大慶市の朱秀敏さん 何度も迫害された末死亡(二)
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 【明慧日本2023年2月4日】(前文に続く)

 四、友人宅で不当に連行され、拘禁される

 生計のために、朱さんは夫とともに外でバイトをしていた。2017年3月21日午前、朱さんは夫と一緒に夫の両親を訪ねるためチチハル市に帰り、友人の劉明英さんの家に立ち寄った。そのとき、朱さん夫婦は、友人の自宅周辺で待ち伏せていた警官らに連行された。

 朱さん夫婦は、まず五龍派出所に連行され、その後、安順路派出所に移送され尋問を受けた。警官は朱さんを同行させ、朱さんの自宅に行き専用道具で鍵を開けて家宅捜索を行ったが、何も発見できずに帰った。

 翌日(3月22日)夜10時、朱さん夫婦は龍沙刑事警察署に連れて行かれ、別室に監禁された。夜中に、朱さんは数人の警官が夫に暴言を吐いたり殴ったりするのが聞こえた。しばらくして、3人の警官は朱さんが監禁されている部屋に入り、朱さんの額に激しく平手打ちをし、顔を殴り、さらに朱さんの足を蹴った。その後、3人は再び朱さんの夫を殴りに行った。

 3日目、朱さんは留置場に移送された。指示を受けた同じ監室の受刑者は、朱さんが座っていた敷き布団を取り除き、冷たい木の板に座らせようとしたが、朱さんはそれを拒否した。すると、2人の受刑者は痩せ細った朱さんを持ち上げてから、壁にぶつけるように力強く落とした。落とされた朱さんは激しい痛みとめまいで、トイレに行く際に2回も転倒した。その時、朱さんは自分が妊娠していることをまだ知らなかった。

 五、幼い子どもは永遠に母親を失った

 朱さんは留置場で5カ月ほど断食して迫害に抗議した後、体が弱くなり、病院で検査を受けたところ、妊娠していることが分かったため、2日後に解放された。

 朱さんは留置場から帰宅した後、体の不調や痛みが多く、慢性栄養失調と重度の貧血のため、体が浮腫んだが、夫を救出するために大きくなるお腹を抱えて各部門を駆け回っていた。

 夫が不当に拘禁されているため、収入が断たれた朱さんは、経済的な余裕がなく、迫りくる出産予定日と出産後の生活という苦難に直面し、大きなプレッシャーを抱えていた。少しでも節約して出産費用を抑えようと思って、朱さんはいくつかの病院を回って産婦人科の見積もりをしたが、朱さんにとってどこも耐え切れないほどの金額であった。

 子どもが生まれた17日目の2017年12月14日、朱さんの夫は裁判所で不当な裁判を受けた。子どもが生後1カ月も経たないうちに、朱さんの夫は懲役3年の実刑判決を言い渡され、2018年3月1日に刑務所に拘禁された。このことは、朱さんに大きな打撃と圧力を与えた。

朱秀敏的孩子

朱さんの子ども

 体の弱い朱さんは一人で子どもを育て、仕事もできず、収入がないため、さらに生活の苦しい状況に陥り、警官による嫌がらせに怯えていた。

 2020年3月、朱さんの夫は冤罪を終えて家族と再会することができたが、朱さんは心身ともに限界に達したため、ついに2022年7月にこの世を去った。5歳になったばかりの子どもは永遠に母親を失った上に、幸せだった家族は迫害されて崩壊した。

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/1/18/455324.html)
 
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