【5.13応募原稿】 大法弟子の善が拘置所を照らす
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文/黒竜江省の大法弟子 帰途

 【明慧日本2024年3月3日】法輪大法の修煉を放棄することを拒否したため、2014年の春、私は地元の拘置所に入れられました。それからの2年間、私は「真・善・忍」という宇宙の法則を実践し、自らの言動をもって同房者たちに法輪大法の素晴らしさを理解してもらい、絶望的な状況の中でも希望を抱いて過ごすことができました。

 一、私の言動が真相そのもの

 私が監房209号室に入った初日、ちょうど拘置所は3人の受刑者を刑務所に送るところでした。「出会いはすべて縁なので、今ここでこの3人に真相を伝えなければ、もうチャンスはない」と思い、私は彼女たちに声をかけ、真相を話し始めました。すると女性の1人が大声で私を叱責し、「これ以上話し続けたら、看守に訴えるよ!」と叫びました。その声があまりにも大きかったため、20もある独房にいた全員が一斉に驚異の目で私を見ました。「彼女たちは誰も法輪功のことを知らないのだ」と私は思いました。

 私がここに来る前、警官は私が誰とも話すことがないよう、看守に私の監視を命じました。「話すことが許されないなら、どうやって真相を伝えるのか?」と私は思いました。

 「私は大法弟子だ。私の振る舞いそのものが真相だ。大法に従って行なえば、彼女たちは私を通して法輪大法の素晴らしさが分かり、真相を知ることになる」と私は考えました。

 拘置所の生活環境は非常に悪く、食事は1日2食で、主食は飼料用のコーンミールの蒸しパンで、おかずがなく、スープには野菜の葉っぱか千切りした人参が少し浮いている感じでした。毎食、皆が鍋にあるわずかな野菜を狙っていました。「私が一口多く食べれば、彼女たちに回る量が減る。他人のために考えなければならない」と思った私は、いつも最後に食べ物を取りに行き、鍋に残っているものを盛るだけで、取り合うことはありませんでした。

 20人ほどが使うトイレは、朝に1回だけ掃除されます。午後から夜にかけてトイレがどんどん汚くなっていき、しかし誰も掃除しませんでした。そこで、私は入る度に掃除をしました。皆は「法輪功の学習者が入れれば、トイレがすぐにきれいになります」と言いました。

 周りのすべての人に優しく接する私の行動を見て、皆は心の中で覚えてくれていました。1カ月後、ある佛教信者が私にこう言いました。「ここに来る人は皆、最初の数日間は取り繕うことができます。短くて3〜5日間、長い場合は1週間で素性がばれてしまいます。法輪功の姉さんだけは見せかけだけではなく、そのままですね」と徐々に、皆は私を受け入れて、私が話す真相にも耳を傾けるようになりました。

 麻薬常習者が中毒を絶つ

 ある日、麻薬密売の容疑者である小芳(仮名)が監房に入ってきて、看守は彼女を私のそばに配置しました。麻薬を売る人はしばしば麻薬を吸うので、それを絶つ過程も非常に苦しいものでした。小芳は入って来るや否や麻薬を絶ちはじめて、しばしば辛さで苛々していて、急に昏睡してしまうこともよくありました。ここの寝台と言えば、コンクリートの床の上に木の板が敷かれただけのもので、とても冷たいものです。小芳が眠りにつく度に、私は自分の服を彼女に掛けてあげました。

 麻薬をやめる間、小芳は食欲が旺盛になり、常に何かを食べたがっていたので、私は自分のお菓子を分け与えました。小芳もますます私と親しくなりました。私は法輪大法にある禁煙と禁酒の法理を話して聞かせ、大法の師父の教えである「喫煙は人間の身体に良いことはまったくなく」、「それは一種の強い欲望でもあります」[1]を伝えました。

 麻薬はタバコや酒よりも人体へのダメージが大きく、家財を失わせ、命さえも失わせることがあります。私は小芳に「『法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!』という心からの九文字を心から唱えることができれば、麻薬をやめる過程の苦痛はかなり軽減されます」と教えました。小芳は素直に私の助言を受け入れて毎日心からの九文字を唱え、麻薬をやめることに成功し、苦痛から解放されました。その後、看守は心身ともに大きな変化を遂げた小芳を受刑者のリーダーに指定しました。

 小芳は私に特別な敬意をもって接し、私のことを「おばさん」と呼び、同年代の人たちを「姉さん」と呼んでいました。他の人たちが心のバランスが取れなくなったのを見て、小芳はこう言いました。「このような困難な環境の中で、また母のような人が私の世話をしてくれて、寝る時に布団をかけてくれて、寒くないか、お腹が空いていないかと心配し、自分は食べなくても私に食べさせてくれました。さらに忘れられないのは、私は大法のことを真に理解し、無事に麻薬をやめたことです」

 リーダーになった小芳は、監房の全員に「法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!」と唱えさせたことで、監房の環境が変わり、法輪大法が彼女たちを変えました。

 三、知的障害者が法の暗記で福報を得る

 ある日、体重が約154キロで、ぼろぼろの服を身に纏い、髪を振り乱していて、顔が垢まみれの少女双双(仮名)が監房に入ってきました。当時の彼女は25歳で、知的障害者でした。田舎出身の彼女は、過失で夫を殺してしまいました。

 彼女が来てから、監房には平穏な日がなくなりました。彼女は体中に刺激的で不快な臭いがしていて、誰も彼女と一緒にいたがらず、看守は彼女を私の左側に配置し、彼女の反対側の人の入れ替わりが絶えませんでした。双双は衛生面を気にしないだけでなく、気性も荒くて、60代の女性も含め、ここにいるほとんどの人と喧嘩したことがあります。

 彼女のことをどうするか困り果てた看守はある日、私を事務室に呼び、こう言いました。「ここでは今、1人2人だけでなく、ほぼ全員があなたが良い人だと言っているので、それが本当だと思います。双双の管理を手伝ってほしいのです」。監房間ではしばしば受刑者の入れ替わりが行なわれますが、看守は決して私を入れ替えませんでした。

 双双は常に私の左側にいるので、私はよく彼女に真相を話して聞かせました。彼女の心のしこりに対して、私は大法の法理を用いて諭し、忍の話や人に親切にする方法、人との付き合い方、および韓信が股間に辱められた話などを話してあげました。彼女は人を殺したため、死刑を宣告されることを恐れていました。私はこう言ってあげました。「あなたが法輪大法が素晴らしいと信じれば、神佛はあなたを守ります。しかし、1人の生命として、責任を負う勇気も持たなければならず、刑務所に行って服役することを恐れないで下さい。人と人との間には因縁があり、決して偶然なことはありません」

 私が真相を話している間、彼女はいつも静かに耳を傾けていました。私が毎日法を暗唱しているのを見て、彼女は「声を出して聞かせてほしい」と頼んできました。彼女が知的障害者で理解できないだろうと思って断ろうとしたところ、彼女は不機嫌になり、「理解できます」と言いました。そこで、私は師父の『二十年説法』と『洪吟三』を暗唱して聞かせました。師父の説法を聞いている間、彼女は周りで起きていることにまったく興味を示さず、ただ静かに聞いていました。彼女が本当に耳を傾けているのを見て、「説法を聞くとき、どんな感じですか?」と私が尋ねると、彼女は「とても快適です。具合が悪いところがなくて、苛々する気持ちもなくなって、喧嘩する気もなくなりました」と答えました。彼女には大法との縁があると思い、私は「これから、法の暗唱を教えます。法を頭に入れておけば、刑務所に行ってもどこに行っても、自分で法を暗唱できます」と言いました。

 その後、彼女は『洪吟』の『その心志を苦しめる』、『人を做す』、『覚者』、および『洪吟三』の一部の詩を暗記しました。知的障害者がこれほど多くの大法の経文を流暢に暗唱できることを目の当たりにして、私は法輪大法の不思議さと超常さに深く感心させられました。

 その直後、監房では法を暗記するブームが起きて、多くの若者が『洪吟』の「人を做す」、「その心志を苦しめる」、および『洪吟三』の「腸を穿つ」、「済度できず」などの詩を喜んで暗記していました。忘れてしまうのではと思った彼女たちは、仕事で使う板紙に詩を書いておくように私に頼み、仕事をしながら暗記していました。

 その後、双双の案件に転機が訪れ、彼女の義理の両親や村人たちが彼女のために「宥恕文言」を書いたため、裁判所は軽い処罰ですまし、彼女に15年の判決を下しました。双双は夫の死を招いたことで自責の念にかられ、年老いた義理の両親や幼い子どもには申し訳ないと言いました。

 双双が省都の刑務所に服役に行く日、私はインスタントラーメンを1袋取り出して、お湯がなかったため、冷たい水で一杯のラーメンを作ってあげました。彼女は泣きながら私に抱きついて私の耳元で「ママ!」と呼びました。

 四、爆竹で私の出所を祝う

  ある夜、監房に小柄で痩せこけた中年女性、詐欺犯の玉鳳(仮名)が入ってきました。彼女は仕事を紹介するという名目で800万元ほどの金銭を受け取り、詐欺罪で起訴され、無期懲役の判決の言い渡しを待っていました。彼女はこの打撃に耐えられず、生きる勇気さえ失いました。皆は冗談めかして、「年金保険に加入しなくて済むので、残りの人生は刑務所で過ごしましょう」と言っていました。

 しばらくして玉鳳は鬱病になり、一晩中眠れず、食事も喉を通らず、誰とも口をきかず、他人からも無視されるようになりました。看守はまたも彼女を私のそばに配置しました。私は心から彼女のことを心配し、法輪大法の法理をもって諭し導き、失と得の関係や嫉妬心が人に与える危害、および善悪には報いがあることを話し、自らの命を大切にして強く生きていけばきっと希望があると励ましました

 大法の法理を理解した彼女は、私と一緒に法を暗唱し始めて、『洪吟三』の詩を数編も暗唱できるようになりました。そのうち、彼女は穏やかに眠れるようになり、体重も増えて、周りの人と話すようになり、鬱状態から抜け出しました。

 私の不当な拘禁期間が、残り少なくなった時、私は209号監房から出て、玉鳳と離ればなれになりました。彼女はとても苦しかったのです。私と一緒にいたいので、彼女は看守に賄賂を渡して、私がいる監房への移動を頼み、願いが叶いました。最後の数カ月間、彼女は私と一緒にいる時間をもっと大切にし、よく私が法を暗唱するのを聞いていました。私が正念を発していた時、彼女は静かに座って私を見ていました。玉鳳はよく残念そうにこう言っていました。「もし余生は刑務所ではなく、外で過ごすことができれば、絶対にあなたと一緒に法輪大法を修煉し、あなたと同じ道を歩みます」

 玉鳳は弁護士を通じて息子に以下の手紙を出しました。「お母さんはここであるおばさんと知り合い、彼女の恩を被りました。私が一番辛かった時、おばさんの助けで乗り越えることができました。おばさんには子供がいないので、これからはおばさんを母のようにして差しあげなさい。おばさんはもうすぐ解放されるので、必ず車で来て、門の前で出迎えてください」

 家に帰る日の朝、監房を出る前から爆竹の音が聞こえました。玉鳳は私に「私の息子があなたを迎えに来ました。この爆竹はあなたを出迎えるために放ったものです」と言いました。拘置所の門を出ると、ある少年が走ってきて、白い車で迎えに来てくれていました。

 五、挿話

 私は不当に2年の禁固刑を言い渡されて、二審の判決が降りた直後、拘置所は私を刑務所に移送しようとしましたが、1回目は車の故障で送れず、2回目は大雪で道路が閉鎖されたため、またもや移送できませんでした。数日後、看守は私たち2人の大法弟子に足枷をつけるように男性受刑者に指示し、準備が整ったところで3回目の出発を待っていました。

 そのとき、電話がかかってきて、電話口での会話内容はよく分かりませんでしたが、電話を切った直後、看守は受刑者に私たちの足枷を外すように命じました。私は再び監房209号室に戻りました。全員は興奮し、大声で「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。皆は私を取り囲み、ある仏教徒が私にこう言いました。「私はここに長く滞在してきましたが、3回も移送できないのを見たのは、はじめてでした。あなたの師父はあなたを守りました。もう刑務所に行くことはないでしょう」

 午前8時半、出勤した看守が監房の巡回点検に来て、私を見てこう言いました。「仕方がないです。天意でしょうね」。世の人は、このようなことを、どのようにして理解できるでしょうか。

 結び

 人々はよく軍隊のことを、「兵舎は鉄で打たれたごとく(動かず)、兵士は水に流れるごとく(消え去る)」と表現しています。この言葉は拘置所に当てはめてもぴったりだと思います。この2年間、私がいる監房には多くの人が出入りしていて、その90%以上が大法の素晴らしさを知り、三退しました。

 入ってきて、真相が分かってすぐに釈放された人もいれば、長く滞在するほど真相をより深く理解できた人もいて、また、環境の圧力ですぐには修煉できず、解放されてから必ず法輪功を修煉すると言う人もいました。法輪大法はすでに彼女たちの心に根を下ろしました。

 この2年間、私は師父に守られ、加持されていました。「5・13世界法輪大法デー」という神聖な日に、私と救われた衆生は共に師父に深く頭を下げ、師父の慈悲なる済度に感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 (明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)

 (編集責任者:斉昕宇)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/5/24/460190.html)
 
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