明慧法会|同修を救援する中で修煉し、人を救う(一)
■ 印刷版
 

文/黒竜江省の大法弟子 心明

 【明慧日本2012年10月15日】慈悲深い偉大な師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 法会がまた始まりました。この10年間に出会い、起こった大小のことについてどのように修煉してきたのか、話すことは出来ますが、ペンを持って書こうとしても全然できませんでした。学法や交流をする中で、同修が繰り返し私を励ましてくれたので、「それなら、このたび同修を救援した時の些細な悟りを書いて、同修と交流しよう」と、思いました。

 内に向けて探し、師父が按排してくださった道を歩む

 法輪大法を修煉する前、中国の社会状態の中で、私もわがままで利己的な心を養成し、自分を保護する意識が強かったのですが、一方でまた、「世界中で、自分は最も良い人で、善良で、また他人を気遣うことを知っており、弱い者を見ると同情する、これが私の心の本質だ!」と思っていました。修煉を始めてから私は、大法の「真、善、忍」の通りにやってこそ、本物の良い人間なのだ、という師父の法がだんだんわかってきました。法輪功は修煉です。自分を修煉しなければなりません。仕事でも日常生活の中でも、人と人との間で起きたことにはみな自分を下に置かなければならないものがあり、わがままや堕落した思想観念にとらわれてはならないのです。

 私は修煉を始めてあまり経たないうちに内に向けて探すことを知りました。実は、内に向けて探すことは自分で知ったのではなく、師父の法が私に内に向けて探すことを指導し、いつも心性の難関を越えさせたのです。うまくいかないこともあります。例えば、口を修めないのが原因で、もんどりうって転び、起き上がってはじめて「自分が悪いのだ」ということを知ることもあります。その時は内に向けて探したかもしれませんが、探したのはみな表面的なものだったのかもしれません。しかしその後、修煉する中で良い基礎を固めました。

 今回、同修のBさんを救援したことについて話します。私たちは一緒に学法や交流をして、大法のことをやりました。Bさんは修煉の路でよく働いており、家族は真相をわかっており、家の環境や職場の環境はとても良く、大法を学んで、Bさんはとても良い人になったと、肉親は皆わかっていました。あまり精進しない同修を助け、何事も相手の身になって考え、十数年来、私たちは実の姉弟のように、修煉の道でお互いに学びあい修めあい、問題に遭った時は自分を探すことができ、すでにそれが自然になりました。

 ある日、私がちょうど1人のお年寄りの同修と一緒に学法していた時、Bさんから電話があり、職場がBさんを洗脳班という悪の巣窟へ送り込むことになったと教えてくれました。私は驚いて、何と言っていいかわからず、「行かないことはできないのですか?」と口走りました。「できない」と、Bさんは言いました。「どうすればあなたと連絡できますか?」と聞くと、Bさんは私に数カ所の電話番号と氏名を伝え、「3日後、私の消息がなくなったら、あなたたちは私の職場へ行ってマネージャーを探してほしい」と言って電話が切れました。なぜBさんが同修に電話したのか、私にはわかりました。

 発正念で救援するために、私はただちに同修に知らせに行きました。「自分の周りでことが起こったのは、偶然ではなく、きっと自分と関係があるはずだ」と、道を歩きながら私は思いました。まず自分の内に向けて探して、情を発見しました。それは私情なのか、それとも同修への情なのでしょうか? 最後になって考えついたのは同修への情でした。同修への情を取り去らず、同修への情を持ちながら同修の救助に行けば、邪悪に隙に付け入られてしまい、自らの理性の不十分さを誘導することになります。また、自分の学法、煉功、人を救うという三つのこともすべて良く行えていないということを探し出しました。発正念ではいつも眠くなり、安逸心を求めていました。これらの心も取り除かなければなりません。この時、私が働きに行く時間になりました。どうすればいいのでしょう? 仕事に行くのでしょうか? それとも同修を救助すべきでしょうか?

 私は、子供の結婚で家の経済が厳しくなり、同修のBさんを救助する過程で、自分の利益の心がさらけ出され、その心が出てきたので利益の心を取り除きました。「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」(『各地の説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」)と、師父は説法の中で私たちに説かれました。このことを思って、これらの良くない心をうまく取り除き、執着を手放しました。同修を救助することは師父がお求めになっていることであり、私がやるべきなのです。私は仕事に行かない事に決めました。同修とお互いに力を合わせて発正念をし、同時にどのように内に向けて探すかを、同修と交流しました。

 Bさんは洗脳班に入れられて迫害されました。全員に責任がありますが、この件では、みんな考え方が違いました。すぐに同修と交流しなければなりませんでした。皆が思想の面で頭を切り替えることが必要でした。内に向けて探し、他の人のために考えるという角度に立って問題を考えなければなりませんでした。これによって全体で向上することができました。同時にまた、たとえ私たちがうまくいかなかったとしても、旧勢力も私たちを試す資格がないということに気がつきました。私たちは師父にお願いすることができます。私たちに間違ったところがあれば、大法の中で正しい道に立ち帰ることができます。どこに不足があるのかを、私たちは見つけてすぐに交流し、自分の執着を探し、その執着を取り除きました。以前、同修の誰かが事故を起こしたと聞くと、同修の間で非難し合っていましたが、乗り越えました。「それは違う」と説き聞かせました。他人を非難させるという旧勢力の罠にかからず、他人を非難するという執着を同修が加速させることも許しませんでした。皆が法の上で向上しました。このように第一歩を正しく歩むことが出来たので、同修Bさんを救助することは良好に滑り出しました。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/17/249041.html)
 
関連文章