法に則ることは一番だ
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文/中国の大法弟子・帰真

 【明慧日本2023年9月16日】長期にわたって、修煉の過程で心性を守ることができませんでした。私は毎日、法を勉強しており、法理も分かっていますが、なかなか心性を守ることができませんでした。そのため、現れたのは真に修煉しているとは言えない状態でした。

 振り返ってよく考えてみると、心性が守れない原因は、自分の心に不平不満を感じたからです。この不平不満の原因は、自分の魔性の一面によるものだと思います。自分の観念に合わない人を見るとき、或いは自分の何かを損なわれたときなど、嫉妬心が現れ、不平不満を感じ、その結果、心性を守れなくなります。心性を守れないことで後悔したことも多いのですが、その後も同じことの繰り返しで、本当に修煉が難しすぎるとしみじみ思ったことがあります!

 修煉状態が良かったり悪かったりを繰り返す課程で、私自身、なぜここまで心性を守れないのかがわからなくなりました。「そんなに難しいことではないだろう?」と思いましたが、もっと深く追ってみると、「きっと旧勢力や宇宙の古い要素が妨害の作用をしている。おそらく、すべてが表面化し、この妨害はますます大きくなっているのかもしれない」と考えました。後になって、この妨害の存在も、私が大法を十分に理解していないことにつけ込んで、生み出されたものだと気づきました。

 ある日、私は「真に大法を修し 唯此れだけを大と為す」[1]、という師父の詩を深く理解することができました。どんな環境の下でも、魔難の中、トラブルの中、生活の中などでも、生命が物事を法に則って行うことは、最も偉大で最良のことだと認識しました。時々刻々何事も法に則っていれば、宇宙中の最高のものを得られます。そうすれば、不平不満の気持ちがなくなります。心が穏やかであることは善の反映で、心が荒ぶっていれば悪を生み出し、不平不満を感じるのです。

 このことを理解して、その後のトラブルや生活、行動において、自然と心性を守ることができるようになり、心から法の要求に従って行動することができました。さらに考え方も、真・善・忍の基準に従って、自分に要求することができました。少しでも良くない念が出ると、すぐに法に符合していない部分を掴まえて、瞬時にその良くない念を法によって正すことができます。それで、不平不満な気持ちが消えてしまい、外に向けて探さず、人を非難することもせず、恨む心もなくなり、悪い念も起こさなくなり、師父の説法の中でおっしゃった「一笑に付す」つまり、にっこり笑った状態になりました!

 それとともに、法を正す時間の問題、疫病についての問題、師父の最近の説法に対する疑問など、いくつかの理解していなかったことが、何とも思わなくなりました。それらの疑問は「自我」(エゴ)の問題だとわかりました。最終的には「自我」に動かされるのではなく、法に則って行います。法に則ることを第一とし、「大法を信じる」という念がすでに「自我」を超えています。それは無我の現れではないでしょうか? そうすると、これらの疑問は「自我」を取り除く絶好の機会になると思います。

 この世のすべては大法によって創造され、大法からもたらされました。法に則って行うとき、一番大きくて最高のものを得られると私は固く信じています。ですから、法に則ることで、自分の執着を打ち破ることができます。すべての執着は、大法に則ることと比べれば取るに足らないもので、煙のように消えてしまうのです。 

 現段階では、「法に則ることは一番だ」という認識は私を精進させましたが、より高い次元から見れば、生命は大法の要求に従って行うべきです。大法に則って行うことこそが生命の本質的な特徴で、何が得られるか、何が失われるかを考えないのです。

 以上、私個人で悟ったことですが、不足なところがであれば、同修の指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「法を得る」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/8/23/464450.html)
 
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