新経文の『なぜ人類が存在するのか』に目覚めた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年4月24日】私は1997年に大法を修煉し始めた大法弟子です。うちは夫、義父、そして夫の3人の妹も修煉する大家族です。皆とても良い修煉環境を持っており、皆大法の恩恵を多く受けています。

 姑は修煉する前は片足が不自由で、片目が見えなかったのですが、20日間の修煉で完治しました。義父は仕事中に怪我をし、18年間ベッドの上で半身不随になっていましたが、大法修煉で奇跡的に回復しました。夫婦の体の奇跡的な変化は、当時地元で大きなセンセーションを巻き起こしました。私と義妹は義父母の奇蹟を見て、次々と大法の修煉を始めました。

 しかし、人心が取り除いていないため、旧勢力につけこまれ、夫も義父母も相次いで他界してしまいました。夫は「4月25日」、義父は「7月20日」に亡くなりました。この二つの特別な日に離世したのは、旧勢力の迫害であったと知っています。身内の相次ぐ死で、修煉の道を歩むのも困難になり、だんだん修煉がおろそかになってしまいました。

 今年の旧正月明け、師父の新経文『なぜ人類が存在するのか』を読んで目が覚めました。消極なままではいけない、必ず精進しなければ、師父にも自分の天界の衆生にも申し訳が立たないと思ったのです。

 私は自分のために休暇を取り、2カ月間自宅で休養した、期間中毎日、徹底的に学法し、煉功をしました。

 それまでは生業に追われ、学法や煉功が追い付かない状態でした。1時間抱輪の音楽が何年前から出たにもかかわらず、安逸心で時間の長さに恐れていました。今後、この「恐れ、困難」を打破してみたいと思っています。自分は何を恐れていたのか、苦しむことへの恐怖はただの惰性ではありませんか。以前は、この「恐怖」を自分だと思っていましたが、数年間恐怖が目の前にあり、あえて挑戦しませんでした。精進したいなら、苦難に耐えなければなりません。しかも、これは何の苦難でもありません。この間、同修も私と一緒に法を学び、励ましてくれました。

 初めて1時間の法輪を抱くとき、私はまだ試してみたいという考えを持っていました。師父は「忍び難がたきは忍びうる。行ない難きも行ないうる」とおっしゃっています[1]。1時間の法輪を抱く過程で、私は自分を励ましました「堅持すれば成功です」。師父は突破したい私を見て、加持してくださり、初の抱輪は思ったほど怖くなく、苦しくなくできました。師父に感謝します。

 学法の進度が追いつき、煉功の心配もする必要がなくなり、心性も向上しました。今思えば、無駄な時間を過ごしてしまったと反省しています。師父に申し訳なく思っています。師父のご加護と慈悲済度に感謝します。そして、同修の無私の助けに感謝します。

 これからの修煉の道では、正法の進展に遅れないように、また、師父についていくように、より一層努力していきたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志师父の著作:『轉法輪

 (責任編集:林)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/16/458817.html)
 
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