押し戻しと回り道
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年1月2日】街頭で法輪功の素晴らしさを伝える同修たちと交流していると、程度の差こそあれ、2つの現象が存在することが分かりました。事あるごとに出合う、うまくいかないときは押し戻したり、逃げ回ったりして、向上できる修煉のチャンスをつかめないことです。 ここでは、私自身の修煉状態の例をいくつか紹介します。

 一、押し戻す

 例えば、法輪功の素晴らしさを伝える中で、人が資料やカレンダーを必要とするかどうかについて考えてみました。自分が一生懸命に伝えたのに、相手はそれを受け取りません。自分なりの伝え方を固守し、自分が執着しているものを手放そうとしないので、逆効果になるのです。修煉者は皆私たちが出合うことに偶然はないということを知っています。それは師父が私たちに向上させる機会を按配して下さったのかもしれないのに、私たちは自分の執着に沿って行い、機会を押し戻しました。

 私自身の場合、この問題は長く続いています。その原因は、恐れる心、自己への執着、衆生のために責任を負う心が足りず、私心を抜け出せませんでした。自己保身の前提の下で真相を伝えることに満足しています。そして、旧勢力を徹底的に否定せず、迫害されることを恐れ、師を100%信じていません。本当に法の中でだけが最も安全であることを忘れていました。

 私がずっとこのレベルから抜け出せないでいるのを見て、師父は同修のWさんを手配して、一緒に法輪功の素晴らしさを伝えに行ってくれたのです。彼女は大法のことであれば、どんなに難しくても、できることは何でもやるし、それを押し付けずに黙々と圓容します。

 時には、彼女は何千元ものお金を真相紙幣に換えて家に置き、それを必要とする同修のために毎回持っていき交換します。また、真相USBを家に何百個も持って帰って、必要な同修にいくつか持っていきます。W同修のおかげで、私は、今、かなり突破していますが、まだまだ、修めている途中です。

 二、回り道をする

 例えば、2人の同修が協力して法輪功の素晴らしさを伝えます。 最初はうまくいっていましたが、時間が経つと段々と摩擦が生じ、対立してきます。一緒に協力したくないとか、いつの間にかいなくなるとか、他の同修と組み換えて、一緒に行くことになってしまいます。また、ある学法グループがあり、そこはあまり理性的ではなく、法を読むのに苦労している学習者がいました。 そのグループの中にいた、ある同修はグループ学法へ行きたくなくなり、やめてしまいました。

 最近、こんなことがありました。いつも大声で話し、気配りのできない同修がいました。彼女は同修の家に行くとすぐに「何人、脱党(共産党から離脱)させた」と言い、同修に「名前を書いてくれ」と偉そうに頼んでいました。 その声を聞いた、同修の息子は、彼女をひどく叱責していました。私はこのことを聞いたとき、まず思ったのは「どうしてこの人はこうなんだろう? 私も彼女とは関わりたくない」ということでした。長年に渡って、私はこの類いの問題を考える時、いつもそうです。このような人には近づかないようにして、回り道を選びました。

 今回、W同修がしつこく私を問い詰めて「どうしたらいい?」私は、不本意ながら「内へ向かって探す」と言いました。また 私は「自分を守るために何かが起こるという恐怖心があり、彼女から離れたいという気持ちがある」 と言いました。 W同修も同じ考えを持っていると言いました。しかし、「それは師父が望んでおられることではない。彼女は顕示心を持っている、私たちは持っていますか? 私たちはこれらの心を抑制し、彼女と法の上で交流し、一緒に向上して行く、それが師父の望みなのだ」と言いました。私は「 はい、そうです!」これまで、この問題について私はずっと、修めず、避けて通ってきました。 長年捨てられなかった執着は、内側に目を向けず、いつも避けていたことが原因だと気づかされました。 本当にW同修に感謝しなければなりません。彼女が何度も聞いてくれなければ、ずっと前から捨てるべき執着心があり、修めず避けようとしていました。

 私たちはお互いに注意し合い、師父が与えてくださった「内に向かって探す」という宝物を上手く使えるようにしなければいけません。「事々対照し」 [1] 、「常に心性を修めれば」 [2] を忘れずに、これからの修煉の道をちゃんと歩んでいきましょう。

 少しばかりの修煉体験で、不適切なところがあれば是非ご指摘お願いします。合掌。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「実修」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「真修」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/5/451440.html)
 
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