にも復帰しました。村の人は私を見て「すごいですね、本当にすごい!」と言いました。実際には村の人たちは私がすごいと言っているのではなく、大法がすごいと言っているのでした。

 本当に大法を修煉すれば、師父はいつも弟子を見守ってくださいます。ある日朝の煉功の時間が迫ってきた時、私は目が覚めた後にしばらく横になり、時間になったらまた起きようと思いました。その時私は師父が来られたのが目に入り、着ておられるのは説法ビデオの中のスーツで、私の頭の上で回られ、私の手を掴んで握手をして去っていかれました。私は慌てて立ち上がり煉功しました。

 迫害に抵抗し修煉を堅持する

 法輪功の修煉によって私は生き返り、地元では有名人となり、邪悪の迫害の対象となり、敏感時期になると、村の警察署の警官が家に来て「監視」しました。

 ある時村の警察署の警官が私の家に来て騒ぎを起こし「国は法輪功の修煉を認めていないので、あなたは修煉することはできない」と言いました。私は「大法は心を修め善に向かい、真・善・忍に基づいてよい人になるよう人に教えていますが、それの何が悪いのでしょうか? どこが間違っているのでしょうか? 許されなくても私は修煉します」と言いました。警官は「あなたに修煉はさせません」と言い、私は「あなたたちは知らないのですか? 私の命は大法に与えられたものです。もし法輪功を修煉していなければ私は死んでおり、私は悪いことはしていません」と言いました。警官は「私もあなたが悪いことをしたとは言っていません」と言いました。「私が悪いことはしていないのに何でここに来たのですか? 私を捕まえたいのですか?」と言うと、警官は「ちょっと見に来ただけです」と言いました。私は「見てください、村の人々はみなここにいますので、私が法輪功を修煉すべきかどうかを聞いてみてください」と言いました。

 その日村人たちは警察が村に入ってきたのを見て、みんなが警官の周りに集まり、たくさんの人がいて、ある人が警官に「以前彼はベッドに横たわったまま何もできず、家族には彼を治療するためのお金もなく、彼がもし大法を学んでいなかったら彼の命は失われており、大法が彼を救ったのです!」と言いました。みんなが「そうだ、そうだ、法輪功が彼を救ったんだ!」と言いました。警察官はみんなが騒いでいるのを一目見ると何も言わずに去っていきました。

 福音を郷里の人々に伝える

 師父は私の命を救ってくださり、私は大法の中で恩恵を受けて、私は大法の福音を郷里の人々に伝えなければなりませんでした。

 ある時、老山頭部落の周さんが骨癌になり、すでにベッドの上で起き上がれず、家で死を待っていると聞きました。私は「一刻も早く彼に大法の真相を伝えに行かなければならない」と思いました。

 行ってみると、そばには周さんの息子さんが見守っているのが見え、周さんの右の太ももはパンパンに腫れていて、周さんはすでに床に足を下ろすこともできず、本当に家で死を待っている状態でした。周さんはすでに息子に死後の始末を任せており、柩を買うこともできず、そのために近所の家からタンスを買ってきて棺とし、 周さんは背が高く、タンスの長さが足りなかったので、タンスの片方の端を開け、もう片側は開けないで、後で使えるようにしてありました。

 私は周さんに「大法を修煉する前の私は、あなたのようにベッドから起き上がれないほどの病気でした。師父は人を救うために来られており、あなたが信じさえすれば、師父が面倒を見てくださいます」と言いました。私が「本は読めますか?」と聞くと周さんは「読めます」と言いました。翌日私は周さんに大法書籍を渡し、さらに大法の真相を伝え、周さんが加入した共産党の組織を脱退するように言いました。

 数日後私は周さんに「本を読んでみてどうですか?」と聞きに行きました。周さんは「兄さん、私はこの本が読めず、いつも次の行を間違えて読んでしまい、読み続けることができません」と言いました。妨害されているのではないかと私は思い、私は「心から読みましたか?」と聞きました。周さんは「私はこんなになっているのに、まじめに読まないと思いますか?」と言いました。私は「それなら『法輪大法好、真善忍好(法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい)』という九文字を心を込めて念じれば、師父はあなたの面倒を見てくださいます」と言いました。

 私が帰った後、周さんは本当に心を込めて「法輪大法はすばらしい」と念じ始めました。周さんが念じ始めて4~5日経った頃、太ももの大きな腫れが破れて膿と血が流れ、洗面器がほとんどいっぱいになり、足の大きな腫れがなくなりました。それまではズボンを脱ぐこともできないほど腫れ上がっていましたが、10日経たないうちにベッドを下りて歩けるようになり、病院で骨癌と診断された末期の病気が治療せずに治ってしまいました。

 私が法輪功を修煉していることを村中の人がみな知っており、私が周さんのところに行って法輪大法を伝え、周さんに「法輪大法は素晴らしい」と念じてもらった後に周さんがよくなったことをみんなが知った時、村中の人がみな私に「周さんは死人のようになっていたが、大法が彼を救い、彼の病気は良くなった」と言いました。

 10年以上の歳月が流れ、この「死人」と呼ばれた周さんは今も元気に北の荒野で農業を営み、今でも健康で幸せな生活を送っています。これは医学では説明できない奇跡でした!

 千言万語を使うに及ばず、このれっきとした事実こそが「法輪大法はすばらしい」という最高の証拠でした。ここ数年私は真相をうまく伝えることができており、なぜなら私自身を表現することが真相だからでした。たまに通りを歩くと、例えば夏にメロンを買い、メロン売りの人が目盛りを量ってメロンを1個おまけしてくれようとしましたが、私はいつもその申し出を断り、そういうことに甘えることはしませんでした。メロン売りの人と村の人たちはみな「見てください、法輪功を修煉している人たちは違います、次元が高いのです!」と言いました。そして近くにいる他の宗教の信者を指して「あなた方は見てください、目からウロコではありませんか、ついでにもう一つウロコを取らなければなりませんよ」と言いました。

 私がどこに行っても、村の人たちはみな「大法の偉大な弟子が来た!」と言いました。村長も私を見て「大法の偉大な弟子がまたいらっしゃった」と言いました。迫害が最も狂ったような状態にあった時、私がどこにいても、村人たちはいつも「大法の偉大な弟子」と私を呼びました。中国共産党(以下、中共)による大法弟子への狂ったような迫害の高圧の下で、中共が嘘を使ってどんなに教育しようとしても、村人の心の中にある正念を揺るがすことはできませんでした。なぜならば私や救われた人々の中から、村人たちは大法の威力を見たからです。大法弟子の一言一行の中で村人たちも大法弟子が本当に「真・善・忍」を実践していることを見たからでした。人々の心の奥底ではどれだけ「真・善・忍」を認識し心を傾けているでしょうか!

 ここで私は真相を知らず中共に騙されている人に「大法は人に薬を飲ませないのではなく、師父を信じ法を信じ、大法の基準に基づいて自分を律しさえすれば、心身ともに健康でいられるということです。健康な人が薬を飲む必要があるでしょうか? 大法を修煉して健康を取り戻してから私は薬は一切飲んでいません。師父は私に健康な体を与えてくださり、私のこの健康な体が大法の素晴らしさを実証しています。私たちのこの地方の村の人たちが最高の証人です」と伝えなければなりません。

 私の命は師父が与えてくださったものです。自らの経験は師父の偉大さを証明するに足るものです。師父が誕生日を迎えられたことを、お祝い申し上げます! 師父の慈悲なる済度に感謝申し上げます!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/7/385972.html)
 
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