文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2024年8月30日】以前読んだ修煉の交流文章で、ある世界の衆生が、修煉がよくできた大法弟子の世界に合体するという記事を読んだことがあります。そのとき私は、師父が『轉法輪』の中で「一人の人間や、一つの生命体を作り上げる場合、その人の独自の生命成分やその人の本質は超ミクロの世界ですでにできあがっているのです」と、述べられてることから「ある世界の衆生が他の世界に移されることはあり得ない。そのような独自の生命成分を持つ生命を、異なる本質を持つ世界に無理やり引き入れることは、実現不可能だ」と思いました。師父は『轉法輪』で「修は己にありて、功は師にあり」と説かれました。私は「このようなことは師父のご按排のことですから」と思い、これ以上じっくり考えることはありませんでした。
その後、師父は「そのような世界はまさに法が構成するものの現われなので、彼に真相が見えるはずもありません」(『轉法輪』)と説かれたところを読んで改めて考えました。当時の私の次元で、私は「我々修煉者は修煉の次元が上がるにつれて、対応する世界もよりよく完成されていく。 新しい法理を認識して、その次元の基準を満たすと、対応する世界はより豊かになる。さらに、次元が上がり、もっと法理を明確に認識し、それに従って実践すると、その世界で法が構成するものはより豊富になるのだ。法輪大法は宇宙の大法であり、各体系の法もその中に含まれている。私たちが異なる体系からこの世に降りてきたとしても、宇宙大法の救い済度を受ければ、たとえ現在、自分の次元の下の法理しか認識していなくても、すでに自分の元の体系での法理ではないのだ」と、悟りました。
ある法理は他の体系のものであるかもしれませんが、その法理は我々の元の世界に法の構成するものとなり、我々の世界の一部となるのです。他の体系の生命は彼らの王に救われず、他の体系の王に救われるのであれば、他の体系の王の領域に収容されるかもしれません。新しい宇宙は、己のためではなく、他人のためという法理になるのです。我々は他の体系の法理の一部を持つなら、その体系の生命の一部を収容でき、彼らを救うことができるだろう。しかし、そうなるには、我々はより多くの苦を嘗め、より多くの犠牲を支払わなければならないと思います。
私たち大法弟子は、旧勢力に按排された道ではなく、師父に按排していただいた道に従わなければなりません。師父は新しい宇宙を創造しています。私たちの修煉過程は師父が新しい宇宙を創造する過程と大いに関係があります。私たちは新しい宇宙に入る大法の徒です。師父が新しい宇宙を創造する過程で、私たちは旧勢力の旧宇宙に戻る道を歩むことはできません。 私たちの個人的な修煉と衆生を救うことは、どちらも等しく重要なのです。
以前、一部の同修はこの法理をなかなか認識できず、大法の仕事をするのが修煉だと思ってしまい、次元を向上することができず、早々にこの世を去ってしまうこともありました。師父は最も精密で正確な按排をされておられ、私たちの個人的な修煉が自分の次元に影響を与えるだけではありません。衆生を救うということは、この世の普通のこととは違うのです。しかし、大法の仕事だけをやるのは、衆生を救う力を制限されることになります。
法を正すことが終わりに近づくにつれ、同修の皆さんには、法がこの世を正す段階まで堅持し、師父が按排された道を最後まで歩み、師父と共に家に帰ることを願っています。
以上、現段階での私の個人的な認識であり、もし不適切なところがあれば、同修のご指摘をお願いします。